何とかならない時代の幸福論



  • 作者: ブレイディみかこ・鴻上尚史

  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版

  • 発売日: 2021/01/20

  • メディア: 単行本




ブレイディみかこさんから、ラブコールで企画実現。

鴻上さんの「ほがらか人生相談」「同調圧力」を


読んでのことのようで。


ブレイディさんは自分と同世代で若い頃に


受けたイギリス音楽が軸に生きておられるので


このお二人の対談が面白くないわけがないじゃないですか。


 


I 日本の現在地 私たちはどこへ向かっているのか


日本のバブル、「一億総中流」の時代にーー から抜粋



■鴻上


そもそも、イギリスにはどうして行かれたんですか?


 


■ブレイディ


私はもうティーンの時から音楽が…やっぱりUKロックというか、パンクが好きで。


 


■鴻上


ブレイディさんの今、着られているファッションがそうですもんね。


 


■ブレイディ


ポストパンクとかあのあたりからずっと延々、イギリスがとにかく好きなんです。


なんて言うんだろうな、「ワーキングクラス」っていう言葉を昔のロックの人たちはすごく使いましたよね。


80年代で私がティーンの頃、日本はバブルで、「一億総中流」という時代でした。


 


■鴻上


ソフト&メロウな曲が流行っていた時代ですね。


 


■ブレイディ


そんな時に、気骨あるワーキングクラスって、すごくかっこいいなと思って、私自身の父親も肉体労働者ですし、それはワーキングクラスじゃないですか。


だから本物のワーキングクラスの人々がいる国に行って、思いっきり本場の音楽を聴いてみたいって思ったんです。


高校を卒業してイギリスと日本を行ったり来たりするようになりました。


バイトしてお金を貯めてロンドンに行って、お金がなくなったら帰国して、またバイトしてお金を貯めて行って…と、その繰り返しでした。



イギリスで差別されていた地域の保育所で から抜粋



■ブレイディ


私が保育士の資格をとった頃は、イギリス人の貧しい家庭の子が主に来ていたんですけれども。


 


■鴻上


ホワイト・トラッシュ(低所得層の白人を指す侮蔑語)といわれるやつですね。


 


■ブレイディ


その頃から、託児所もすごく変わりました。


だんだん移民の方々が増えていくと、何かやっぱりそこに軋轢が生じてきて…結局移民の方が多くなってくると、白人の方がだんだん来なくなりました。顔ぶれがだんだん変わっていきましたよね。


それは『子どもたちの階級闘争ーーブロークン・ブリテンの無料託児所から』という本に書いているんですけど。


 


■鴻上


ぼくはイエローで~』を読むと、中学生同士でもう差別意識があったりするじゃないですか。


託児所レベルだと差別意識はまだ、そんなにないですか?


 


■ブレイディ


子供でも、差別意識を持っている子もいますね。


 


■鴻上


親の差別意識を刷り込まれる、ということですかね。


 


■ブレイディ


訳わからないまま口にしている子もいるけれど、でもまだ幼児同士の時の方が、まだ何か親から刷り込まれている痕跡がダイレクトに見えますよね。


 


■鴻上


幼児でも何でも意識を持たないまま親の差別的な言葉をリピートしてるのを見るのは、なかなか切ないものがありますよね。


 


■ブレイディ


だからイギリスの保育施設は、たとえば労働党が政権を持っていた時は、トニー・ブレアの一大革命で、保育の二本柱が「ダイバーシティ&インクルージョン(多様性と社会的包摂)」。


多様性推進をすごく柱に掲げていたので、そういう方面の教育は一生懸命しましたね。


その前は単なるケア。


単に子どもの面倒を見ることが保育士の仕事だと思われてたんです。


トニー・ブレアの政権は、保育を単なる「子どものケア」から「教育」に変えました。


だから0歳からカリキュラムがバッチリ作られました。


そのカリキュラムの中に、多様性推進がはっきり組み込まれています。


例えば、子どもが遊ぶ時のための、場所のセッティング。


小さなドールハウスをセッティングするとして、そこにいるのはお父さん、お母さんだけじゃいけない。


そうじゃない家庭もあるから、お父さんとお父さんにエプロンをさせて立たせておくとか。


あと必ず車椅子に乗った人形もあるんですよ。


メガネをかけたりとか、みんなちょっとづつ違う人形にしとこうねという意識。


そういうところまで気を使うという徹底ぶりはすごい。


これは日本でもやっているだろうかって考えました。


 


■鴻上


(略)


お父さんが二人エプロンをしているような人形を日本の保育園が用意したら、多分大騒ぎになるでしょうね。


だって選択的夫婦別姓でこれだけ揉めている国ですからね。



昨日もNHKニュースで、バービーちゃんの家族に


車椅子のキャラクターがいるということを(発売は2019年頃)


紹介されていたのを仕事中、チラッと見かけたけど


まだニュースバリューがあるうちは日常化してない証拠なので


定着するには時間がかかりそうな気も。


23年間、物価も賃金も上がらない日本 から抜粋



■ブレイディ


イギリスに移住してから23年って、すごい長いですよね。


でもなんかね、日本に帰ってきてもあんまり変わった感じがしないんですよ。


これはすごく珍しいと思います。


経済もそうじゃないですか。


だいたい23年間で、イギリスの物価はすごく上がっているのに、日本の物価はデフレでほとんど上がらない。


それに賃金も上がってない。


 


■鴻上


竜宮城の浦島太郎ですね。(笑)


 


■ブレイディ


そうですよね。


これほど変わってないというのは…鴻上さんがおっしゃっているように社会の人々の意識が。


何かかたくなに、変わらないでいたいのかなって。


 


■鴻上


怖いんだと思いますね。変わらなきゃいけないとはなんとなく思ってるんだけど、どこに向かっていいか分からないから、とりあえず現状を守っておこう、という意識じゃないでしょうか。



変わらない社会、日本、デフレが続く、から教育に話は移る。



■鴻上


『ぼくはイエロー~』の中で、教育が多く語られているじゃないですか。


日本も本当に直面しなきゃいけないことが、教育にもあって。


ただ「みんなで仲良くしましょう」という言葉で済ませる訳にはいかないわけです。


(略)


というのも、日本の教育は真逆に進んでいるように感じるんですよね。


最近、「もぐもぐタイム」という、給食の時間に一言も喋らないでご飯を食べるという指導が日本の小学校で広がってるんですよ。


広島から始まったんですけど、その理由が、いっぱいおしゃべりをするとたくさん残すから。


給食の時間に、はしゃいだり歩いたりする子供がいるから、一言も喋ってはいけないっていうのをやってみたら残食率が劇的に減ったということなんです。




もうなんか、イギリスの教育と真逆じゃないですか。


これに対して、もちろん抵抗している小学校の先生もいる。



給食の時間は食べることとコミュニケーションを


上達させるためにあるはずだとおっしゃっている。


残食率の軽減、フードロス、SDGs、とかに


流されそうだからねえ、昨今の世間は。


良い点悪い点の両面あると思うけど。



■ブレイディ


社交の場ですよ。


 


■鴻上


社交の、コミュニケーションが上達するための場でしょう。


その場に、沈黙が広がっているんですよ。もう怖くなるでしょう。


 


■ブレイディ


怖いですよ。どんな社会にするつもりなんでしょう。



II 社会と向き合う 表現としてのコミュニケーション


自助、共助、公助…という順番 から抜粋



■ブレイディ


菅義偉首相。


「まず自助があって、共助があって、公助だ」と言っていたのがネットで盛り上がってましたよね。


あれのまさに公助の部分が私に言わせると社会なんですよ。


自助というコンセプトは、新自由主義的で、いかにもマーガレット・サッチャー的というか、彼女は「社会なんていうのは存在しません」と言い切った人ですから。


自助が最重要なのだと本気で思っていたからこそ、新自由主義を信じた。


共助はまさに日本では、鴻上さんが言われる世間のこと。


身内で助け合えよということですよね。


 


■鴻上


そうです。だから公助よりも先に共助が来る。


自助、共助、公助っていう順番はものすごく分かりやすく日本の構造を著している。


 


■ブレイディ


そう。まずは自分でやれっていうこと。次に世間が来て、最後に社会システムという順序。


それがやっぱり日本的だなと思いましたね。


 


■鴻上


なおかつ、菅さん、絆って言葉を出しましたからね。


首相になってテレビに出演していた時、ニュースキャスターが


「自助、共助、公助ですよね」


と言ったら、


「それに絆があるんです」


と、堂々と言っていたので、驚いたんです。


ブレイディさんの『ワイルドサイドをほっつき歩け』で登場するスティーヴが、


「労働者っているのは助け合う。それが俺たちの労働者なんだ」


っていうくだりがあるでしょう。あれつまり、共助ということですよね。


 


■ブレイディ


ただね、あれが世間なのかっていうと、私まだこの共助という言葉の定義づけがすごく微妙なところだなと思っています。


実は私、アナキズム(国家や政府などの権力的支配を否定し、人間の自由を最高の価値とする思想)にも興味あるんですけど、アナキズムには相互扶助の考え方があるじゃないですか。


要するに、トマス・ホッブス(イギリスの哲学者。1588~1679)は


「人間というのは放っておけば、食うか食われるかの戦いを始めるんだ」


と言っている。


でも、ピョートル・クロポトキン(ロシアの政治思想家。1842~1921)はそうじゃなくて、


「人間は助け合う本能があるから今まで生き延びてきたんだ」


と言っているんです。


 


■鴻上


そうですね。


 


■ブレイディ


イギリスの労働党の相互扶助は、クロポトキンの方に近い気がする。


知っている人しか助けないってのは、彼らにはないものですからね。


ある種の下町的な人の良さというか、気がついたら体が動いて助けてしまっているみたいな、そういう助け合いのスピリットをアナキストたちも、大事にするんですよね。


最近亡くなったデヴィッド・グレーバーというアナキストの方がいて…アメリカの人類学者なんですけどね。


ロンドン・スクール・オブ・エコノミストの教授だった方で、日本てもちょっと前に岩波から


ブルシット・ジョブ』って本が出ています。




その本に書かれていたのが、結局、この世の中にはブルシット・ジョブっている、あってもなくてもいいような仕事があると。


要するに、なくてもいい会議の前の書類を作り、なくても誰も困らない書類のための資料を集めるみたいな、オフィスワークとか管理職っていうんは、その存在を正当化しがたいほど無意味な不必要な仕事に満ちていると。


みんな長時間働くのも、何かすべきことがあるからじゃなくて、上司が見ているから帰れないとか、そういう意味のない時間を過ごしている人が増えずぎたというんです。


他人に不必要な仕事を割り当てるために存在し、無意味な仕事を作り出している中間管理職も増えていて、そういう事務の類は、ほとんどはなくていい仕事なんだと、彼は言っているんです。


まやかしの詐欺みたいな仕事だと。


 


■鴻上


なるほど。マックジョブ(低地位・低賃金・単調・重労働を指す侮蔑語)と呼ばれて労働のことじゃなくて、意味のない労働のことをブルシット・ジョブと呼ぶんですね。


 


■ブレイディ


はい、意味のない労働。


だから逆にマクドナルドで働いたり、お掃除をしたりとか、そういう仕事はこっちでは昔からシットジョブと呼ばれています。


要するに、本当にクソ(シット)みたいに安い賃金なのに大変な重労働で、人々にダイレクトに食べ物を与えたり、サービスしたりして、誰かをケアしている仕事。


たぶん、グレーバーはそれのもじりでブルシット・ジョブという言葉を作ったのでしょう。


「ブルシット」は、まやかしとか詐欺とか、嘘みたいなと言う意味も入ってくるから、あってもなくても誰も困らない。


蜃気楼のような仕事だと言う意味で。


このコロナになって、エッセンシャルワーカーとかキーワーカーって言われた人たちは、外に出て働かなきゃならなかったじゃないですか。


はっきり言えば、それこそがシットジョブだった。


低所得のゴミの収集職員だとか、介護士さんとか、保育士もそうだし。


一方でブルシットはみんなオフィスに行かなくてもオンラインで、在宅で働けた。


何が本当に社会にとって必要な仕事なのかがコロナで明らかになったよねと、グレーバーは書いていた。


だからこそ、ふだんは報われないシットジョブの人たちがヒーロー視されることになった。



なくても良い仕事、なくては困る仕事、それの粛清というか淘汰が


このコロナで、また、AIの進歩で行われるのだろうかね。


なくても生きていけるけど、人が豊かになる仕事、とかはどうなるのか、とか。


今は、日常をキープすることに全力を注いでから、後で考えよう。


政治参加する人間を育てる、英国のシチズンシップ教育 から抜粋



■ブレイディ


もう一つ言えば、歴史の授業。


学校が再開して最初に授業でやったテーマがブラック・ライヴス・マター。


奴隷商人だったエドワード・コルストンという人の銅像がアメリカのブリストルにあったんですが、あれが引き倒されて海に投げ入れられたことは、世界中でニュースになりましたよね。


あれはイギリスで大きな論争になったんですよね。


歴史的なものを壊すのはただのバンダリズム(芸術・文化の破壊行為)じゃないかという人々もいて、いや、こういう経過を経て時代は変わっていくんだ、変化を恐れるなという意見もあって、メディアや地べたでもすごい論争になったから、これについてどう思うかと最初の歴史の授業で話し合ったらしいんですよ。


ロックダウン中だから、家で親とその話をした子も多いと思うし、なかには親が話した内容なのかと思うようなすごく保守的なことを言う子もいたそうです。


いや、本当にその銅像が気に入らないんだったら、銅像が気に入らないかどうかその市で住民投票をやって、嫌がっている人が多かったら撤去すればいいんじゃないかと言う子もいたり、いろんな意見が出るわけですよ。


結局、一番多かったのが、落書きアーティストのバンクシーが確かTwitterで書いていた意見ですけど、銅像の首をロープで巻いて、みんなで引き倒している姿を模(かたど)った銅像を新たに歴史的な記念碑として作っておけばいいんじゃないかっていう意見。


そしたら、その銅像を元の場所に置きたい人もハッピーだし、ブラック・ライヴス・マターの人たちもハッピーなんじゃないかと、バンクシーは書いていたんです。


うちの息子のクラスでは、その銅像をバンクシーのツイートのようにするのもいいんだけど、銅像の側に、例えばみんなが海に沈めているような写真とか絵を張った記念碑を隣に作るとか、あるいは、銅像の脇にその時のニュース映像のまとめをエンドレスで映写する小さな建物を作ったらいいんじゃないかって言う意見も出た。


それで、これはすごいなと思ったのは、どうしてそうした方がいいのかっていう質問に、


「未来の人たちの知る権利のため」


って言った子がいるんですって。


「人間というのは、今生きている人だけじゃない。


未来に生きる人たちにも、過去に起きたこと、つまり、今この時代に何が起きているかということを知る権利がある。


だから、未来の人たちが、今イギリスで起きたこういうことを知るために、自分達は記録を残さなきゃいけない。


だから、未来の人たちの権利を守るためにそうした方がいいと思います。」


って言ったらしいんですよ。


(略)


■鴻上


そういう授業が当たり前になってきたら、公文書を改ざんすることがどれだけ愚かなことか、ということもわかるでしょう。


公開請求された文章を、真っ黒に塗りたくって公開することがどれほど愚かということもよく分かりますよね。



日本で70年以上戦争がなかった理由 から抜粋



■鴻上


日本で70年以上も戦争がなかった理由は、やっぱり戦争体験者の強い語りにあると思う。


おじいちゃんおばあちゃんも、とにかく戦争は勝っても負けてもダメなんだと、理屈を超えて次世代に伝えてきたから。


それは日本人が学んだことだと思いますね。


僕らは、民主主義は血を流して学ばなかったけど、戦争のむごさや悲惨さは、日本全土が空襲されてみんな学んだということはあると思うんですよね。


それと、コロナ禍でも日本人は学習したと思いますね。


日本人は全部政府にお任せしている意識から、コロナ禍で、自分達で考えるという訓練を突きつけられている気がすごくしているんです。


コロナは嫌なことばっかりだけど、唯一、


「日本人に自分の頭で考えること」


を突きつけてくれたと思っています。


それは、とても素敵なことです。(2020年秋)



何でもかんでも、外国の模倣が良いとは思えないけれど、


何故自国では問題なのだろう、とか、


次に進めないのはなんでだろう


とかってのは大事なことなのではないだろうか。


それには規模感とか文化とか似ている国を


参考にするのが良いと思うのだけど。