世界がわかる理系の名著 (文春新書 685)



  • 作者: 鎌田 浩毅

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋

  • 発売日: 2009/02/20

  • メディア: 新書



第2章 環境と人間の世界

カーソン『沈黙の春』


書いたのはこんな人 から抜粋



子どもの頃から書くことが好きだった少女は、大人になってペンの力で世界を動かした。


レイチェル・カーソンが生まれたのは、アメリカの東海岸、ペンシルベニア州のスプリンデール。


ペンシルベニア州はアメリカ合衆国発祥の地といわれる歴史ある土地で、南北戦争の激戦地であった。




カーソンの父親は農場を営んでいた。


母のマリアは牧師の娘であり、若い頃に教師をしていたという。


大自然の中、知的な母に育てられた彼女は、感受性豊かな子どもとして伸び伸びと成長していく。


ペンシルベニア女子大学に入学し、ジョンズ・ホプキンズ大学大学院で動物学を専攻。


この時期に、小さい時分から憧れを持っていた海と出会う。


カーソンは海の生き物たちに強く惹かれ、ついには海洋生物学者となる決意をする。




大学院を終えて連邦漁業局の職員として働きながら、彼女は海を扱う放送番組の脚本をしばしば手がけた。


また、政府刊行物のための自然保護地域に関するレポート執筆などを通して、次第にその筆力を発揮するようになる。


その彼女が作家になるきっかけとなったのは、上司にラジオ番組の脚本を見せたことだった。


この上司に科学雑誌への投稿を勧められ、言われるがまま原稿を送ったところ、雑誌「アトランティック・マンスリー」に掲載され、出版界への足がかりをつかむ。


そして44歳の時、『われらをめぐる海』が望外のベストセラーとなった。(1951年)



いきなり『沈黙の春』は書けないよなあ


とは思っていたけれども、鎌田先生の文書で


腑に落ちたとでもいうか。


運も持ち合わせておられたのだろうけれど


それはカーソン博士の本当にやりたい仕事では


なかったのかもしれないと思うと複雑ですな。


企業家や国家と争うというような


資質の方にはどうしても思えないので。





福岡ハカセの本棚 (メディアファクトリー新書)



  • 作者: 福岡伸一

  • 出版社/メーカー: メディアファクトリー

  • 発売日: 2012/12/28

  • メディア: 新書




第2章 世界をグリッドでとらえる

不思議さに目をみはる感性


から抜粋



浜辺の小さなカニ。雨に濡れた地衣類(ちいるい)。銀の鈴のような虫の音ーーー。


レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』では、カーソンが夏を過ごした米国メーン州の自然が詩的に語られます。


カーソンは甥のロジャーと一緒に嵐の海を眺めに出かけ、潮の香りを胸いっぱいに吸い込み、苔の絨毯に膝をついてその感触を楽しみます。


カーソンの著作では『沈黙の春』がよく知られています。


1960年代の初めに環境問題について論じたこの本を、私は大学の頃に読み、とても感銘を受けました。




『沈黙の春』でDDTなどの農薬をはじめとする化学物質がいかに地球環境に深刻な影響を与えているかを訴えたカーソンは、孤独な闘いを強いられることになりました。


本は売れ、世界中に反響を巻き起こしますが、一方、化学薬品メーカーや政治家から激しい攻撃を受けるようになったのです。


「根拠のない妄想」「独身女のヒステリー」といった心ない誹謗中傷に耐えながら、それでもカーソンは自分の信じることを語り続けます。




そんなカーソンを支えたのが、彼女自身の中にあったセンス・オブ・ワンダーではなかったか


センス・オブ・ワンダーを直訳すれば、「驚く感覚」。


本書を翻訳された上遠(かみとお)恵子さんは、この言葉をとても的確に「神秘さや不思議さに目を見はる感性」と表現しています。


カーソンにとってそれは自然の美しさに触れる喜びであり、そこに自分の出発点があることを忘れなかったからこそ、長い困難と孤独に耐えられたのだと思うのです。




私自身のセンス・オブ・ワンダーは、昆虫との出会いにありました。




宇宙の青でも、海の青でもない。


小さな虫の背中にさざなみのように変化する青が凝縮していました。


息を呑む美しさ。


その瞬間が、その感動が、私のセンス・オブ・ワンダーでした。




「残念なことに、わたしたちの多くは大人になる前に澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬(いけい)すべきものへの直観力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。」




センス・オブ・ワンダーは、成長するにしたがって不可避的に失われてしまう。


大人になるとは自分の有限性に気づくことです。


子どもの頃は誰もが果てしない未来を思い描きますが、やがて可能性は限定され、夢は諦めるべきものとして輝きを失います。


まぶしかった世界が色あせる事は喜ばしい事ではありません。


しかし一方、子どもの頃に出会ったセンス・オブ・ワンダーはどこかでわたしたちの中に残り、私たちを支え続けている


もしそのことを思い出せれば、私たちはいつでも自分の原点に立ち返り、希望を持って生きていけるのではないか。


カーソンはそう伝えたかったのではないでしょうか




なぜこんな青がこの世界に存在するのか。




生物学者になった後も、私はこの同じ問いを繰り返し問い続けてきたように思います。




本書のいちばん魅力的な部分は、次の箇所です。




「もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力を持っているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない、『センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見張る感性』を授けてほしいと頼むでしょう。


この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです」




カーソンは


「私の文章に詩があるのではなく、自然の中に詩があるのです」


と述べています。



さすが福岡博士というか、カーソン博士というか。


言葉がありません、という言葉が浮かびます。


『沈黙の春』だけでは分かり得ない


レイチェル・カーソン博士の尽きない


”メッセージ”というか。


そんな平易な言葉では追いつかないだろう。


なので、言葉にできない。


それにしても、本日は自分で作った


野菜ラーメンを昼に食したのだけど


体調がいまいちで寝てばかりいたら


それらが原因ではないのかもしれないが


頭も痛くなってきたのであまり読書が


すすまない休日でしたがそんな日もある


のだよと言い聞かせる夕刻でございます。