知のトップランナー149人の美しいセオリー



  • 出版社/メーカー: 青土社

  • 発売日: 2014/11/21

  • メディア: 単行本



主題とは異なるのは

いつもの癖のようなものなのですが


翻訳者の方に興味があり


また、”世界の知”といわれるヒトの


エッセンスだけでも知っておくと


後で広がるのかもと思い手に取った次第。


前書き 鋭い質問(エッジ・クエスチョン)


ジョン・ブロックマン


エッジ編集者 から抜粋



1981年に、私は、リアリティ・クラブを作った。


創設の時から1996年まで、クラブは、中華料理店、芸術家のロフト、投資会社の重役室、宴会場、博物館、居間、などなどで会合を持ってきた。




リアリティ・クラブは、アルゴンキンの円卓や、12の使途たちやブルームスベリー・グループ〔20世紀初頭にイギリスで活動した知識人や芸術家のグループ〕とは異なるが、それらと同じくらい質の高い知的冒険を提供していた。


おそらく、これと最もよく似たものは、18世紀の終わりから19世紀の初めにかけて、新しい工業化時代を担う文化人たちであった。


ジェームス・ワット、エラスマスマ・ダーウィン、ジョサイア・ウエッジウッド、ジョーゼフ・プリーストリー、ベンジャミン・フランクリンなどが非公式に集まっていた、ルナ協会だろう。


それと同じように、リアリティ・クラブは、ポスト工業化時代のテーマを探ろうとする人々の集いの試みであった。




1997年に、リアリティ・クラブはオンラインになり、「エッジ」という名に衣替えした。


「エッジ」に提出されたアイデアは推測であり、進化生物学、遺伝学、コンピュータ科学、神経生理学、心理学、宇宙科学、物理学などの分野における最前線を代表している。


これらの貢献から現れてきたものは、新しい自然哲学、物理学システムを理解する新しい方法、私たちが基本的に受け入れている仮定の多くに疑問を呈する、新しい考え方である。




2012年の鋭い問い


あなたのお気に入りの、深遠で、エレガントで、美しい説明はなんですか?



ジョン・ブロックマンさんの文章は


なんか一瞬気のせいか


高所からのドヤリングのようなのだけど


それは自分が浅学非才ゆえの僻みの


なせる所業なのだろう。


すごい分野の人たちの集う経緯と


依頼したお気に入りの説明なのだ


程度でスルーしよう。


 


■生命がディジタル暗号である


マット・リドレー MATT RIDLEY


科学ライター、国際生命センターの設立理事長、


繁栄:明日を切り拓くための人類10万年史』の著者


から抜粋



2月28日の朝に、生命がどれほど不思議なものであったか、それが、その日の昼ご飯どきまでにどれほど変わってしまったか、今となってはなかなか思い浮かべるのが難しい。


「生命とは何か?」という質問に対する、それ以前の答えのすべてみてみると、われわれが種全体として、どれほどとどまってきたかがうかがえる。


生命は、特殊で複雑な3次元の物質(おもにタンパク質)から成る。


そして、それは自分を正確に複製する。


どうやって?どうすれば、3次元の物質を複製するなんていうことができるのだろう?


どうすれば、それを予測可能な道筋にそって成長させたり発生させたりすることができるのだろう?


これは、それまでにまったく誰も答えを思いつきもしなかった、一つの科学的疑問である。


エルヴィン・シュレディンガーは少しつついてみたが、量子力学に傾き、あらぬ方向に行ってしまった。


確かに彼は「周期的でない結晶」という言葉を使っているので、寛容な人ならば、それは線形の暗号を予期させるというかもしれないが、私は、それでは、彼を甘やかし過ぎると思う。




実際、DNAが決定的な役割を担っているということがわかると、問題はさらに難しくなった。


なぜなら、DNAは単調、単純だからだ。


1953年2月28日以前の、生命とは何かの説明はすべて曖昧模糊としたもので、深い洞察もあったとしても、プロトプラズムや精気などについて述べているものさえあった。


そこに二重らせんがきて、即座にわかったのだ。


フランシス・クリックが、数週間後に息子にあてた手紙で述べているように、「なんらかの暗号」であることが。


それは、ディジタルで、線形で、二次元で、組み合わせとしては無限で、あっというまに自己複製する。


これこそ、必要とされていた説明のすべてであった。


以下は、1953年3月17日のクリックの手紙の一部である。




親愛なるマイケル、


ジム・ワトソンと私は、おそらくもっとも重要な発見をした…DNAは暗号だと考えている。


つまり、塩基(文字)の順番が、ある遺伝子と他の遺伝子と異なるものにしているのだ(印刷されたあるページが、別のページとは異なるように)。


自然がどうやって遺伝子のコピーを作るのか、今やわかる。


なぜなら、もし二つの鎖が分かれて独立の二本の鎖になり、それぞれの鎖がもう一方の鎖をそこにくっつけることができれば、そして、Aは必ずTと、Gは必ずCとくっつくのだから、前は一つであったものが二つになるのではないか。


言い換えれば、私たちは、生命から生命が生まれる基本的な複製のメカニズムを発見したということだ…私たちが興奮しているのがわかるだろう。




朝には、これ以上ないほど理解困難なミステリーがあり、午後には、これ以上ないほど明らかな説明ができたのである。



DNAの塩基、シークエンス解明されたのが


1953年ですか。


それを子供に向けた手紙で


平素な表現を引用するのが心憎い。


めちゃくちゃ大量な資料を


あたっていそうなリドレー氏は


すでにご高明ですが、長谷川先生が


必読10冊にもあげられておられます。


冗長性の削除とパターン認識


リチャード・ドーキンス RICHARD DAWKINS


進化生物学者、オックスフォード大学、


科学の公共理解講座名誉教授、


ドーキンス博士が教える「世界の秘密」』の著者


から抜粋



深遠で、エレガントで、美しいだって?


ある理論をエレガントにする要素の一部は、なるべく少ない仮定のもとで多くのことを説明する力にある。


この点で、ダーウィンの自然淘汰の理論が圧勝だ。


それが説明するおびただしい量の事柄(生命に関するすべて:その複雑性、多様性、巧妙にデザインされたように見えること)を、それが依拠する数少ない仮定(ランダムに変化する遺伝子が、地質学的時間の中でランダムでなく存続すること)で割った比は、ともかくも巨大だ。




人間がこれまで理解してきた諸分野において、これほど少ない数の仮定のもとにこれほど多くの事実が説明されたことは、ほかにない。


エレガントはその通りだが、深遠さはというと、19世紀になるまで誰からも隠されていた。


一方で、自然淘汰は、美しいというにはあまりにも破壊的で、無駄が多すぎて、残酷だと見る向きもある。


いずれにせよ、私以外の誰かがダーウィンを選んでくれるに違いないと見て良いだろう。


私は、そのかわり、ダーウィンのひ孫を取り上げ、最後にダーウィンに戻ることにする。




王立協会会委員のホーレス・バーロウは、チャールズ・ダーウィンの一番下の息子であるホーレス・ダーウィン卿の一番下の孫である。


90歳で今なお活発なバーロウは、ケンブリッジの著名な神経生物学者グループの一員だ。


私は、彼が1961年に出版した二つの論文で示した考えについて語りたい。


それは、冗長性と、そこから派生したいくつもの筋道によって、考えを深められてきたのである。




情報理論の発明者であるクロード・シャノンは、情報の逆数のようなものがあるとして、「冗長性」という言葉を作った。


英語の綴りでは「q」のあとには必ず「u」が来るので、「u」は省いても情報が減ることはない。


Uは冗長なのだ。


メッセージは、情報を失うこと無しに、より節約的に言い換えることができる。


しかし、誤りをただす能力は少し損なわれる。


バーロウは、感覚回路のすべての段階において、大量の冗長性を除去することに特化したメカニズムがあるだろうと示唆した。




感覚順応が時間の領域で成し遂げているのと同じことを、空間の領域でやっているのが、これもよく知られた現象である、側方抑制である。


この世界の一つの像が、ディジタル・カメラの目の網膜など、ピクセル化されたスクリーンの上に写ると、ほとんどのピクセルは、すぐ隣のピクセルと同じように見える。


例外は、縁のところ、境界部のピクセルだ。


もしも、網膜のすべての細胞が忠実に光の量を脳に伝達するならば、脳は、とてつもない量の冗長なメッセージでいっぱいになってしまうだろう。


脳に届くインパルスのほとんどが、像の縁の部分にあるピクセルの細胞からのものであれば、おおいに節約できる。


脳は、縁と縁の間は一様であると仮定していればよいのである。




バーロウが指摘したように、側方抑制は、まさにそれをしている。


たとえば、カエルの網膜では、すべての神経節の細胞が脳に信号を送り、網膜の表面の特定の位置における光の強度を報告している。


しかし、それと同時に細胞は、すぐ隣の細胞に抑制信号も送っている。


つまり、実際に脳に対して強い信号を送っている神経節の細胞は、縁の部分にあたる細胞だけだということだ。


色が一様な視野にある神経細胞(それがほとんどだが)は、縁の部分にあたる細胞とは違って、周囲のすべての細胞から抑制されているので、脳にはほとんど信号を送らない。


信号における空間的冗長性が除去されているのだ。




バーロウの分析は、感覚の神経生物学で今日知られていることのほとんどすべてに拡張することができる。


ヒューベルとウィーゼルが発見した、有名な、水平線と垂直線を検出するニューロン(垂直線は冗長で、その両端から再構築できる)や、ジェリー・レットヴィンらが発見した、カエルの網膜にある、動きでさえも、それが同じ速度で続くのならば冗長である。


そこで、レットヴィンらは、当然の結果として、カエルの「奇妙さ」検出ニューロンを発見した。


それは、動く物体が、速度を増やしたり、遅くしたり、方向を変えたりといった、予測外の動きをしたときにだけ発火するのである。


奇妙さ検出のニューロンは、かなり高度な冗長性をフィルタリングして排除するように特化している。




バーロウは、ある動物で感覚のフィルタリングの研究を行えば、理論的には、その動物の世界に存在する冗長性を読み取ることができるだろうと指摘した。


それは、その世界の統計的な性質の描写のようなものであるに違いない。


そこで思い出すのが、私がダーウィンに戻るといったことである。


私は『虹の解体』の中で、一つの種の遺伝子プールは、「遺伝的死者の書」のようなものだと述べた。


その種が地質学的時間を通じて、遺伝子を存続させてきた太古の世界を、暗号化した文章のようなものだということである。




自然淘汰は、その種が存続してきた何百万世代もの連続する世界において、冗長性(繰り返されるパターン)を検出し、平均化してきたコンピュータなのだ(有性生殖するすべてのメンバーで平均化する)。


バーロウが感覚系のニューロンでやったことを、自然淘汰されてきた遺伝子プールに当てはめ、同じような分析ができないものだろうか?


これは、深遠で、エレガントで、美しい。



コンピュータが自然淘汰の冗長性を検出とは


ドーキンスさんらしい論調でして


そのほか、ほぼ何のことを言っているか


今はよくわかり得ませんがいったんメモ。


それにしても、引き合いに出されているのが


ダーウィンのひ孫さんのことだからね。


ここにも普通とは異なる英国マインドとでもいうか


捻くれっぷりが炸裂しております。


訳者あとがき


長谷川眞理子 から抜粋



これは本当におもしろい読みものであった。


こんなに知的に興奮して楽しんだ読書もまれである。


私にはよくわからない分野の話も含まれているのだが、細かいところはどうでもよい


著者らが「深淵で、エレガントで、美しい」と感じる説明を次々と読んでいくこと、そのものが、またとない楽しみであった。




この世の諸現象に対する説明として、さまざまな分野の一流の学者たちがもっとも素晴らしいと思う説明について語るのだから、おもしろくないはずがない。


そして、「深淵で、エレガントで、美しい」説明とはなにか?


真実は楽しいのか、エレガントでなくでも正しい説明はあるのか、など、この問いの設定そのものに対して論理的いちゃもんをつけることはできると、私も思ったが、事実その通りにいちゃもんをつけて論じる著者も何人かいる。


知的なこねくりまわしに終わりはない




多くの人々がダーウィンによる淘汰の理論を挙げている。


私も進化生物学をかじる学者の一人として、ダーウィンの理論を一番に挙げたいと思う。


少ない数の原理でどれだけ多くの現象が説明できるのか、その比は実に大きい。


もちろん、それを言えば、万有引力の法則なども、地上の物の落下から星の動きまでを説明できるのだが、人間の心までは説明できない。


しかし、ダーウィンの理論は、生き物に関する現象ならおよそなんでも、その説明にかかわってくる。


さらに、生き物以外でも、複製に関するシステムならばおよそなんでも、少なくともその一部に当てはめることができるので素晴らしい。


私が、この「エッジ」の質問に回答を寄せるとしたら、やはりダーウィンになりそうだ。




良い説明とは、必然的に深くてエレガントで美しいのか、という問題にも、私は興味がある。


現象の本当の説明はそれほどエレガントではないのかもしれない。


しかし、私たちの認知能力には限度があるので、ある程度の単純さによって、かなり深くまで説明ができるとわかったとき、それを「美しい」と感じているだけなのかもしれない。


 


いずれにせよ、読者の皆様が、これらの著者たちの意見を読み、自らの考えをそこに足して、おおいに好奇心をかきたてられていただければ幸いである。



長谷川先生の選んだ必読書について


夜勤中に見つけてしまった。


上記にも引いたマッド・リドレーさんや


スティーヴ・ピンカーさんも


掲載されていたのでこの書で読んだが


いまいちここではピンと来なかった。


それから、この書を読んでで忘れがちだが


このお題というかテーマが一番感心したこと


だったりしたので


リフレインさせていただくのですが



2012年の鋭い問い


あなたのお気に入りの、深遠で、エレガントで、美しい説明はなんですか?



長谷川先生は自分なら「ダーウィン」だと仰る。


このお題を、”愛”についてって勝手解釈して


もしも自分だったら「音楽」とか「本」とか


「家族」とか「仕事」とかなのか。


だとしても、価値のあるものにできそうにもなく


たいした話にならなそうだなあ


などとまったくいらぬ嘆きを生み出しつつ


洗車してたら危険な暑さですぐに撤収した


7月終わりの関東地方でございました。