生命科学 (講談社学術文庫)



  • 作者: 中村 桂子

  • 出版社/メーカー: 講談社

  • 発売日: 1996/06/01

  • メディア: 文庫




存じ上げている人の文章とか考えが出てくると


さらに興味が深く、強まるのでございまして


巻末にある参考文献だけでも良い意味で


溜め息が出る次第でございます。


二 社会的背景ーー生活する人間からの要求


2 沈黙の春 からの抜粋



沈黙の春』の中には、人間の健康を尊び、生命あるものを愛する気持ちが脈打っている。




1960年代後半になって、科学や技術が人間に与える負の影響を事前にチェックする、いわゆるアセスメントという考え方が定着したが、カーソンはその礎を築いたといえよう。


彼女の本の特徴は、農薬乱用に関する膨大な資料を背景にしながら、直接その資料に語らせるのではなく、事態に直面した人間の活動や反応を記述していく形で書かれていることである。


科学的事実を一般的に知らせる方法として、一方的に教えるという態度ではなく、なるべく多くの人と共通の立脚点を探す努力をしていることがことばのはしばしにうかがえる。


カーソンの仕事は生命尊重の科学的意味を明確にしたことと同時に、科学から社会への話しかけの歴史の中でも重要なものである。




DDTの大量使用によって自然界の平衡が破壊されていることに気づいたのは、カーソンがはじめてではない。


1940年代半ばのアメリカの雑誌には、無差別にDDTを散布したために野生動物が死んだり、自然林が破壊されたりしていることを警告した記事が発表されている。


”DDTの大量散布によって森の中の鳥や獣にも被害が出ている”という鳥類保護地区に住んでいる友人からの手紙をきっかけに、DDTの問題に関心を持ちはじめたカーソンは、1945年ごろからDDTに関する資料を精力的に蒐集し出した。




彼女は、集めた資料をもとに、DDTによる環境破壊の危険に関する記事を書こうと思い、「リーダーズ・ダイジェスト」をはじめ各種の雑誌に掲載を申し出たが、どの雑誌からも断られた。


そのような記事は、一般大衆にいわれのない恐怖を引き起こすからというのがその理由であった。


ところが1957年になって、ロングアイランドに一つの事件が起きた。




マイマイガを撲滅するために行ったDDT散布によって付近の花や低木が全滅し、鳥や魚、カニ、馬までが死んだ事件である。


ここでカーソンは、それまでに調べた事実を本にまとめ、大衆に実態を知らせる決心をした。




この時点で学者たちと話し合ったカーソンは、問題の根本は事実の理解のしかたの差ではなく、理解した後にどう行動するかのちがいであることに気づいた。




そして、”専門家は悪いという絶対的証拠をもたないかぎり動かないし、民衆は不愉快な事実に目を向けることを好まない。


そのような非積極性と無関心さの障壁をどうして突き破るかが問題である。


私の主たるよりどころは、すべての事実を整理し、それら自身に徹底的に語らせることにあると思っている”と述べ、『沈黙の春』を執筆した。




この本で彼女は、疑わしい場合には一度立ち止まって考えてみるという、これまでの科学技術とはちがう思考体系を打ち立てようと試みたのである。


そして、特に農薬が人間の健康をおびやかす可能性を強調した。


これこそ、アセスメントの原形である。




鳥がまったく鳴かなくなってしまった春を迎える不気味なプロローグではじまるこの本は、人間の健康の重要性、人間と環境の関わり合い、その底に流れる生命尊重の気持ちなど、生命科学の基盤となる考えをすべて含んでいる。




しかもそれを、自然と人間と農薬という具体例の中でみごとに伝えている。


ただここではっきりさせておかなければならないのは、カーソンは農薬の使用を否定しているのではない。


十分にアセスメントをし、バランスを考えて、使用することを要求したのである。




”私が『沈黙の春』の中でとりあつかった問題は、単独の事柄ではない。


それは、私たちが住んでいる世界が無神経に汚染されていくという全般的な問題の単なる一部分でしかない。


ごく最近まで、一般市民は「だれか」がこれらの問題を処理してくれるだろうと思っていた。


そして事態を理解しようともせず、自分と災害との間には、ついたてのような開閉機が立っているのだと信じ込んでいた。


しかし、今やこのような信念が音をたてて崩れていくことを経験した。”




カーソンがこう書いてから10数年の歳月を経た現在は、くずれたがれきの中からはい出して、事実を見つめ直さなければならない事態にある。




自然をよりよく理解すること、新しい価値体系の確立、生命の尊重を基盤にした技術の開発、科学者と社会の間の緊密なコミュニケーションなど、カーソンが開いた扉の向こう側には、やらなければならないことがたくさんある。



生命科学の課題


1 個性ある研究 から抜粋



人間はすばらしい。人間は興味深い。


もし、今、私のまわりからだれもいなくなってしまったら、緑の森があり、鳥のさえずりが聞こえようと、どんなに青い空が広がっていようと、生きていく勇気は持てそうもない。


人間の中で自分を一つの自己として確立し、ほかの人たちをそれぞれの自己として尊重して生きてゆきたい。


このような人間への関心を出発点として生まれた生物科学が生命科学である。




生命科学はまずその基本として、生命一般を理解し、その理解の上に立って人間の生命を解明することを目標とする。


生命科学の研究が進めば、最終的には人間のからだは分子でできた機械であることが明らかになるかもしれない。


しかし、それが明らかになったとしても、それで人間の存在が無意味なものになることは決してない。




新しい科学の知識を求め、音楽を楽しみ、人を愛し、親切に感謝して生活を送っている人間であるかぎり。


それは、逆に言えば、人間を説明するには、生物科学の知識だけでは不十分だということである。




人間はカエルの子はカエルであることを説明する遺伝の機構を理解する一方、”薔薇の木に薔薇の花咲く、なにごとのふしぎなけれど”と歌う。


人間がこの2種の態様で自然を理解するのと同様、人間自身の理解のしかたにもこの二つがあるだろう。




私はここで、生命科学の中に情感や神を持ち込もうといっているのではない。


生命科学は、あくまでも自然の法則にのっとった分子と分子の関係で説明される反応の上に成立する科学である。


しかし、科学上の発見も人間の精神活動の結果なされたものであり、科学は人間おの産物である。




したがって科学者が、科学的認識の他の認識方法とはまったく無関係のものとしてとらえ、時には科学だけが唯一の知的認識の方法であると思い込んでしまうのは誤りだと思うのである。


そのような考え方で人間の研究を続けたら、生命科学は非常に危険なものになるだろう。


生命科学が人間理解のための体系をつくり出す母体となろうという尊大な考えではなく、科学以外の知の存在を認め、お互いの調和点を見いだすことである。




そこには、おのずから人間を中心とした接点がうまれるであろう。


一つのものへの総合ではなく、お互いに相手の存在を認め、相手の嫌いなことはなるべくしないように心がけながら進んでいく思いやりが、両者がバランスよく進歩する道だと思う。



2 研究対象の個性 から抜粋



次に、研究対象の個性をどのように考えるかにふれてみたい。


特に人間の場合には、個性が大きく浮かび上がってくる。


個人の性格の基本は、その人が親から受け継いだDNAによって決められていることはたしかである。


しかし現実に生活している個人を形づくるには、その人の経験が大きくものをいうだろう。


また個性はその人が生きた時代を反映しているだろうし、自然の環境にも左右される。




なかでも家族や友人との触れ合いは、個性を形成する過程に大きな影響を与えるだろう。


個性を表現することは、科学がもっとも苦手とするところである。


生理学や心理学も、一般論としての心を把握し、それをいくつかの類型的性質に分類すること以上にはできないだろう。


やはり、個性は科学の対象の外に置く以外なさそうである。


では、科学は個性を無視して良いかといえばそうではない。




生物を研究対象とする場合には、そこに個性があることを認め、科学はそれを統計的にあつかい、共通項を探し、または異質なものは異質なものとして分類するものなのだという、科学の限界を認識しておくことが重要なのである。


では、個性を探求し、表現するものは何かといえば、それが芸術といえよう。




1962年10月20日の朝日新聞に、小林秀雄の「天の橋立」という文章が載っている。




”もう大分以前の事だ。


丹後の宮津の宿で、朝食の折、習慣で、トーストと湯漬のサーディンを所望したところ、出してくれたサーディンが非常に美味しかった。


ひょっとすると、これは世界一のサーディンではあるまいか、どうもただの鰯(いわし)ではないと思えたので、宿の人に聞くと、天の橋立に抱かれた入江に居るキンタル鰯という鰯だといわれ、送ってもらったことがある。


先日、宮津に旅行してそれを思い出した。


この辺りの海に、キンタルイワシというのが居るだろうと言うと、どういうわけか、近頃は、取れなくなったので養殖をしていると言われた。”




”私は、前に来た時と同じように、舟に乗り、橋立に沿うて、阿蘇の海を一の宮に向かった。振り返ると、街には大規模なヘルス・センターが出来かかっているのが見えた。やがて、対岸までケーブルが吊られ、「股のぞき」に舟でいく労も要らなくなるという。


そんな説明を聞くともなく聞きながら、打ち続く橋立の松を、ぼんやり眺めていた。


それは、絶間なく往来するオートバイの爆音で慄えているように見えた。”




”わが国の、昔から名勝と言われているものは、どれを見ても、まことに細やかな出来である。


特に、天の橋立は、三景のうちでも、一番繊細な造化のようである。


なるほど、これはキンタル鰯を抱き育てて来た母親の腕のようなものだ、と思った。


とても大袈裟な観光施設などに堪えられる身体ではない。


気のせいか、橋立はなんとなく現位のない様子に見えた。”




”キンタル鰯の自然の発生や発育を拒むに到った条件が、どのようなものか、私は知らないが、子供の生存を脅かした条件が、母親に無関係な筈はあるまい。


僅かばかりの砂地の上に幾千本という老松を乗せて、これを育てて来たについては、どれほど複雑な、微妙に均衡した幸運な条件を必要としてきたか。


瑣細なことから、何時、がたがたッとくるか知れたものではない。


例えば、鰯を発育させない同じ条件が、この辺りの鳥の発育を拒んでいるかも知れない。


或る日、1匹の毛虫が松の枝に附いた時、もはやこれを発見する鳥は一羽もいないかも知れない。


いったん始まった自然の条件の激変は、昼も夜も、休まず、人目をかすめて作用し続けているであろう。


ケーブルが完成したとき、橋立は真っ赤になっているかも知れない。


観光事業家は、感傷家の寝言というであろうか。”




この年は、アメリカでカーソンが『沈黙の春』を発表した年であり、日本ではまだ、科学者の中にも生態系の破壊についての認識は一般的でなかった。


ここで小林秀雄がいっている”感傷家の寝言”に耳を傾けることの大事さをしみじみと感じる。


時代をさかのぼっても同じような、文学者の指摘は目につく。




(夏目漱石『吾輩は猫である』)


西洋人のやり方は積極的積極的と云って近頃大分流行るが、あれは大きなる欠点を持って居るよ。


第一積極的と云ったって際限がない話だ。


いつ迄積極的にやり通したって、満足という域とか完全と云う境にいけるものじゃない。


向こうに檜(ひのき)があるだろう。


あれが目障りになるから取り払う。


と其の向こうの下宿屋が又邪魔になる。


下宿屋を退去させると、其の次の家が癪にさわる。


どこまで行っても際限のない話しさ。


西洋人の遣り口はみんな是(これ)さ。


ナポレオンでも、アレキサンダーでも勝って満足したものは一人もないんだよ。




西洋の文明は積極的、進出的かも知れないがつまり不満足で一生を暮らす人が作った文明さ。


日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求めるものじゃない。


西洋と大いに違うところは、根本的に周囲の境遇は動かすべからずものと云う一大仮定の下に発達して居るのだ。




山があって隣国へ行かれなければ、山を崩すと云う考えを起こす代わりに隣国へ行かんでも困らないと云う工夫をする。山を越さなくとも満足だと云う心持ちを養成するのだ。




もちろん、時代がちがうので、この内容の中には、現代の人が読めばおかしなところはたくさんある。


それに、何もすべて積極的が悪くて消極的がよいというのではない。


しかし、従来の科学技術は、山をくずす方法はどんどん進歩させたが、山を越さなくても困らない工夫はまったくしなかったので、このようなことばに少し耳を貸しても良いと思うのである。




そして、科学は、このような感情を無視する方向へ進まないように心しなければならないと思うのである。




そして、それと同時に、人間の生活が科学の力によって、ますます心地よいものになっていくこと、科学的知識の探究が人間にとって大きな喜びであり続けることを願っている。



学術文庫版あとがき


1996年5月 中村桂子 から抜粋



このままでは人間の未来は明るくないと多くの人が思っている今、20年前の江上先生の提案をもう一度見ていただくことは、たいへん大きな意味があると思います。


当時の私は、今にもまして未熟で、必ずしも先生の意図をきちんとまとめきれているとはいえないかも知れませんが、私なりに大いなる情熱をもやして仕事を始めようとしていたことは確かです。




はじめにお断りしたように、原本が出版されてからの20年間で生物に関する科学は急速に進歩しましたが、この本の中でそれらのすべてをカバーすることは無理です。


そこで、ところどころに註を入れ、簡単ではありますが、新しいことを可能なかぎり補うことにしました。


著者としては、この本が読むにたえるものになっていることを、できることなら、21世紀の学問や社会の方向を考えるのに役立つものになっていることを願います。



原本あとがき から抜粋



科学を人間の中でとらえ、社会の中で位置付けていくのは、あたりまえのことのことです。


これを書きながらいつも考えていたことは、日本の社会、日本の歴史をふまえた、現在あるがままの日本の社会と科学の関係をきちんと解析しなければ、価値観や人間観と科学の関係は出てこないということです。




これまで、科学に関しては、たいてい西欧の先例を取り入れていればこと足りていたために、日本独自の考えを出す必要がなかったようです。


生命科学は、よその国のライフサイエンスをそのまま持ち込むことのできない面を持っています。


科学が対象とする事柄は普遍的であっても、科学自体は決して普遍的なものではないことを認識して、日本の問題として取り組まなければならないところへきているのだと思います。




価値観の定まらない不安定な現状を、よその国の人が救ってくれるということはないということです。


この問題を考える仲間がふえることを願っています。



西欧のライフサイエンスとは異なることを強調され


アメリカの科学や今でいう新自由主義への疑問を


70年ごろから指摘されていた。


引用されている偉人達について


レイチェル・カーソンはあるだろうなと思うけれども


小林秀雄、夏目漱石というのは少し驚いた次第で


またその文章も慧眼であることは言わずもがなで。


中村先生の生命科学に話戻り、現在のお考えである


「生命誌」前夜ともいう書籍で中村先生の根幹


みたいなスピリッツに触れることのできる


眩しい本でございましたが、これは人によると


「あおっちょろい」とか、今の社会に馴染まないとか


言われただろうなあと思いつつ、自分もそういうところ


(青いところ)があるなあと思ったり。


しかし1970年ってもう50年以上前になるのか…。


さらに思うことは今もこの書が、科学というか文明に対し


有効であり続けることに、ためらいというか


嘆息まじりのやるせなさを感じるも、ではどうすれば、に


明確な答えはなく自分にできることを丁寧にやるしかない


のだろうあと、この本の説明を妻にしたら


「よくわからない、説明が下手」と言われてしまい、


もう少し考えがまとまってから次は話そう、とも


思った休日の午後なのでした。