対談相手:石井好子 シャンソンを語る(1955年)
三島由紀夫30歳 石井好子32歳
シャンソンというか、フランスを語るって感じ
石井好子さんは亡くなるすこし前、
これまた亡くなったうちの母親がステージを観て、
CDを購入してきただけあって、
なんとなく通じる反骨精神を感じ、
それを自分も継承してしまったんだなと妙に納得。
▼三島
フランスでは。コンセルヴァトワール(パリの音楽学校)
などを一番で卒業した人でも、仕事がなくて、
カフェーあたりを流している人が一杯あるね。
▼石井
そうなの。
▼三島
そんな風に、競争者が多いから、フランス人は、
芸というものに対して、決していい加減な
考えを持っていないね。実に厳しいんだ。
▼石井
そう、もの真似を、極端に嫌うのよ。日本では、割合に、もの真似を好きらしいけれど。
▼三島
日本では、殊にジャズ歌手なんか、誰かに似せなければ売り出せないよ。
▼石井
向こうじゃ、誰かに似ちゃわないように、
自分の個性を出すということに、とても苦心し、努力するのよ。
有名なシャンソン歌手の半分は、エディット・ピアフにしても、イヴ・モンタンでも、みんな歌詞にアクセントがあるの。
そしてそれがよく生かされて個性になっているのね。
私は日本人だから、どうしたって舌足らずのところがあるでしょう。誰の真似でもないでしょう。
▼三島
それが魅力になり、個性になっているんだな。
▼三島
パリの劇団というところは、そういうふうに
芸そのものに厳しい一方では、情実か金か、
っていうことが、とてもあるんですよね。
その金も、自分の金じゃない。パトロンが出すんだ。
劇団内部の、ちょっと人には言えないような関係ってのは、日本どころじゃないでしょう。
▼石井
確かに一方では、おっしゃる通りよ。
人気が出てきた歌い手とか踊り子なんかには、すぐパトロンの手が伸びてくるの。
私ね、ある劇場に出ている時に、突然、舞台の数を減らされちゃったのよ。
そこの有力者が、パトロンの誘いをかけてきたんだけど、もちろん、お断りしたでしょう、その腹いせなのよ(笑)
▼三島
フランス人らしいね。
▼石井
だからって、いうこと聞くことはできないわ。
どんな目に遭わされたってとにかく…
私には、歌の才能なんてものが特別あるわけじゃないんだから、自分一人で、人に頼らないでコツコツやって、その努力がどこまで勝つか試してみよう、っていう気持ちで歌いまくったわけなの。
▼三島
ケチは、フランスの有名な国民性だからね。
バルザックの「ゴリオ爺さん」なんてのは、ケチの標本だけど。日本では京都がそうだっていうけど。
古い文化を持ったところではケチですよ。
そこへゆくとブラジルなんかは、新開地だからケチじゃないんだ。
▼石井
ほんとうに私、フランス人ほどケチなの見たことがないわ。
楽屋へサンドイッチを売りにくるでしょ。
そのサンドイッチの大きさが、外で売っているのよりこれっぽっち、ほんの小さいってので、踊り子たちと売り手で、わめきあって喧嘩しているんだもの(笑)。
実際フランス人ってよく喧嘩するのね。
▼三島
自己を主張して、権力に屈しない国民だからね。
▼石井
そうなのよ。私たちの舞台稽古でね、振り付けの先生が、こうしなさい、と言っても、三十何人の踊り子たちが、まず口答えするのよ。
「私はそうは思わない、こうしようと思うのに」なんて、罵りわめくのよ。
足踏みして怒鳴ったりね。コーちゃん(越路吹雪さん)が、舞台稽古を見に来て、「ナンと喧嘩の多い国だ」って、あきれ返ってたわ。
そんなだから、楽屋は大変よ。
35人の女たちが、いらだった叫び声を、ひっきりなしにあげているんだから、阿鼻叫喚の有様になることがあるのよ。「メルド(糞)」「コション(豚)」なんてひどい言葉で罵っているのもいるしね。
▼三島
あとはけろっとしているんでしょう、言うだけ言ってしまえばね。
▼石井
そうなの。喧嘩はこれでおしまい、
というところに来ると女同士でもちょっとキスし合って、それでサバサバした顔してるわ。
(中略)
▼三島
その代わり、陰口は言わないようだね。
▼石井
陰口を言う人があると、怒るのね。
そして、言われてる人を弁護してるわ。
▼三島
日本でよく、窓口の役人根性なんて言うけれども、
向こうが本家だよ。
バルザックの「小役人」に、それがよく出ているけれど…。
▼石井
その窓口には、たいてい中年の小母さんがいて、意地悪をしなきゃ損だって顔しているの。
顔を剃らないから口ひげがはっきり見えるほど伸びててね。
その顔の通りに、意地悪の限りをするの。あんな人の旦那さんは厭だろうと思うな。
確かに、良い大人がサンドイッチの大きさで
喧嘩したりはないよな日本人なら。
それにしても、若い、三島由紀夫の口調が。
権威となる前の三島さん、30歳か。
当時珍しかった同年代で世を渡ってきた女性との貴重な対談。
若さってキープできないから、残酷だ。しかし年齢を重ねても
良いことがあるっていうのを知ることを拒絶してしまったのが
残念としか言いようがないですよ。
Wikiによると石井好子さんはその後、
87歳までご存命だったようで
その”スピリッツ”(今風なら”マインド”)は
加藤登紀子さんが継承されているようだ。