多田先生から”教養”を、養老先生から”普遍”を感じる [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
寛容と希望 〔未来へのメッセージ〕 (多田富雄コレクション(全5巻) 第5巻)
- 出版社/メーカー: 藤原書店
- 発売日: 2017/12/20
- メディア: 単行本
IV 科学と医学の未来
教養とは何か
初出;『信濃毎日新聞』1999年7月7日(『懐かしい日々の想い』)
から抜粋
予定が立て込んでいる中を、無理して能楽堂に能を観に行って来た私に大学院の学生が言った。
「お忙しいのに、よくそんな時間が取れますね。ぼくは狂言は少しはわかるけどお能の方は退屈でわかりません」
私は言下に言った。
「それは君に教養がないからです」。
そう言ってから考えた。
教養って一体何なのだろうか。
そう言えば思い出したことがある。
もう10年近くも前だろうか。
東京大学教養学部の学内新聞で、教授たちに「教養とは何か」というアンケートを出したことがある。
匿名ということもあって、いろいろ面白い答えがかえってきた。
それを読んで気づいたことは、教養というのは実利的な意味では何の役にも立たないが、人間が物を判断する時の基礎となるものらしいことだった。
実利から離れた価値を知ること。
それが教養だろう。
現代のような複雑化した社会では、固定した単一の価値観で世界を判断することはできないし、危険でさえある。
民族紛争や国際摩擦は、それぞれの一方的な見方、固定した価値観同士のぶつかり合いから始まる。
それを相対的に眺めて解決の道を探る、複眼的な眼差しこそ教養なのではないだろうか。
東大には教養学部という名前が名目上まだ残っているが、大部分の大学ではここ10年余りの間に教養学部という学部は姿を消した。
代わって実利的な専門教育が前倒しになった。
ことに医学部では、6年間一貫教育という実利主義的理念のもとに、大学に入るとすぐに専門教育がスタートし、以前にあった一般教養の課程はなくなった。
4年間のカレッジを卒業することが、医学部に入る前提となっているアメリカとは大違いだ。
いきおい国家試験合格のためだけのカリキュラムが組まれ、実用的なエンジニアとしての医師を作り出すことが目的になった。
医科大学は職業訓練所になってしまったのである。
そこで教育された医師が、たとえ修理工としての高度な技術を身につけたとしても、複雑な社会的文化的背景を担っている患者という人間を理解し、治療することができるのであろうか。
理系の学生にとっても、本当に新しい発見や開発のシーズとなるはずの一般教養は、絶対に必要だろう。
文系の学生だって、いま生物学を知らずして人間の心や社会を理解することはできまい。
そういう意味では、たとえ時間の無駄と思われようとも、能楽堂に行って「死者」の眼で現実を眺めるような機会を持つことは、若者にとっても大切な「教養」だろう。
多田先生の主戦場である
免疫学のなんたるか、を自分は
まったく不勉強で理解には
自信がないのだけれど
この書は本当に興味深い
随筆で埋め尽くされている。
面白い!が満載だった。
上記の随筆はアメリカと日本の比較として
医療や学問への疑問があり
そのお考えの継承が後の、
日本でもリベラルアーツが必要であるという
流れなのかなと感じた。
この書籍全体に話を戻してまして
若い頃の回想や古典芸能についての関わり方や
科学の未来を慮るお気持ちなど、じっくり
このコレクションを全巻読みたいが時間と財力が…。
それは一旦置きまして、この書の解説が
養老先生で、表現が稚拙ですみませんが
さらに”すごい”のです。
<解説>
多田富雄さんの世代と生き方
個性とは何か
から抜粋
免疫学という、当時の最先端の科学の世界にいながら、多田さんは同時に能を離れなかった。
こうした生き方は、特に科学者にとって大切である。
システム化された科学の世界は、どうしても専門家であることを要求する。
その視点からすれば、古典芸能なんて、要するに暇つぶしに過ぎない。
でも多田さんは若い世代に世阿弥の『風姿花伝』を読むように勧める。
さらには「能と日本人の個人主義」を語ろうとする。
能が科学者としての多田さんにとって、骨肉化していたことがよくわかる文章である。
私が多田さんに出会ったのは、じつは遅過ぎたような気がする。
もう少し早く出会う機会があれば、自分がもう少し早くものを理解したのではなかろうかと思う。
だから若い人にこの作品集を読んでもらいたいのである。
古典芸能のことも、自分でそれを多少とも理解するようになったのは、中年を過ぎた頃だった。
他人のせいにするわけではない。
しかし戦後の日本社会の雰囲気では、古典芸能など、ほとんど時代遅れの産物だった。
そうしたものに触れる機会も、ほとんどなかった。
でも真の普遍性に時代遅れなどない。
いわゆるグローバル化、国際化が普遍性なのではない。
人間の本性に基づくもの、それが普遍なのである。
多田さんはそれをよく理解し、しかもそれを身に着けていた。
その意味でも多田さんは真の教養人だったと思う。
2018年頃の養老先生の解説で
比較的に新しいのだけれども
実は別の多田先生の書籍の
解説の方が、最も強くしびれた。
2007年とのことで古いのだけれども
そういうのとはあまり関係がないようで
こういうのが”普遍”なのでしょうなあ。
多田さんが定年で大学を辞めた1年後に、私も辞めた。
定年前だったが、もう大学にいる気がしなかった。
多田さんがいないということも大きかった。
近くに話し相手がなくなったからである。
わざわざ話さなくたって、そういう人がいるだけでなんとなく安心。
そういうことって、あるでしょうが。
なにを話したかって、特別なことはない。
きちんと決められた業務、それを果たすことだけが仕事であり、人生である、ひたすらそういう世界で、全く違う話ができるのが多田さんだっただけのことである。
高校時代から鼓を習ったこと、それも問わず語りに聞いた。
能が好きだなんて、変な医学部教授だわ。
でもわかる。
私は虫が好きで、これもはなはだ変なことだったから。
『寡黙なる巨人』のなかで、私の胸を撃つ記述がある。
病気の前に自分は生きていなかったが、病を得てからは、毎日生を感じているという意味のことである。
これだけは現代人の心に何としても届いて欲しいと、私が思うことである。
多田さんは動く指ただ一本で、これだけの作品を書いた。
あんたら、なにを寝ぼけてるんや。
五体満足でなにをブツブツいうんか。
ふざけんじゃない。
現代人は生きることを失って久しい。
能は中世の世界で、中世とは人が生きる世界だった。
それは同時に死をつねに意識することである。
平和な時代の人たちは、それを乱世とも呼ぶ。
多田さんの人生が良かったか悪かったか、そんなことは知らない。
でも多田さんが最後に真の意味で「生きた」ことだけは間違いない。
それは素晴らしいことで、きっと多田さんはあの笑顔で、いまも心から笑っているはずである。
この書籍、もちろん多田先生の本編も
壮絶だけど美しい書であることは
間違いないのだけれども、この養老先生の
解説は本当に素晴らしすぎて涙を誘うのです。
養老先生の書評は本当に一種の”凄み”を
感じるものが多くて腰の抜ける思いのする
それは夜勤明けだからではないことを
謹んでご報告したいと思っておる
雨の夕刻、妻と買い物をしてきたところ
子どもは泣きべそかきながら試験勉強中です。