環境・生命文明社会
から抜粋
アメリカの環境学者デニス・メドウズ(1942−)らの『限界を超えて』(1992年)は、その20年前に書かれた衝撃のレポート『成長の限界』以後の世界の変化をふまえ続編として出版されました。
現代世界がこのまま経済成長を追求すれば、環境破壊を中心として事態はさらに悪化の一途をたどり、人類社会にはもはや破滅しか残されていません。
破滅を避けるためには「持続可能性を追求する革命」が、今早急に必要であるというものでした。
「すばらしい高速道路の行きつく先は、禍いであり破滅だ」とするカーソンの立場、その破滅を避ける他のための「べつの道」は、「持続可能性を追求する革命」というメドウズらの立場に近いとみることができるでしょう。
21世紀環境立国戦略(2007年)で謳われた低炭素社会、循環型社会、ならびに自然共生社会を統合した社会の構築という基本施策は、今後とも堅持していくものでしょう。
これらは決して目指すべき社会が複数存在するわけではありません。
それぞれの側面の相互関係をふまえ、わたしたち人間も地球という大きな生態系の一部であり、地球によって生かされているという認識のもとに、統合的な取り組みを展開していくことが不可欠なのです。
低炭素社会とは、気候に悪影響を及ぼさない水準で大気中の二酸化炭素などの温室効果ガス濃度を安定化させると同時に、生活の豊かさを実感できる社会。
循環型社会とは、資源採取、生産、消費、廃棄などの社会経済活動の全段階を通じて、3R、すなわち
Reduce(リデュース=廃棄物の発生抑制)、
Reuse(リユース=再使用)、
Recycle(リサイクル=再資源化)
の取り組みにより、新たに採取する資源をできるだけ少なくした、環境への負担をできる限り少なくする社会。
自然共生社会とは、生物多様性が適切に保たれ、自然の循環にそうかたちで農林水産業をおこなうことで、自然の恵みを将来にわたって享受できる社会のことです。
しかし、東日本大震災の経験を踏まえ、安全・安心な社会づくりの重要性が再認識されたいま、それを三つの社会像にもうひとつ付け加えるのではなく、それらの根底にあるものと位置付け、持続可能な社会が構築されると考えるべきでしょう。
本来、原発再稼働のための安全基準のように「安全」は科学的根拠を持って国が定めるものの、「安心」は主観的概念であるので、個人ひとりひとりが判断するという指摘がされています。
安全についてのコミュニケーションを十分に取ることで、相互理解が深まり、その信頼関係によって人びとは安心を得るのです。
ここでの持続可能な社会とは、健康で恵み豊かな環境が地球的規模ら身近な地域まで保全されるとともに、それらを通じて世界各国の人びとが幸せを実感できる生活を享受でき、将来世代にも継承することができる社会のことです。
これまでの物量的な豊かさだけではなく、日本人が大切にしてきた人と人とのつながり(礼儀正しさや謙虚さ、思慮深さなど)や、自然との共生など生命のつながり(いのちの共生)を実感できる質的な豊かさに重点を置いた政策が2014年度から整理・展開されています。
環境・生命文明社会が目指す社会は従来の発想や価値観からの転換を迫っています。
カーソン博士の文才は、お母様からの
文学指南があってのことや
『沈黙の春』(1962年)の前に、
海三部作といわれるいわば前哨戦があり
『潮風の元で』(1941年)、
『われらをめぐる海』(1951年)、
『海辺』(1955年)が下支えをしているということ
さらに海ものばかりなのは
”海洋生物学専攻”だったからとか、
遺作『センス・オブ・ワンダー』(1965年)の
重要性、それを踏まえて日本では何ができうるか
までをまとめられている多田先生は
日本レイチェル・カーソン協会の会員で
あるからかカーソン愛が横溢されつつ
迷っている我々の行先に明かりを
灯されているかのような思想書なのでした。
実際は環境問題という括りで考えると
様々なファクトを通して考えないとならないので
慎重にならざるを得ないのでございまして
昨日も投稿したのだけど”脱炭素”という所が特に。
ですが、重要資料であることは間違いない
書だなあと思った次第でございます。
話は唐突に変わりまして
本日連休だったため比較的近くで
古本屋さんが多い町まで行って27冊(8.7kg)
買ってきた事は妻には内緒にしておこうと
思った夜なのでした。