2冊のダーウィン本から”魅惑”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
第6章 進化
自然選択から
妥当な進化のしくみを考え、それを生物学者の心の中にしっかりと確立した人は、イギリスの博物学者チャールズ・ダーウィン(Charles Robert Darwin 1809-82)である。
彼はこの本で前に述べたエラスムス・ダーウィンの孫であった。
1813年、軍艦ビーグル号が地球をまわって科学的探検の航海に出発しようとした時、ダーウィンはその船の博物学者のポストをすすめられて、受諾した。
航海は5年かかり、ダーウィンは船酔いに苦しんだが、この航海が彼を天才的な博物学者にした。
さらに、彼のおかげで、ビーグル号の航海は生物学史の上で、最も重要な探検旅行となった。
ダーウィンは出発前にライエルの地質学の本の第1巻を読み、地球の古さと生命が発達するのに長い年月がかかったことをはっきりと理解していた。
さて、航海中彼が南アメリカの海岸を旅行していたとき、いかにして種は互いにとりかわるかーー連続する種はそれがとりかわったものとの種とわずかしか違っていないーーということに気づかざるをえなかった。
しかし、ある点、ある鍵になる重大な点が、未解決のままであった。
何がそのような進化的な変化の原因となったか。
何が種子を食べていたあるフィンチの種を、昆虫を食べる別の種のフィンチにしたのか。
ダーウィンはラマルク主義者風の説明を受け入れることができなかった。
ラマルク主義者風の説明では、フィンチは昆虫を食べようと努めた。
そしてその嗜好が子孫に伝わり、だんだんそれを食べる能力が増加したという考えである。
あいにく、ダーウィンはこれにかわる別の答えを持っていなかった。
それから、英国へ帰って2年目の1838年、ダーウィンは40年前にイギリスの経済学者マルサス(Thomas Robert Malthus 1766-1834)により書かれた『人口論』という題の本をふと見つけた。
この本の中で、マルサスは人口が食物の供給より常に早く増加すること、そしてついに人口は飢餓、病気、あるいは戦争によって減少しなければならないことを主張した。
ダーウィンは、すぐにこのことが他のすべての生物にもあてはまらねばならないこと、最初に減らされたのは、食物に対する競争に弱点をもつものであると考えた。
たとえば、ガラパゴス諸島における最初のフィンチは初めは抑制なしに増えたに違いない。
そして、それを常食にしていた種子の供給を上回って増えたに違いない。
その結果あるものは飢えねばならなくなった。
しかし、あるものがより大きな種子を食べられるようになったり、より硬い種子を食べられるようになったり、あるいはたまたま昆虫を呑み込むことができると気づいたりしたらどうであろうか。
このような異常な能力を持たないものは飢餓によって抑制できるであろうが、たとえ非能率でも、そのような能力のあるものは新しいまだ使われていない食物を見つけ、ついでその新しい食物が減り始めるまで、急速に増殖することができる。
いいかえれば、環境の目に見えない圧力が差異の誘因となり、別の種が形成されるまで違いの上に違いをつみ重ねるであろう。
別の種とは、おのおのが他のものと異なり、共通の先祖とも異なる。
いわば、自然自身が食物が不足したとき生き残るものを選択し、そのような自然選択によって、生命は無数の種類に枝分かれしたのであろう。
さらにダーウィンは、必要な変化がどのように生じたかをみることができた。
彼は人為選択の効果を研究するためにハトを飼い、そして家禽(かきん)のかわった種類を繁殖させることについて自ら経験した。
彼はこのどのグループの中にも互いにまちまちな変異があるのをみた。
変異は、大きさ、色彩、能力にみられる。
そのような変異を利用し、慎重にそれを繁殖させたり、他のものを抑えたりすることで、何代もかかって、ウシ、ウマ、ヒツジ、ニワトリの改良品種をつくることができる。
そして、またイヌや金魚を彼の好みにあった、かわった、おかしい形にかえることもできる。
ダーウィンは”雌雄選択”も研究した。
それから、彼は昔は完全に有用であったことを示す痕跡器官についての資料を集めた(一つの劇的な例として、クジラとヘビはかつてのそれらの腰帯(ようたい)や後ろ足の部分を形成していたらしい骨の断片を持っていることから考えると、これらの動物がかつては足で歩いていた生物の子孫に違いないとわれわれに強く信じさせる事実がある)。
ダーウィンは労を惜しまず、物事を完全に成し遂げる人で、自分の見聞を集め、分類することを果てしなく続けた。
訳者あとがきーー学術文庫版の刊行にあたって
2014年初夏 太田次郎
から抜粋
著者は、SF作家であり、優れた科学のの啓蒙書の著者として有名なアイザック・アシモフである。
彼はまた、ボストン医科大学の生化学の教授も勤めていた。
このような生物学の流れを考えてみると、古代から現代に至る生物学の歴史を一人の著者がまとめあげるのは、不可能に近いと思われる難事である。
しかし、1964年にアシモフが著した本書は、彼の博学と文才を武器としてこの難時をやりのけ、手際よくまとめ上げている。
ふつう、生物学史は、自然発生・生命観・進化説など、いわば思想史的な面が中心になりがちだが、アシモフはこれらの面と共に、生物のはたらきを中心に、生化学や分子生物学をはじめとする当時の最新の研究にも多くのページを割いている。
アシモフの語る生物学の歩みは、一般の方々にとっても格好のガイドブックとして興味深く有意義な読み物になってくれるのではないか。

ダーウィン以来: 進化論への招待 (ハヤカワ文庫 NF 196)
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1995/09/01
- メディア: 文庫
1章 ダーウィンのためらいから抜粋
ダーウィンは、自分が何をやったのかということを十分に理解していた。
彼がこの理論の発表を延ばしていたのは、自分のやったことがどれほどたいへんなことか理解していなかったためだとすることはできない。
というのは、彼は種に関する理論の概要とそれが意味するところを、1842年に、また1844年にはさらに加筆してすでに書き上げていたし、もし自分が主著を書く前に万一死ぬようなことがあったら、せめてこの草稿だけでも出版するように、という厳命を妻に残していたのである。
では、なぜ彼は自分の理解を発表するのを20年以上もおくらせたのだろうか。
今日、われわれの生活のペースは非常に加速されてきておりーーーその犠牲になっているものに会話の技術や野球の試合があるーーー、過去の一定の期間を非常に長い期間だったように勘違いすることがよくある。
けれども人間の寿命はつねにある尺度となるものだ。
20年といえば、今でも一生のうちで働いている期間の半分に当たると考えて良い。
ゆったりとしたヴィクトリア女王時代の規準によって人生の大きな一区切りとなるものである。
ダーウィンが自作の発表を遅らせた動機は何か、などという複雑な問題に単純な解答などありはしないが、一つだけ確かだと思われることがある。
多くの証拠が必要だという積極面と同様に、恐怖心という消極的な要素が大きな役割を果たしたに違いないということがそれである。
それならば、ダーウィンは何を恐れたのだろうか。
マルサスを読んでひらめきを得たときのダーウィンは29歳であった。
彼は専門の職についていたわけではなかったけれども、ビーグル号に乗って成し遂げた優れた仕事に関しては、すでに科学者仲間の称賛をかちえていた。
証明できない異端の見解を公表することによって、洋々たる前途をあやうくするつもりは、彼には毛頭なかったのである。
それでは、彼の異端とは何だったのか。
進化を信じたそのことが答えであることは明々白白である。
けれども、これは答えの主要部分であるはずがない。
というのは、一般に信じられているのとはちがって、進化は19世紀の前半においてはかなり広まっていた異端だったからである。
進化はひろくあからさまに論じられていた。
たしかに大多数の人びとはそれに反対していたが、ほとんどの偉大な博物学者たちはそれを認めており、あるいは少なくとも考慮に入れていた。
答えは、ダーウィンの初期の2冊の驚嘆すべきノートに含まれているようだ。
グールド博士のダーウィン論は
かなり面白いと言わざるをえない。
この後、哲学とダーウィンの関係性を
説かれていて、おそらくそうなのだろうけれど
それとは別にこういう書きっぷりは
ダーウィン愛を強く感じさせる。
こういうのは文才のなせる技なのか
自分の好みだというだけの事なのか。
本文とは外れるけれども見逃せないのが
渡辺政隆先生の解説に、グールド博士来日時
息子さん帯同され、ヤクルト対カープを
神宮球場で観戦され東京音頭で傘を振っている
観衆を写真に撮り、観戦中に吹き鳴らす
笛を購入したり、焼肉弁当の包み紙を
お土産にしたりとそんな微笑ましい
エピソードも興味深い一冊でございます。
余談だけれどダーウィンはなぜこんなにも
魅惑的なのかなんとなくわかる気が
するなあとも感じいったダーウィン三昧な
久々の連休でございました。
4冊のダーウィン関連書から”ビーグル号”を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
フィッツロイ艦長は、上陸隊の中にダーウィンをいれた。
ダーウィンはこのときはじめて、ほんものの先住民とむかいあった。
長い黒髪が顔のまわりになびき、顔とはだかのからだには、黒、白、赤の色がぬってあり、着物といえば、グアナコの皮の肩かけをひっかけてているばかり。
そして、イギリス人のいうことがひとこともわからないのに、おうむがえしにまねしていう。
イギリス人のひとりが歌をうたいはじめると、フェゴ人はびっくりぎょうてんして、こしを抜かすところだった。
ダーウィンは、胸のなかで考えてみた。
「こういう人たちは、どこからやってきたのか?どこか北の住みやすい地方にいただろうに、どうしてそこをすててこんなひどい土地にやってきたのか?」
とにかく、この種族は、こんなおそろしい気候にもとぼしい食べ物にもなれてこなければならなかったにちがいないはずだと、ダーウィンは考えついた。
いよいよ、ビーグル号は、マジェラン海峡を通り抜けて、南アメリカの太平洋がわにでた。
そして太平洋がわの海岸を測量するのに、また2年かかった。
ダーウィンは、何でもかでも、見て調べた。
植物でも動物でも、出あった土地の人々のくせやならわしでも。
ところが、チリで思いがけない冒険に出くわした。
ある日寝そべっていると、とつぜん地面の岩がゆれた。
はじめて地震に出あったのだ。
ダーウィンは、近くのコンセプシオンの町へ行った。
1けんも、ちゃんと立っている家がない。
ダーウィンは、大地の表面、つまり地殻が動くと、どういうことになるかをまのあたりにみた。
そればかりでなく、このとき、大地の歴史を知る手がかりもつかみはじめた。
地震が、むかしから地上をかえてきた力のひとつだったと、さとったのだ。
チリのバルパライソから、ダーウィンはアンデス山脈ごえの旅にでた。
山の空気は、水晶のように透きとおっている。
のぼりながら、ダーウィンは岩石をしらべた。
そして少しづつ、この大山脈の出来上がったすじみちを頭のなかに組み立てていった。
このころの地質学者たちは、アンデス山脈がある日とつぜん、大地震でもりあがったものだと考えていた。
けれどもダーウィンは、あたりのようすを見て、この大きな山脈がゆっくりとしだいしだいに高くなってきたしるしをよみとっていった。
ダーウィンは、ついこのあいだ、自分の目で、どんなにものすごい大地震でも、一度では地面がやっと1〜2メートルしかあがらないところを見た。
この高さまで山をせり上げるには、よほど長いあいだによほどたくさんかぞえきれないくらい大地震があったにちがいない!
アンデスの深いたには、そのふちに何千メートルといううず高いどろと砂と石の層をつくっている。
こういう土砂や石の層は、谷川がつみあげたものだと、ダーウィンは気がついた。
このかぎりない時間のうつりゆきのなかで、大地の表面、地殻はうつりかわって動くのだということが、ダーウィンにはだんだんわかってきた。
体験から疑問になったことが興味深い。
それにしてもこの書の挿絵
相当クールでイカしてます。
写真などないと思うため、おそらく
想像で描かれていると思うのだけど
絵のタッチも二色刷りの制限された色合いも
かなり素敵でございまして、テキストを
補足して余りある存在感を放っている。
56年前の子供向けの書だけれども
テキスト含めかなり楽しめてしまった。
”系統樹”が透けて見えてくるようだった。
1 ダーウィンの出生、社会環境、そして『種の起原』の成り立ち
ビーグル号航海
から抜粋
ダーウィンが、世界の測量や調査を主目的とするイギリス海軍の軍艦ビーグル(Beagle)号に乗船し、約5年にわたって南半球の地質および動植物について研究したことが、博物学者かつ進化論者としてのダーウィンの道を決定したことは、有名である。
この乗船は、ケンブリッジ大学卒業とほとんど同時に恩師の植物学者へンズローから勧められ、いろいろのいきさつはあったが実現したものである。
ダーウィンは艦長フィッツ=ロイの友人として航海に同行し、航海先の各地で博物学的の調査、標本の採集などをした。
標本は次々にイギリスに送られ、航海中にダーウィンの名が故国の学者たちに知られるまでになった。
じつはダーウィンは卒業の少し前にアレクサンダー・フォン・フンボルトの『南アメリカ旅行記』(1799ー1804年になされた探検の旅行記)を読んで感動し、書中にでてくるテネリフェ島への友人たちとの旅行計画を立てたほどであった。
それがビーグル号航海として実現したことになる。
ビーグル号がイギリスを出たのは1831年12月、帰国は1836年10月であった。
出航の時ダーウィンはヘンズローから、刊行されてまもなくのライエル著『地質学原理』(1830ー33年)第1巻を手渡されて携行した。
ライエルは近代地質学の方法を基礎づけこの科学を体系化した学者、すなわち近代地質学の父であり、この著作は地質学の最重要の古典である。
ダーウィンの進化論がいついつ生まれたものかにはいろいろ議論があるが、『自伝』では次のように述べられている。
「ビーグル号の航海の間、私は、現生のアルマディロが持つようなよろいで覆われた大きな化石動物をパンパス層で発見したことに、次には大陸を南にくだるにつれて順次に、密接に類似した動物でおきかわっていく様子に、第三に、ガラパゴス群島のほとんどの生物が南アメリカ的な特徴を持っていることに、またそれにもまして、群島のどの島も地質学的な意味で古くはないらしいのに生物はそれぞれの島で少しずつ違っているその様子に、深く印象づけられた。」
「これらの事実は、他に同様の事実も多くあるが、それらは種が漸次(ぜんじ)的に変化するという仮定で説明されうることが明らかであった。」(107ページ)
ガラパゴス群島は、いまは諸島と呼びかえられているいるが、ダーウィンフィンチやウミイグアナなど、ダーウィンの進化論にゆかりの動物がたくさんいることで有名である。
八杉先生の徹底的な調査が凄まじい。
ほんの一例でございますが
P72 ダーウィン年譜
の欄外から
ビーグル号が日本海軍に練習船として売却され乾行と命名されたという説が一時あったが、これは誤りである。
ダーウィンが乗ったのはイギリスの海軍の三番目のビーグル号で、日本に売られたのは四番目の艦であった。
その他、テキスト以外にも図や対照表もあり
かなり分かりやすいしそれぞれが興味深い。
さらに巻末の”ダーウィン著作”を見ていて
改めてだけど、わかったことがあり
ウォレスがなぜ自分の論文をダーウィンに
謁見賜ったのかは、このビーグル号航海記が
出版されてたから、ダーウィンが国内で有名で
さらに読んで感銘受けてなのか、と。
ちなみに『ビーグル号航海記』が1839年で
『種の起源』が1859年なので
20年も出版には時間がかかり
かなり暖めていたというのは有名だが
こういうことか、と納得した次第。
1858年、つまり直前には連名で
”ジョイントペーパー”なる論文を
学会で発表した経緯なども記される。
ちなみに、20年の間何も出版していなかった
わけではなくてダーウィン流の地質学の書も
出版していたとも。
その他この書には「進化思想は古代からあったか」
としてダーウィンの進化論以前のことも記される。
余談だけれども自分はこちらの2冊を
先に読んでいたので情景を浮かべながら
八杉先生の書を読めたので良かったのかも。
絵の力ってすごいと感じた。
過信し過ぎもよくないとは思うが。
こちらも気になった次第でございます。
イギリスとアメリカの進化論論争。
第5章 現代の進化論的人間観
4 現代ダーウィニズムと人間的自由
人間と社会、そして文明ーー社会生物学をめぐって
から抜粋
人間の起源および進化と、文明の成立及び発達と、この二つは、いうまでもなく密接不離の問題である。
しかし、現代の人間論で必ず登場する問題に触れずに通りすぎるのは妥当ではない。
その問題というのは、社会生物学の、あるいは社会生物学者の、人間論である。
ウィルソンの大著『社会生物学』の最終章(第27章)は「ヒトーー社会生物学から社会学へ」と題され、人間の社会的及び文化的行動、また倫理的問題などを、遺伝子支配の基本理念で論じている。
ウィルソンはついで『人間の本性について』(1978年)をあらわし、所説を敷衍した。
この間にドーキンスの前記『生物=生存機械論』も刊行された。
アメリカでは断続的平衡論者のグールドや遺伝学者のウォンティンその他「人民のための科学」(Science for the People略してSftP)のグループが、特に強固な反対論を唱えた。
グールドの批判的意見は、かれの著作『ダーウィン以来』で見ることができる。
この書物の最終の部分が、社会生物学の議論にあてられている。
グールドは社会生物学そのものに反対なのではなく、人間のさまざまの行動(攻撃性、外国人嫌い、画一性、同性愛まで含め)にそれぞれの遺伝子が存在するという、徹底した遺伝決定論を批判する。
かれによれば、特定の社会行動の遺伝的コントロールに関する直接の証拠は、今のところ何もないという。
八杉先生は’97年に亡くなっておられるから
それ以降の進化論論争は、ご存知ないのが残念。
’97年以前のダーウィン本としては
国内では最高峰なのではないかと感じた。
あくまで読んできた範囲でってことですが。
八杉先生のWikiを見ると”ルイセンコ学説支持”
とのことでそれが何かよく分かりませんが
(獲得形質が遺伝するというソビエトの
反遺伝学運動とあるけれども)
たしか伊藤嘉昭先生を読んでたら
出てきてたような記憶あるが
そういう時代だったのかなあと想いを馳せる
本日は休日、神田ではない古書店街まで
フィールドワークに行った移動電車内での
読書でジメジメ暑い1日でございました。
今西錦司先生の書から”詩人の感性”を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
付録的な2つ折りの冊子的なものから。
ページ表記があるのとないものは
何故なのかは謎でございます。
名著のことば
中公クラシックス
JB
2002年6月
もし世界が成り立たせているものが、どれもこれも似ても似つかぬ特異なものばかりであったならば、世界は構造を持たなかったかも知れぬ
(10ページ)
相似と相異は、地と柄との関係である。
両者の存在を前提として、はじめて全体が構造化される。
相似と相異という概念は、生物の世界にわけいっていくときの重要な鍵となる。
生物はあくまでも生物であって、細胞にあらずまた単なる物質でもない
(54ページ)
生物は、物質や細胞によって構成されている。
それも、有機的に統合されたひとつの全体としてなりたっているのである。
むしろ生物の立場にたっていえば、たえず環境に働きかけ、環境をみずからの支配下におこうとして努力しているものが生物なのである。
(78ページ)
機械的な環境決定論の視点だけからでは、生物の世界の実像はみえてこない。
生物と環境を、全体的にひとつの体系としてとりあつかう必要がある。
すると同じ種類の個体同士というのは、血縁的地縁的関係のもとに結ばれた生活形を同じゅうする生物であるということができるであろう
(90ページ)
同種の個体は、ばらばらに存在するのではなくて、同じ機能を持ち、同じ場所で同じような生活を営む。
同じ生活内容を持つものが相あつまって、連続した環境を棲み分けるのである。
だからわれわれの世界というものは根本的に不平等な世界であり、不平等はわれわれの世界が担っている一つの宿命的生活であるともいえる
(107ページ)
地球上の水陸の分布は不平等であるし、太陽の輻射(ふくしゃ)熱はすべての場所に平等に降り注いでいるわけではない。
それだからこそ、風や海流による均一化の運動が発生し、多様な生物社会が成立しているのである。
このように相対立し、したがって棲み分けせざるをえないような社会のことを私は生物の同位社会と名づけたのである。
同位社会は、生物の個々の社会のよりあつまりからなる平衡状態をたもった共同社会である。
棲み分けによって、社会の並立が可能になる。
全体は部分無くしては成立せず、部分はまた全体なくしては成立しないような全体と部分との関係を持しつつ生成発展してゆくところに、生きた生物があり、生物の生長が認められる
(138ページ)
生物の世界は、すべてを細分化してゆく還元主義的な立場からとらえることは困難である。
つねに、全体を把握する努力が必要である。
進化は必然の自由によってもたらされたものでなくて、偶然の不自由に由来するものである。
(164ページ)
すべての生物は、環境に働きかけをうけるなかで生きてきた。
偶然のなりゆきのまま、進化の道をあゆんできたのではない。
現状維持が死を意味するとき、生物はつねになんらかの意味でよりよく生きようとしているものであるということができる
(165ページ)
環境への適応は、よりよく生きようとする生物の根源的なレベルでの表現形である。
生物は、生きることを優先的にえらぶように方向づけられている。
だが進化における自己完結性はつねに創造の自己完結性であった
(184ページ)
生物の世界の発展は、けっして偶然の蓄積にもとづいて展開してきたのではない。
ひとつひとつの生物にも、生物の世界全体にも、内在的に方向づけがあたえられている。
それは、よりよく生きようとする方向づけである。
ほとんど詩のようです。
編集者さんがそういう構成にしてるのかもだが
これは詩人の感性ではないかと思った。
それは生物を生業にする方にとって
必要なスキルではない、と思うのは
多分間違いで、あったほうが良い
というのは単なる直感。
だとして、それがあったからといって
何が有用なのかは実はあんまり
よくわからない。
けれど豊かな感性があったら
どんなジャンルでも損はないのでは
なかろうかなんて。
生物進化について”偶然性”を強調するに
至った理由はなんなのだろうか。
グールド先生との共通点がありそうな
そこも新たに追求してみたくなりそうな。
それにしても、動物・人類学者にして
登山家だったり組織統括人だったり
そして自分感じるのは詩人か、と
まったくマルチというか八面六臂な
タレントをお持ちの方のようで
かつ京都西陣の織元の家にお生まれだから
「相似と相異は、地と柄との関係」なんてのが
出てくるのかと納得、かつ驚愕せしむるも、
本日は夜勤のためそろそろ昼食とって
仮眠させていただく予定でございます。
『利己的な遺伝子』の評価から”未来”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
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第5章 科学観
遺伝子から見た人間の世界
から抜粋
『スイッチ・オンの生き方ーー遺伝子が目覚めれば、人生が変わる』(村上和雄)や『利己的な遺伝子<増補新装版>』は、ぜひ読んでいただきたい本です。
人が持っている力を発揮できるかどうかは、そのほとんどが遺伝子に「スイッチ・オン」にするかしないかで決まってくるというのが前者の内容です。
『利己的な遺伝子』はとても有名な本。
遺伝子は主であり、自分をコピーして残していくために人間を使っているという話です。
著者のドーキンスは、もはや人間は個体として存在しているのではなく、遺伝子の乗り物であるといったことを語っています。
こういう見方をしていくと、「個」というものが何なのか、よくわからなくなっていきます。
ミトコンドリア的な話になっていきますが、二重らせんが人間の「個」を超えていくというのです。
私たちは今「個を尊重する文化」に生きていますが、長い歴史や最先端の科学の中に、それ以外の見方がこんなにあるのだということを知っておくのも、ひとつの教養でしょう。
古代エジプトの見方があり、ギリシャ神話の見方があり、アイヌの見方があり、そして遺伝子という見方がある。
遺伝子という観点から見ていくと、人間は主体的に動いているのではなく、遺伝子が主体であり、私たちはそれの乗り物にすぎないという。
「ええっ!?」
と思いますが、言われてみるとそうかもしれないと思ったりもします。
遺伝子の本はたくさんありますが、ドーキンスはこれらの理論の中で
「だから、神はいないのだ」
ということを懸命に繰り返します。
一神教を信じる人が少ない日本人から見れば「まあそうでしょう」という感じですが、遺伝子を中心に考えると、人間の個や自我よりもっと大きな流れの中で、自分という個が位置付けられていく。
これは神話的な世界観にもつながっています。
やがてみんな死んでいくけれど、すべてはその中に溶けていくのです。
ドーキンスは、遺伝子ですべてが決まってしまうという決定論だけを言っているわけではありません。
文化的な遺伝子をミームと名づけ、私たちが文化を継承していく存在として意義を見出すことも、提唱しています。

なぜ飼い犬に手をかまれるのか 動物たちの言い分 (PHPサイエンス・ワールド新書)
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第2章 動物の言い分、私の言い分
利己的な遺伝子
から抜粋
「利己的な遺伝子」という言葉はもちろん、「生物(個体)は、遺伝子のヴィークル(乗り物)である」というドーキンス一流のたとえは、誇張されて誤解もまねいた。
これは上等の科学書である本書が、読みやすく、多くの読者を得た、その代償でもあった。
論争にさらされたドーキンスは、初版の原稿はそのままに、批判や新知見については最小限の章や注を入れることで、出版30周年記念版となる第三版をあらわした。
その序文で、『利己的な遺伝子』は、時代遅れになったり、無用なものになっておらず、さらに
「大慌てで撤回したり謝罪するところは本書にはほとんどない」
と述べている。
私は、初版から第三版まで、訳者として長くこの本に付き合ってきた。
そもそも動物は、本当に自分を危険にさらすようなことはしない。
相手を殺そうと思えば、こちらも返り討ちにあいかねないのだ。
動物は、賭けはしないのである。
それを「利己的」というのなら、そのことによって、自然は結果的に調和がとれていることになる。
つい最近までは、自然の調和のために1匹なり1頭なりが存在するという考えが主流だった。
しかし、今は1匹の、その一部の遺伝子の淘汰の結果、全体の調和がとれているのだという考えが注目されている。
とすれば「自然の調和を乱すな」という考え方は宙に浮いてしまう。
目的があるから、そうなっているのだという見かたは、耳目に入りやすい。
しかしそれが正しく自然をとらえているのかというと、疑問の残るところなのである。
ミーム から抜粋
近ごろあまり話題にはされないが、ぼくは「ミーム」というものに関心を持っている。
イギリスの動物行動学者リチャード・ドーキンスがミームという言葉を作り出した時以来、ミームはぼくの最大の関心である。
人間が他の生き物とちがうのは、文化を持つことである。
文化の存在は、人が人へと伝えることで続いていく。
そこでドーキンスは、文化を伝える想像上の「遺伝子」に、ミームと名前をつけたのである。
人間は多くのミームを残そうとするが、良いミームは広く伝わり文化として継承され、悪いミームはやがて消えてしまう。
このミームを残したいという願望は、場合によっては、生き延びて、子孫を残したいという生物としての本能に反し、遺伝子は残さなくてもいいから、ミームを残したいという形をとることすらある。
これは生きものとしては異常なことで、人間の大きな特徴であろう。
死ぬときに、まだやり残したことがあると、たいていの人が悩むのも、ミームを残したいという願望のあらわれであろう。
人間の文化というと風呂敷が大きくなるが、たとえば小鳥のさえずりに注目しても、ミームの存在を裏付けるような現象がみられる。
小鳥の鳴きかたには地域ごとに少しずつちがいがある。
これは人間の方言を考えてみればよくわかるだろう。
人間を特徴づけている文化は、ミームによって伝えられ、その拘束は、表面上は生物としての本能よりも強固なものになっている。
ミームは複数の文化を生み、それらは反発したり、融合したりして、またミームによって次世代へ伝えられる。
その過程で人間は殺し合いをしたり、生物としては死ぬ状態にあったものが延命されたりする。
さきに、よいミームは広がると言ったが、これは「善良な」「素晴らしい」ということではない。
遺伝子とおなじようにより多く選択されたという意味だ。
ドーキンスはミームも遺伝子同様、ダーウィン流の選択によって広まっていくと考える。
ある人たちにとって「悪い」ミームであっても、選択される理由があればミームとして広まっていく。
ミームが遺伝子と異なるのは、伝わる相手が自分の子孫だけではないことだ。
ミームが伝わっていくのは、たとえば教え子であったり、読者であったり、民族であったり、信者であったりする。
よくもわるくも、人間という生きものが、地球上で繁栄しているのはミームによって複製され、伝えられる文化によるものなのである。
出版されて40年も経っているのに
いまだに話題になるだけでもすごい。
"ミーム"は最近よく使われているのを
日高先生がおられたらなんと
仰るだろうかなんて思ったりもして。
コロナ禍を経験し生活や人生を
改めて考えざるを得なくなったことも
影響しているのかと思っているのだけど
昨今のミームの使われっぷりについては。
『利己的な遺伝子』に話は戻りまして
その後のこの書の未来というか
フォロワーたちについて気になるところだったり。
Picke #6 長谷川眞理子 推薦書
イタイ・ヤナイ、マルティン・レルヒャー
『遺伝子の社会』
進化生物学の古典的名著に、1976年に出版されたドーキンスの『利己的な遺伝子』がある。
その後、同書にインスパイアされて育った世代が、進化生物学を塗り替える研究を行っている『遺伝子の社会』はその代表的な一冊だ。
ヤナイは、「個体の中に存在する膨大な遺伝子は、その中の一つひとつが自己の存続だけに資するバラバラな存在ではなく、個体という環境の中での共生がなければならない、社会的な存在だ」と説く。
個体が生き延びれば共に生き永らえ、個体が死ねば共に死ぬ。
運命共同体とも言える遺伝子同士は、時には敵対し、時には協力し合いながら、相互作用を繰り返していく。
まさに私たちが生きる社会そのもののような関係性を遺伝子も築いているというのである。
ガン細胞やセックスなど、遺伝子が関連する様々な事象についても「遺伝子の社会」という文脈でメカニズムを解き明かしていく。
『利己的な遺伝子』が出版されて40年。
その間、新たに判明した研究知見をもとに、新たな世代の研究者が新説をアップデートしていく。
まさに進化生物学研究そのものが「進化」しているのだ。
読んでみたいです!
地球の歴史を知ることは
自分を知ることにも繋がりそうだと
深淵なる哲学的な命題を思いつつも、
天気の良い休日午後は久しぶり、
お風呂とトイレ掃除も済んだので
自宅の通信回線のブランドスイッチを
協議するためのMtgのため携帯ショップに
妻と行った後、本屋さんに行く予定です。
2つの論評から『利己的な遺伝子』を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
『利己的な遺伝子』の”群淘汰”について、
「7 家族計画」に記述があり
しかしそれはティンバーゲンにより
訂正されたという記述があったのでございますが
これは追求しだすと長考する可能性大なため
ここでは一旦スルーで別日にしたいと思います。
じゃあ、そんなこと投稿するんじゃないよ。
改めまして、以下興味深い2つの書籍から。
法を信じるか
ドーキンス『利己的な遺伝子』
から抜粋
この本のはじめに、動物学者シンプソンの言を引用して、ドーキンスは言う。
人間とは何か。
1859年以前には、この疑問に答えようとする試みは、すべて無価値だった。
「われわれの存在理由について、筋が通り、かつ理にかなった説明をまとめた」のがダーウィンだった、と。
1859年は、『種の起源』の初版が出版された年である。
さらに「序」のなかでドーキンスはいう。
「利己的遺伝子説はダーウィンの説である。」
ドーキンスは、生物は遺伝子を運ぶ機械とみなすことができる、という考えを述べる。
遺伝子は、自分が存続するために、手練手管(てれんてくだ)を使う。
実際、数十億年という年月を、遺伝子は生き延びてきた。
それなら、そう考えてもいいのである。
さもなければ、とうに滅びてしまったはずである。
勿論、遺伝子に意図や意志があるわけではない。
あくまでもこれは、説明の方法である。
自分の表現と、考えられるあらゆる可能性、それを検討することにかけて、きわめて有能かつ慎重だったダーウィンその人に、ドーキンスの本を読ませてやりたいと思うことがある。
うまい例が見つからないのだが、文化系の人たちのために、誤解を恐れずにいえば、本居宣長と平田篤胤(ひらたあつたね)の関係と言えばいいであろうか。
ドーキンスの考え方は明確である。
彼は集団の選択をとらず、遺伝子の選択をとる。
選択されるのは、遺伝子なのである。
ただし、その遺伝子は、定義が難しい。
それは、実態ではなく、思考形態だからである。
もっとも、メンデル以来、遺伝子とはつねに思考形態だった。
そこを誤解すると、この本は読めなくなる。
集団とは、たとえば種である。
種と種が競争するのではない。
遺伝子の生き残り戦術、すべてはその面から、解釈される。
進化が好きな人は多い。
しかし、多くの人が、いくつかの本を読み、あとはわけがわからなくなってしまうようである。
進化とは、要するに、人間に至るまでの生物の歴史であり、それが一言で理解できるくらいなら、世の中に学問など不要であろう。
もちろん、ドーキンスはそんなことは言わない。
科学はわかることを説明すればいい。
わからないことまで、説明する義理はない。
要するに、進化については、遺伝子を中心にして考えればいい。
そう考える。
「私は単に、ものごとがどう進化してきたかを述べるだけだ。
私は、われわれ人間が道徳的にはいかにふるまうべきかを述べようというのではない。
私がこれを強調するのは、どうあるべきかという主張と、どうであるという言明とを区別できない人々、しかもひじょうに多くの人々の誤解を受ける恐れがあるからである。
私自身の感じでは、単に、つねに非情な利己主義という遺伝子の法に基づいた人間社会というものは、生きていく上でたいへんいやな社会であるにちがいない。
しかし残念ながら、われわれがあることをどれほど嘆こうと、それが真実であることに変わりはない」。
私もこのような意見を述べたくなることが、終始ある。
ただし、ドーキンスと一つだけ違うところがある。
それは「遺伝子の法」というところである。
私はそこに「法」を置くほど、「法」を信用していない。
その「法」をドーキンスが明らかに真実とみなしている。
私はそこに、単なる「事実」を置く。
別な表現をしよう。
私は遺伝子を信用するが、その「法」は信用しない。
これはおそらく、神のある(あった)文化と、なかった文化の違いであろう。
私はドーキンスが遺伝子を持ち出すところに、しばしば脳を持ち出す。
それは、解釈の違いに過ぎない。
しかし、解釈が存在するためには、解釈の対象がなければならない。
私はその対象を信じ、ドーキンスは法を信じる。
これは実は、えらい違いなのである。
私はドーキンスを批判しているのではない。
この本は、とくに英米系では、毀誉褒貶(きよほうへん)はあったものの、優れた本と見なされている。
私もそう思う。
そう思うものの、一言いいたくなる本でもある。
しかし、そういう本ですら、正直にいえば、ほとんどないのである。
ダーウィン流の思考は、まだこの国では、なじまれていない。
ドーキンスもまた、英国について、同じことをいうのである。
ゆえに、誤解され曲解されてしまった
ところもあるのかもしれない。
養老先生らしい終戦で変わった価値観から
”法”を信じない、あるのは”事実”だけ。
”遺伝子”を”脳”に置き換え、対象として信じる。
これは養老先生しか言えない。
第IV部 ●人間の場所
●遺伝子 種と個のあいだ
「利己的な遺伝子」をめぐって 長谷川眞理子
「利己的遺伝子」の流行
から抜粋
いつの頃からか、「利己的遺伝子」という言葉がちまたに流行しはじめました。
それとともに、私利私欲の追求を当たり前とするようなどぎついコピーを帯につけた、「生物学」な本が増え続けているようです。
進化生物学などという、普段はあまり世間には知られていない地味な学問領域の言葉がこれほど流行するとは、その地味な分野を専門にしている私にとっては奇異に感じられます。
この言葉のもとになったのは、もちろん、今やたいへん有名になったリチャード・ドーキンスのかいたThe Selfish Geneという本で、1979年、まだ大学院の学生だったころ、アフリカの野外調査の最中に読んだこの本の感激は忘れられません。
この本は、初め、いかにも堅苦しく『生物生存機械論』と訳されましたが、今では『利己的な遺伝子』と訳し直され、すっかり有名になっています。
これほど有名になっているものの、しかし、その学問的意味はどれほど正確に伝えられているでしょうか?
ドーキンスは一般向けの本を書くのが上手で、彼の本はどれも気が利いていて面白いのですが、『利己的な遺伝子』はけっしてやさしい本ではありません。
事実、最初の『生物生存機械論』の時には、他の生物学の本と同様、専門家以外の関心はあまり引きませんでした。
それがこれほど世間に広まったのは、利己的遺伝子の理論を人間の行動に応用した通俗本のおかげでしょう。
これらの通俗本をざっと見渡した読者は、「生物は本来、利己的なものだ」とか、「人間も所詮は利己的に振る舞うのが自然の成り行きである」とかといったメッセージを嗅ぎ取り、利己的遺伝子の理論とは、人間の浮気や利己主義を生物学的に裏付けようとする話であると判断して、なるほどとうなずいたり、けしからんと反発したりすることになるのでしょう。
利己的遺伝子の理論とは「自然淘汰の単位は、集団でも個体でもなく遺伝子である」という、現代進化学の中心理論です。
ですから、お年寄りを突き飛ばしてでも電車の席を確保するというような、日常的な意味で人間がとる「利己的な行動」が「利己的な遺伝子」のなせるわざであると、単純に直結できる話ではありません。
最近20年ほどの進化生物学の発展の中には、遺伝子のレベルから動物の行動を解明していく分析の発展と、人間の行動や社会の成り立ちを解明にも、同じような進化的視点を導入しようとする試みとがありました。
前者は、行動生態学という新しい学問分野を築きました。
「利己的遺伝子」というコピーを世に広めたのはドーキンスですが、ピカソの絵を描いたのがピカソだけであるようには、この理論は彼だけが作り上げたものではありません。
ウィリアムズ・ハミルトン、メイナード=スミスなど多くの学者たちの研究の集大成として、行動生態学という分野ができあがったのです。
後者は、はじめ「社会生物学」と呼ばれ、その是非をめぐる激烈な論争、いわゆる「社会生物学論争」を巻き起こしました。
それは、生物学が人間という複雑な存在を解明しようとすることに対する、大いなる警告と、反省と、発展であり、科学と価値観のぶつかりあいでもありました。
これらの出来事は、私たちがこの先「いのち」というものを考えていくにあたって、新たな地平を開く重要な視点を提供するものだと、私は思います。
この二つの重要なポイント、すなわち、行動生態学の中心理論としての「利己的遺伝子の理論」と、人間に関する「社会生物学論争」というものを抜きにして、というか、つかめて考えていないままに「利己的な遺伝子」というキャッチフレーズばかりが一人歩きしている今の日本の状況は、日本の知的風土の脆弱さを表しているような気がして、私には大変不愉快なのです。
自然淘汰とは何か?
から抜粋
進化という言葉は、誰もが、なんとなくわかったような気がしてはいるものの、あらためて問い直されるとよくわからなくなる、という類いの言葉なのではないでしょうか?
進化とは、集団中の遺伝子頻度が時間とともに変化する現象をさします。
生物の世界では、より生存率・繁殖率の高い遺伝子が集団中に広まっていきます。
そこには、別になんの意図もありません。
遺伝子はDNAからできていますが、DNAはただの化学物質です。
しかし、DNAは水素や酸素などの化学物質とは違い、自分とまったく同じものを複製することのできる特別な構造を備えています。
そして、いろいろなタイプのDNAが次の世代を複製していく過程で、より多くの複製を作ることのできたDNAが、集団中に増えていく結果になります。
「利己的」とは、まさにその過程を表した比喩です。
生物の棲息環境はたいていシビアなもので、さまざまな資源をめぐる競争があります。
そういう状況では、他のタイプの遺伝子をさしおいて、それよりも多く増えていくことのできる遺伝子しか、今に至るまで残ることはなかったでしょう。
生物というものがこの地球上に誕生してから何十億年という歳月が流れても、なおかつ私たちの生きている世界にまで存続している遺伝子は、他のタイプの遺伝子をさしおいて受け継がれているに違いない、という意味で「利己的」なのです。
遺伝子というものが存在する以上、もっていなければならない利己性を表した比喩です。
端的に言えば、自殺するような遺伝子、自らは繁殖しないようにするような遺伝子は、それだけでは、後の世代には残れません。
そうではなくて、何とかして複製し続けた遺伝子のみが、今に至るも存在し続けているのです。
では、集団中の遺伝子頻度の変化が引き起こすメカニズムは何なのでしょうか?
それにはいくつかありますが、最も重要なのが自然淘汰です。
自然主義の誤りとモラル
から抜粋
遺伝子は「利己的に」振る舞うことによって存続してきました。
しかし、そのこと自体の中には、だから私たちが何をするべきかというモラルは含まれていません。
モラルは、私たちが選択する価値です。
何をよいことと感じるというモラル感情の基本には、おそらく、自然淘汰で形成された脳の働きの制約があるでしょう。
そのような一番深い生物学的基盤を明らかにしようとしているのが社会生物学です。
しかし、それでも、どのようなモラルを選択するのか、その最終判断は私たちの決断であり、その責任は私たちにあります。
「利己的遺伝子だから利己的に振る舞えばよいのだ」と考えるのならば、それはその人の判断であり、遺伝子のせいにして責任を逃れることはできません。
「個人」の意識、「自我」の意識に価値を置く考えの中にいる現代の私たちには、「個体は遺伝子の乗り物である」というような現代進化生物学の知見は、せっかくの自我の獲得をだいなしにする興醒めなものに聞こえるかもしれません。
しかし、これらの事柄の間に直接の関係はないのです。
科学的事実が、特定の教訓を引き出さないのと同様、特定の倫理観、価値観に科学的根拠などないでしょう。
奴隷制や階級社会の存在を正当化する科学的根拠がないのと同様に、いまの私たちの価値観を正当化する科学的根拠もないと思います。
しかし、科学的事実が発展しても、私たちの人間観とは無関係なのでしょうか?
そうではないはずです。
かつて、人々は、地球が宇宙の中心であると考え、それに基づいた宇宙観や人間観を築いていました。
しかし、地球は宇宙の中心ではありませんでした。
その科学的認識は、徐々に人間の人間自身に対する見方を変えていったのです。
それと同じように、人間を含めて生物がどのように作られているのかを知ることは、やがて、私たちの人間観、生命観を変えていくでしょう。
事実を全く無視した価値観を、ずっと持ち続けていくことはできないからです。
こうして、人間のさまざまな価値観は歴史的に変遷してきました。
それでも、獲得した知識の上に特定の価値観、倫理観を引き出すのは、あくまでも私たちの選択なのです。
21世紀モラルの鍵は?
から抜粋
利己的遺伝子の理論とは、人間の利己性を遺伝子のせいにして正当化する話だとか、私たち人間の行動はすべて、遺伝子の「意思」によって操られてるのだと説く話だと誤解している人がたくさんいます。
これらはみんな誤りだということを理解していただければ幸いです。
上記二つの誤解のもとになるようなことを、ドーキンス自身は一言も言っていません。
科学というものは、非常に裾野の広い積み重ねの上に成り立っているので、その最上段の部分を、下の段を抜きにして説明するというのは、不可能に近い至難の技です。
一言も言ってはいないかもしれないが
そうと取れる書きっぷりではありますよなあ。
長谷川博士のような科学的知識の知見があると
そういう読み方をしないのかと思い至った次第。
これはなかなか一般人には難しい問題ですなあ。
長谷川博士の要諦は世間の軽率な風潮への”嘆き”
と科学者の責任への”警鐘”の2点を感じた。
こちらも長谷川博士らしい考察だなあと。
岸先生にも通じる言説なのではなかろうか。
やはり一般の知識ではざっと読んだだけでは
この書は理解できないのが普通なのだろうなあと。
思い出せていただき、改めて読みたいと感じた。
さらにここから全くの余談でございます。
今西錦司先生の書を今読んでいて
ものすごく深い書だなあと感じている所
そういえば長谷川博士は女性ということで
霊長類学の始祖の今西先生の理論に
納得いかなかったがゆえなのか
あまり仲がよろしくなかったと
養老先生の推薦図書の以下を拝読。
今西先生は封建的世界に生きていた
伝統的な価値観の方だったからと
擁護する訳ではないのでございますが
昨今のジェンダー価値をお持ちでないため
致し方なかったのではなかろうか
というのは言いたいだけの夜勤明け
かかりつけ医に寄った後に古書店に行ったら
休みで残念至極な金曜でございました。
山積している本を優先して読みなさいよ
ってのは野暮の骨頂でございますよ。
ドーキンス博士の歴史的名著を読んでの記 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

利己的な遺伝子: 増補改題『生物=生存機械論』 (科学選書 9)
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 1991/02/28
- メディア: 単行本
1 人はなぜいるのかから抜粋
ある惑星上で知的な生物が成熟したといえるのは、その生物が自己の存在理由をはじめてみいだしたときである。
もし宇宙の知的にすぐれた生物が地球を訪れたとしたら、彼らは我々の文明度を測ろうとしてまず問うのは、われわれが「進化というものをすでに発見しているかどうか」ということであろう。
地球の生物は、30億年もの間、自分たちがなぜ存在するのかを知ることもなく生き続けてきたが、ついにその一員が真実を理解しはじめるに至った。
その人の名が、チャールズ・ダーウィンであった。
学問上の興味を別にしても、この問題が人間にとって重要であることは明らかだ。
それは我々の社会生活のあらゆる面、たとえば愛と憎しみ、戦いと協力、施しと盗み、貧欲と寛大に関わるものである。
ローレンツの『攻撃』、アードリーの『社会契約』、アイブル=アイベスフェルトの『愛と憎しみ』もこのような問題を論じているといえようが、これらの本の難点は、その著者たちが全面的にかつ完全に間違っていることである。
彼らは進化の働き方を誤解したために、間違ってしまったのだ。
彼らは、進化において重要なのは、個体(ないし遺伝子)の利益ではなくて、種(ないし集団)の利益だという誤った仮定をおこなっている。
皮肉なことに、アシュリー・モンタギューはローレンツを批判して、「19世紀の『歯も爪も血まみれの自然』派の思想家の子孫だ」と述べている。
進化に関するローレンツの見解を私がみたところでは、彼は、テニスンのこの有名な一句の意味するものをしりぞける点では、モンタギューとまったく同じなのだ。
彼ら二人とはちがって、私は「歯も爪も血まみれの自然」というこの表現は、自然淘汰というものの我々の現代的理解を見事に要約していると思う。
ローレンツ博士たちへの批判について
これはダーウィン先生にもいえるけれど
メンデル牧師の遺伝子を知らなかったから
『種の起源』には誤解が多いのと同様で
ローレンツ博士たちはドーキンス博士を
知らないのだから仕方ないのではなかろうか。
といっても全面的にドーキンス博士を
肯定するものではないし、勿論理解できている
とは思ってない自分ではあるのでございますが
ローレンツ博士と同時にノーベル賞を受賞した
ティンバーゲン博士の愛弟子であるのを知ると
ここらあたりは何かあるのかと思ったり
この後、チラチラそういう記述も出てきますが
それは一旦スルーさせていただきまして
この書は深すぎてなかなか読めなかった。
良い意味でのストレスが。
動物や昆虫の行動観察からの分析、考察が
コンピュータプログラムの例えなど駆使され
博士のロジックとして積み上げておられます。
でも自伝に書いてあったように思うけれど
ナチュラリストではないというのだから
ちょっと驚いた次第でして。
助手の人が優秀なナチュラリストだったと
しか思えないのだけど。
3 不滅のコイルから抜粋
生存機械は、種類によってその外形も体内器官もきわめて多様である。
タコはネズミとは似ても似つかないし、この両者はカシノキとはまったく違う。
だが基本的な化学組成の点では、それらはかなり画一的である。
とくに、それらがもっている自己複製子、すなわち遺伝子は、バクテリアからゾウに至るわれわれすべてにおいて基本的に同一種類の分子である。
われわれはすべて同一種類の自己複製子、すなわちDNAとよばれる分子のための生存機械であるが、世界には種々さまざまな生活のしかたがあり、自己複製子は多種多様な機械を築いて、それらを利用している。
サルは樹上で遺伝子を維持する機械であり、魚は水中で遺伝子を維持する機械である。
そしてドイツのビール・コースターの中で遺伝子を維持している小さな虫けらまでいる。
DNAのいとなみは、まかふしぎである。
私は話を簡単にするために、DNAからなる現代の遺伝子が、原始のスープのなかの最初の自己複製子とまったく同じであるかのような印象を与えてきた。
これは議論の上では何ら支障はないが、実際は正しくないかもしれない。
最初の自己複製子はDNAに類縁の近い分子であったかもしれないし、まったく異なるものであったかもしれない。
もし異なるものであったとすれば、彼らの生存機械は、時代がたってからDNAによって乗っ取られたのではないかと思われる。
もしそうであれば、最初の自己複製子は完全に破壊されてしまっているはずである。
現代の生存機械には、それらは跡形もないのだから。
これらのことを踏まえて、A・G・ケアンズ=スミスは、われわれの祖先である最初の自己複製子が有機分子ではまったくなくて、ミネラルとか粘土の小片といった無機分子ではなかったかという興味深い推測を行なっている。
強奪者であるにせよないにせよ、DNAは今日まごうかたなく生存機械をにぎっている。
私が最終章で試みに示唆するように、現在新たな権力奪取がはじまっているのでないならば…。
暗喩が頻繁に出てきて軽妙洒脱、
それがまた深くて感心以上のものがありますが
その全てを理解できず、やっぱキリスト教圏の
人ってこうなのだよね、とは思わなくもないが。
肝心の内容について他の人の評論を読んでみて
外堀を埋めてからの読書だったので
少しはわかったけれども、でも、これ、
本当に皆さん分かって読まれているのだろうか。
歴史的名著と言われているから
それに倣ってるだけじゃない?と一瞬だけ思った。
確かに類稀なる文章力だなあと思ったのだけど。
で、さらに10章「ミーム」で締めているから
当時はセンセーショナルだったとは思うが。
(1970年代当初は10章までだったらしい)
自分は最近のドーキンス博士の書の方が
好みだ(すっと入ってくる)なあと思った。
絶対押さえておくべき書だと思うのは確かですが。
訳者あとがき
訳者を代表して日高敏隆(1980年2月)
から抜粋
動物にみられる一見「道徳的」な行動ーーーたとえば同種の仲間を殺したり傷つけたり傷つけたりすることを避けたりするとか、親が労をいとわず子を育てるとか、敵の姿に気づいた個体が自分の身にふりかかるリスクをもかえりみず警戒声を発するとか、働きアリや働きバチがひたすら女王の子孫のために働くとかーーーをどのように解釈するかは、長い間の問題であった。
とくに、自己犠牲的な利他行動がいかにして進化し得たかということは、説明が困難だった。
ミツバチなどには、もはや完璧としかいいようのないような自己犠牲的な利他行動がみられる。
働きバチたちは、遺伝的には雌であるにもかかわらず、自ら卵を産み育てることをせず、もっぱら妹の養育に専念するのである。
しかも、ひとたび巣が危険にさらされると、働きバチたちは自らの命を投げ出して巣の防衛にあたる。
そのような行為によって、彼女たちが通常の意味での利益(子供をより多く残す!)を何らえていないことは明白である。
このような利他行動は、その種にとって好ましいものにちがいないが、そのようなリスクの大きい行動が、なぜ進化しえたのであろうか?
利他的にふるまう個体は、そうでない個体より大きなリスクをおかすのであるから、死ぬ確率は高いわけである。
従って、そのような個体の遺伝子は残りにくいのではないか。
もし利他行動をさせる遺伝子というものがあるとすれば、それはたえずふるい落とされてゆくはずなので、利他行動が進化することはなさそうにみえる。
けれど、現実には多くの利他行動が進化してきている。
この矛盾を解決しようとする一つの考え方が群淘汰説である。
淘汰は個体にではなく、集団に働くのだと、この説では考える。
この説は直感的に大変わかりやすいけれど、理論的につめてゆくと、多くの難点を含んでいる。
個体にとっては危険で損になるが集団としては有利な行動が残ってゆくということを説明するのは、たいへん難しい。
もう一つの説は、この本でドーキンスが述べている遺伝子淘汰説である。
淘汰はやはり個体、いや正しくは(とドーキンスはいう)遺伝子に働くのだというのである。
その論拠はこの本で詳しく展開されているから、ここでそれを拙劣(せつれつ)にくりかえすこともあるまい。
この説に立って考えると、このあとがきの始めに例をあげたような「道徳的」行動、利他行動は、まったく別の形で理解されることになってくる。
おおざっぱにいえば、すべての利他的行動は、本来利己的で自分が生き残ることだけを「考えている」遺伝子によって司令された完全に利己的な行動に他ならないのだ。
これはいささか逆説めいて聞こえるが、この考え方によると、動物たちのやっていることがよくよく説明できそうにみえることも確かである。
いずれにせよ、この本に書かれた内容を完全に理解するためには、数学の言葉が必要である。
ドーキンスはそれを、ややこしい数学を使わずに見事に展開してくれた。
現在、進化の論議がどのような形で進められているかを知る上で、たいへん優れた本というべきであろう。
いつも思うのだけれど日高先生(達)の
おかげで日本に紹介された海外の作家さん達の
一人がドーキンス博士でございまして
日高先生達の日本の読者への豊穣な知性への
貢献は計り知れないのでございます。
かの養老先生も慧眼には一目置かれていたのは
周知の事実でございますゆえ
私めなぞが指摘することもないのでございますが
日高先生の評価はもっとされてもいいのになあと
いつも思う、休日の暑い関東地方でございました。
日高先生達も貢献とかではなく、これは
面白い!って気持ちが強くあったから成し遂げた
仕事なのだろうとは思うのですが。
話がずれちゃいましたが、この書籍自体も
相当に凄いすよ、日高先生云々じゃなくても。
ドーキンス博士の稀代の名著を読み始めたの記 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
利己的な遺伝子: 増補改題『生物=生存機械論』 (科学選書 9)
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 1991/02/28
- メディア: 単行本
ついにこの時が来ましたです。
この書を読み始めたのでございます。
前提知識がついたから読みやすいとはいえ
やはり難しいのだけれど
なぜ今読んでいるかというと2つ理由があり
そしてもうひとつ強力なのが
本日NHKで小網代(こあじろ)の魅力を伝える
昼の番組に岸由二先生が出ておられたからで。
まったくの偶然で思わず録画。
しかし、岸先生を観て、一体何人がドーキンスを
連想しただろうかと勝手に嘆きつつも
そんないわれは番組制作者も視聴者も
まして岸先生ご自身もないぜよと思ったりも
したけれど読み始めのきっかけになったのは
良かったと。
1976年版へのまえがき
から抜粋
この本はほぼサイエンス・フィクションのように読んでもらいたい。
イマジネーションに訴えるように書かれているからである。
けれどこの本は、サイエンス・フィクションではない。
それは科学である。
いささか陳腐かもしれないが、「小説よりも奇なり」という言葉は、私が真実について感じていることをまさに正確に表現している。
われわれは生存機械ーーー遺伝子という名の利己的な分子を保存するべく盲目的にプログラムされたロボット機械なのだ。
この真実に私は今なおただ驚きつづけている。
私は何年も前からこのことを知っていたが、到底それに完全に慣れてしまえそうにない。
私の願いの一つは、他の人たちをなんとかして驚かせてみることである。
私は行動生物学者(エソロジスト)であり、これは動物の行動についての本である。
私は自分がトレーニングを受けてきたエソロジーの伝統に、明らかに多くを負うている。
とくに、ニコ・ティンバーゲンは、私がオックスフォードの彼のもとで研究していた12年間に、私にどれほどの影響を与えたか、きっとわかっていないに違いない。
「生存機械」という言葉も、実際には彼の造語ではないにせよ、おそらくそれに近い。
けれどエソロジーは最近、常識的にはエソロジーに関わりがあるとはみなされていないところから来た新鮮なアイディアの侵入によって活気づけられてきた。
この本は大幅にこのような新しいアイディアを基盤として出来上がっている。
想像上の読者たちは敬虔な期待と願望の目標とはなってくれるかもしれないが、現実の読者や批評家ほどの実際の役には立たない。
私にはどうも改定癖があって、メリアン・ドーキンスが毎ページ、毎ページの数限りない書き直しを読まされる羽目になった。
生物学の文献に関する彼女の莫大な知識、理論的な論争についての彼女の理解、そして彼女の絶えざる激励と精神的支持は、私にとってこの上なく大切なものであった。
1989年版へのまえがき
から抜粋
利己的遺伝子説はダーウィンの説である。
それを、ダーウィン自身は実際に選ばなかったやり方で表現したものであるが、その妥当性をダーウィンは直ちに認め、大喜びしただろうと私は思いたい。
事実それは、オーソドックスなネオ・ダーウィニズムの論理的な発展であり、ただ目新しいイメージで表現されているだけなのだ。
個々の個体に焦点を合わせるのでなく、自然の遺伝子瞰図的見方をとっているのである。
『延長された表現型(The Extended Phenotype)』の初めの数ページで、私はこれをネッカーキューブの例えを使って説明した。
今私はこのたとえがあまりにも慎重すぎたと思っている。
科学者ができる最も重要な貢献は、新しい学説を提唱したり、新しい事実を発掘したりすることよりも、古い学説や事実を見る新しい見方を発見することにある場合が多い。
ネッカーキューブの例えは、誤解を招く。
なぜならそれは、二つの見方が同じように妥当だと思わせるからである。
確かにこの例えは、部分的には正しい。
「見方」というものは、学説と同様、実験によって判断できるものではない。
検証とか反証とかいう、我々がよく知っている判断基準に訴えかけることはできない。
けれど見方の転換は、うまくいけば、学説よりずっと高遠なものを成し遂げることができる。
それは思考全体の中で先導的な役割を果たし、そこで多くの刺激的かつ検証可能な説が生まれ、それまで思ってもみなかった事実が明るみに出てくる。
ネッカーキューブの例えは、このことを完全に見逃している。
それは見方の転換というアイディアは表現しているが、その価値を正当に評価することができていない。
今ここでわれわれが語っているのは、もう一つの等価な見方への転換ではなくて、極端にいうなら、一つの変容(transfiguration)についてなのだ。
私は自分のささやかな貢献がそのように位置付けされることを、できるだけ早く放棄したいと思っている。
とはいえ、この類いの理由から、私は科学とその「普及」とを明確に分離しない方が良いと思っている。
これまでは専門的な文献の中にしか出てこなかったアイディアを、くわしく解説するのは、難しい仕事である。
それには洞察にあふれた新しい言葉のひねりとか、啓示に富んだ例えを必要とする。
もし、言葉やたとえの新奇さを十分に追求するならば、ついには新しい見方に到達するだろう。
そして、新しい見方というものは、私が今さっき論じたように、それ自体として科学に対する独創的な貢献となりうる。
アインシュタインはけっしてつまらない普及家ではなかった。
そして、私は、しばしば、彼の生き生きしたたとえは、後の人々を助けたという以上のものであったのではないかと、思ったことがある。
それは彼の独創的な天才を燃え立たせもしたのではなかろうか?
改訂した際に、12章と13章をまったく新たに
付け加えたと記され
13章にはこんなことが書かれている。
13章 遺伝子の長い腕
から抜粋
本書のいくつかの章では、実際に生物個体を、そのすべての遺伝子を未来の世代に最大限の成功度で伝えようと努める一つの担い手と考えてきた。
われわれは、動物の個体がさまざまな行動方針について、複雑な経済学的”擬似”計算をするかのごとく想定してきた。
しかし別の章では、根本的な理由づけは遺伝子の観点から提供された。
遺伝子の目で見た生物観なしには、生物がなぜ、たとえば、自らの長生きよりも、自らやその血縁者の繁殖成功度に「心を配る」必要があるのか、特別な理由がなくなってしまう。
この二通りの生物の見方のパラドックスを、どのようにして解消すればよいのだろうか。
それに関する私自身の試みは『延長された表現型』にくわしく書かれている。
この本は、私の学者としての生涯において達成した他のいかなる事柄よりも誇らしく、喜ばしいものである。
この章は、その本の二、三のテーマの簡単なエッセンスであるが、本当はほとんど、今すぐ読むのをやめて『延長された表現型』に切り替えなさいと言いたいくらいなのだ。
そこまで言われちゃあ、合わせて
読みたくなるでしょう、普通は!
一回ざっと読んだのを思い出したけれど
難解すぎて本文を覚えてない…。
日高先生の解説しか思い出せない。
さらに『ブラインド・ウォッチメーカー』と
ドーキンス博士初期の3冊セットで
読んでみたいと強く思ったのでございますが
財力と時間がないし、古書店にも
ドーキンス博士はほぼ見かけないのだよなあ。
それは置いといて、ひとまずここまでの
感想ですが、凄まじく文章に惹きつけられるのは
比喩が深く幅広く表現力が光り輝いているよう
感じるからで、天才なのだろうなあこれはって
そこは自分が言わなくてもみんな知ってるよ!
じゃなんなのよ、と問われれば深淵なる知性に
恐れおののき読んでてぶるぶるするわー、
反論の余地って?書いてはあるけども
と思っております夜勤明けなのでございました。
池田先生・井上先生の書から”未来”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
池田清彦先生の書のどこかに
(どれか探せなくて申し訳ありません)
これからの日本は”ベーシック・インカム”で
”MMT”を勉強して理解しないとあかん
とあったので気になっておりまして
井上先生の書を読んでみたのですが
結論から言うとこれは井上先生のMMTで
自分の皮膚感覚にまで落とせないなあと
一筋縄ではいかないと思ったのでした。
読んでわかろうとするなんざあ、
100年早い、100年人生とはいえ、
ということにも気がついた。
そことは別にこの書を読んで
もっとも驚いたこととして
平成の終わり、令和の初め、コロナ禍以前に
これを唱えてたのはさすがとしか
言いようがないです。
はじめに から抜粋
平成の30年間は、失われた30年で終わりました。
この時代に私たちは、多くのものを失ってきました。
デフレ不況とそれに伴う政府支出の出し惜しみによって、少なからぬ国民が生活の安定や人生そのものを失いました。
企業はイノベーション力を、大学は科学技術力を、家計は消費意欲を、若者はチャレンジ精神をそれぞれ失いました。
我が国の国力衰退は、目を覆わんばかりです。
この国を再興するには、デフレ不況からの完全な脱却を果たす以外にありません。
そのためには「拡張的財政政策」を大々的に実施する必要があります。
「拡張的財政政策」というのは、税金を減らして財政支出を増やす事です。
そうすると政府の借金は増大します。
ですが、財政の拡大なくしてデフレ不況からの脱却はありません。
それを怠ったために、失われた10年は20年となり、30年近くにまで延長されました。
それにもかかわらず、2019年10月に消費税が増税され、政府支出の出し惜しみも続いています。
デフレ不況という長く暗いトンネルの出口には、まだたどり着けそうもありません。
ではなぜ、政府は経済を衰退させるような、こうした自滅的な政策を取り続けるのでしょうか?
それは日本が財政難に直面していると危惧されているからです。
ところが、「現代貨幣理論(Modern Monetary Theory)」、頭文字をとって「MMT」という経済理論に基づけば、過度なインフレにならない限り、財政支出をいくら増やしても問題はない(つまり、財政危機なるものは存在しない)と主張することができます。
MMTは、非主流派の経済理論、つまり一般的な経済学の教科書には載っていない理論です。
主流派の経済学者からすれば、MMT派は「異端派」ということになります。
私は、大学の講義で「ミクロ経済」とか「マクロ経済」といった主流派の経済学を教え、学術的な論文も主流派のフレームワーク(枠組み)にしたがって書いています。
しかしながら、主流派とか非主流派といった区分に本質的な意味があるとは思っていません。
私自身は、MMTに全面的に賛成でも、全面的に反対でもありません。
明確に賛成できる部分と疑問や違和感を抱かされる部分とが混在しています。
本書はそうした立場の経済学者から著されたものです。
個人的にものすごく悲しい、平成の括られ方。
自分は、働いた年から一次定年みたいな年齢までが
まさに平成だったので、そういう認識なのか?
と肩を落としたのは言いたいだけです。
そこで立ち止まってても仕方ないが。
第4章 自己家畜化の行き着く先
日本の国力の凋落が止まらない本当の理由
から抜粋
2022年度の平均年収は韓国(20位)に抜かれて21位、大卒の平均初任給は20万6000円、韓国は約30万円で、実質賃金は1997年を100として2016年のデータで89.7、ドイツ、アメリカ、イギリス、フランスなどは軒並み115以上になっているので、日本は一人負け状態だ。
直接的な理由は、本文で繰り返し述べたように、横並びでルール至上主義の学校教育、上の命令に逆らわない自己家畜化、優秀な人材をスポイルするシステムの結果であるが、日本を統治する権力側の人間にとっても、このようなやり方では日本の国力が下がるのはよくわかっていたはずだ。
それにもかかわらず、日本の国力の凋落が止まらないのは、権力にとって日本の凋落はある時点(おそらくはっきり自覚し始めたのは第二次安倍内閣の時)から、実は望むところになったのだとしか考えられない。
国民が貧乏になってきたので、企業の製品を日本人に売って儲けようとするモデルを徐々に放棄して、なるべく安く日本人の労働者を働かせて、その成果(製品やサービス)を外国に売って儲けようと考えたのだ。
そのためには国内の賃金を最低限に抑えて、儲けを最大限にして、その儲けを国民に還元しないで、権力と大企業とその取り巻きだけで分配するシステムを構築したのだ。
国力が上がらない方が、自分たちの短期的な利益にとっては好都合なので、意図的に国力を下げる政策を取り続けてきたわけだ。
そう考えれば、赤字必定なオリンピックや万博を無理やり推進(する)した理由や、消費税を目一杯上げて、国民を反抗する余裕がないほどに貧乏にして搾取する理由もよくわかる。
転換点が来るとすれば、AIが限りなく進歩して製品を作ったりサービスを提供したりするコストパフォーマンスが、労働者を雇うよりはるかに高くなった時だ。
権力の本音としては、日本人は消費者としてもはや重要ではないので、労働者として役に立たなくては、いなくても良い存在になる。
はたしてそうなって飢えに直面した精神的自己家畜化の進んだ日本人は、ベーシック・インカムを要求して政権に圧力をかけることができるだろうか、それとも、歴史上初めての市民革命を起こして、政権をひっくり返すだろうか。
それとも、権力はそれまでに憲法を改悪して北朝鮮のような独裁国家を作って、国民を弾圧するようなシステムを作っているのだろうか。
私は生きていないので、結末を見ることはでいないのは残念だけれど、若い人たちは多少でも精神的自己家畜化から逃れて、上手にそして幸福に生き延びてほしいと思う。
怖すぎる、池田先生の言説。
僭越ながら本当かなあと訝しく思う一方
言われてみて、考えてみると
いろいろ符号してしまうので看過できない。
だとしてフランス革命のようなものが
この国に起こってしまうのだろうか。
そしてさらに怖いというか怖さの種類が
異なるがドライな井上先生の書の導入をば。
はじめに
から抜粋
以前から私は、経済のあり方を激変させる技術として人工知能(AI)に興味を持っていました。
メタバースもまた、AIと対になって経済のあり方を激変させるだろうと考えています。
そういう意味で本書は『人工知能と経済の未来』という、2016年に私が書いた本の続編な位置付けになります。
ではなぜAIとメタバースが相補的な関係にあると言えるのでしょうか。
AIは人間の頭脳の代替物であり、AIを組み込んだロボットとともに人間の労働に置き換わっていくと予想されます。
一方でメタバースは人間が暮らしている世界(環境)の代替物であるといえます。
遠くない未来に、人間の頭脳はAIに、身体はAIを組み込んだロボットに、そして世界はメタバースによってそれぞれ置き換わっていくというわけです。
そして、この三つが揃えば森羅万象すべてが機械化されデジタル化されるという、ある意味恐ろしい状況がもたらされるわけです。
AIが普及しても人間の仕事は部分的には残りますし、それと同様にメタバースが普及しても、実空間での人間の営みは部分的には残るでしょう。
これは技術の進展度合いにもよりますが、今の技術の延長上で考えれば、食事や睡眠、排泄、あるいは医療行為や介護など、人の身体を必要とする行為は実空間で行うしかありません。
ただ、それ以外の娯楽や仕事、教育といった多くの営みは、メタバース内に場を移していくだろうと思われます。
その時、経済活動はどのようになるのでしょうか?
私は、メタバース内の経済活動は、実空間とかなり性質が異なるものになるだろうと予想しています。
現在の資本主義では、機械設備の設置には莫大な資金が必要で、その資金を提供する資本家と労働力を提供する労働者が主な経済主体となっています。
マルクス主義が想定するように両者が対立しているかどうかは別にして、こういう形で資本主義は形成されてきたわけです。
ところが、機械設備が要らなくなれば、資本主義が消滅するわけではないものの、根底から変容してしまいます。
メタバースにおける経済の主な担い手は、資金を提供する資本家でもなく、モノを物理的に作ったり運んだりする肉体労働者でもなく、アバターやデジタルな洋服をデザインするクリエイターです。
これまでも「AI時代にはクリエイティブ・エコノミーが到来する」といった未来予測がよく口にされてきましたが、メタバースの普及とともに、クリエイティブ・エコノミーはますます加速していくでしょう。
しかしそれは、ユートピアとは言えないかもしれません。
誰もがクリエイターになれるわけではないし、クリエイティブな仕事をしていても十分に暮らしていけるだけの収入が得られるとは限らないからです。
ではどうしたらいいのでしょうか?
その問いに答えるためにも、メタバース内の経済とはどのようなものか、メタバースの普及によって資本主義がどのように変容するかを理解する必要があります。
それこそが本書のテーマです。
興味深すぎる井上先生の書で。
60年代のフラワーチルドレンの行末とか
斎藤幸平先生へ意を唱えているあたりも
立体的に考察したい自分にとって深い本で。
それにしてもお二人の書を拝読し
コロナ禍を経て、デジタル化も加速し
ヒトの営みも変容するのだとすると
今後のグローバル社会や日本は
どうなるのだろうかと考えざるを得ない。
昨日投稿した日本人の洗脳がなんなのか
(なんとなくはわかる気もするが)
を実感した上で各自考えて行動していくことで
日本の凋落は止まるのかもしれないが
そもそも何を幸福とするかという
養老先生のおっしゃる”ものさし”、
勝手解釈させていただくと”前提”
のようなものの”意識合わせ”が
必要なのではなかろうか。
これだけ多様化している社会において
そこが相当ハードルが見えない位高い
なので政治家になりたがる人が
減少してるのだろうなあ
また政治家の知性が問われるところだよなあ
では自分は何ができるのかなあ、などと
夜勤前に思っておるところでございます。
加藤典洋先生のいない2冊から”日本”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
V 短絡的正義がもたらすもの
加藤典洋『戦後入門』を読む
元同僚の死
から抜粋
ご存知の方も多いと思うが、加藤典洋は2019年の5月16日に亡くなった。
亡くなる2ヶ月前に見舞いに行ったとき、根を詰めてcontroversial(論争の的になる)本(『9条入門』)を書いてストレスが溜まったのが、病気の原因だと思うと言い、これからは池田清彦みたいに軽く生きるつもりだ、と笑っていた。
退院したら、志木(しぎ・加藤さんの住んでいるところ)の家に、俺の持っている一番いい酒を持って遊びに行くよ、と言って、握手をして別れたのが最後になってしまった。
加藤典洋と握手をしたのは後にも先にもこの時だけだ。
握手なんかするもんじゃねえな。
戦後日本の非常に奇妙な状況
から抜粋
B29による大規模な空襲も非人道的な虐殺であることに違いはないが、とりあえずこれは措(お)くとして、戦争末期、このままでも日本の敗戦は時間の問題であった時期に、広島と長崎への原爆投下は、勝敗に関係のない無意味な虐殺であったにもかかわらず、日本政府は原爆投下直後こそ、原爆投下は国際法違反だとの抗議声明を出したが、GHQに占領されて以来、公的な抗議をしておらず、アメリカもまたほおかぶりをして、公的な謝罪をしていない。
不思議なことに被爆者も一般国民もまた、アメリカへの怒りを口にすることはほとんどなく、52年に広島市の平和公園に作られた原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれているだけである。
あいまいな言葉で責任をうやむやにするのは、日本人の得意技とはいえ、原爆投下に関する限り、過ったのはアメリカに決まっているのにね。
3・11の原発事故もそうであったが、余りにも大規模な人為的な被災に対して、日本人は怒りを感じない民族なのかもしれないと思いたくもなる。
戦争に負けた日本人のほとんどは、なぜアメリカへの報復の炎を滾(たぎ)らせることがないのだろうか。
一つの答えは、長く続いた15年戦争の結果、多くの日本人は戦争疲れで疲弊しており、戦争が終わって内心ほっとしていたので、今更アメリカの原爆投下を非難しても始まらないという思いがあったのではないか。
これは加藤も指摘している。
それに、私見を付け加えれば、この戦争は元はと言えば、日本が仕掛けたものだという幾分後ろめたい気持ちもあったに違いない。
しかし、加藤の見立てでは、もっと大きな原因は、ある大きな力の下で、批判が封じ込まれたのではないかというものだ。
加藤の論点を私なりにざっくり言うと、日本の降伏は本当は無条件降伏ではなかったにもかかわらず、アメリカは原爆投下とセットで一切の文句を言わせない無条件降伏と言いなして、占領中は原爆の投下を含めて、アメリカへのあらゆる批判を封じ込めた。
日本が形式的な独立を遂げた後も、日米安保条約とそれに付随した日米地位協定により、実質的に日本を属国の地位に留めるとともに、経済的な成長を助けて、日本の不満が噴出しないように腐心した。
この辺りの事情を説明するために加藤が提出した仮説は「戦後型の顕教・密教システム」で、この仮説は見事に日本の戦後の状況を言い当てていて、『戦後入門』の白眉(はくび)である。
加藤によれば、戦後型の顕教とは、日本と米国はよきパートナーで、日本は無条件降伏によって戦前とは違う価値観の上に立ち、しかも憲法9条によって平和主義の上に立脚しているとみる解釈、密教とは、日本は米国の従属化にあり、戦前と戦後はつながっており、しかも憲法9条のもと自衛隊と米軍基地を存置しているとみる解釈を意味する。
具体的には、国民全体に対しては、日本は平和主義の独立国家であるとの認識をゆきわたらせ、権力が国政を運用する秘訣としては、対米従属の下、戦前と戦後は繋がっているという政治的感覚はとりあえずカッコに入れて、自衛隊と米軍基地によって軍事的負担を減らして、もっぱら経済大国化を目指すという、ダブルスタンダードシステムこそが、日本の戦後を支えてきたというわけだ。
アメリカの属国から抜け出す方法
から抜粋
このシステムのおかげで、日本は経済大国になることができ、多くの国民は、日本がアメリカの属国であるという事実を忘れて、経済的繁栄を謳歌することにより、民族的自尊心を満足させた、というのが20世紀の終わり頃までの日本の状況であった。
しかし、ここに来て、このシステムを支えていた日本経済の繁栄は音を立てて瓦解してきた。
加藤典洋の見立てのように、化けの皮の剥がれた安倍政権(20年当時)が続くと、日本会議の路線に沿って、対米独立を果たし、軍事大国の道を目指して世界の孤児になるか、あるいは徹底的にアメリカに従属して奴隷国家の道を選ぶかの選択をいずれ迫られることになるだろう。
前者の道は経済的な疲弊をもたらし、後者の道では国民の自尊心は全く満たされない。
いずれにせよ国民が不幸になることに変わりはない。
そこで加藤典洋の提案は、憲法9条を改正して、自衛隊の一部を国土防衛と災害救助に当て、残りの全戦力を完全撤退しても、国際的には孤立しないはずであるし、日本人の自尊心も担保できると言うわけだ。
いかにも真面目な加藤典洋らしい提案だ。
現実的でないと言って冷笑を浴びせる人が恐らくいっぱいいるだろう。
しかし、革新的な提案は、どんなものでも最初は現実的ではないのだよ。
もしこの案が実現したら『戦後入門』は21世紀初頭の古典として、長く語り継がれるだろう。
人は死んでも本は残る。
さよなら、加藤さん。ごきげんよう。
池田先生が珍しくしんみりしているようで
それはあまりにも不似合いなのだけれども
本当に残念な思いが滲んでいるように感じた。
池田先生の言葉を信じるのならば
加藤先生は最後の書を生命を賭して
書かれたと言えるのだろう。

この1冊、ここまで読むか! 超深掘り読書のススメ (単行本)
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2021/02/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
『9条入門』
憲法と戦後史を改めて考える
高橋源一郎 X 鹿島茂
「考える」とはどういうことか
から抜粋
高橋▼
若い世代に憲法のことを伝えることを考えても、九条だけ注目していてはダメなんですよね。
僕は大学で教えていますが、若い人や子どもたちも九条のことを教えようとすると、すごく時間がかかって遠回りになるんですよ。
なぜかというと、これは大人たちも同じなんですが、みんな社会的に洗脳されているからです。
10年、20年、30年かけて、社会的に教えられる言葉や概念をそのまま内面化している。
それを解きほぐすのは容易じゃありません。
もちろん、いまのこの対談のように、単体のテーマとして説明に時間をかけることもできますが、それ以前に、「物事を考えるとはどういうことか」とか「人の意見を疑う」とか「なぜ嘘を吐いてはいけないか」とか、そういう話から始めなければいけない。
これは教育の問題なのですけれど、それを含めて、そんなに長いわけではない人生の中で、物を考えるのは大変だけど大切だし、しかも楽しいということを、いわば愚直に語っていく。
その延長上に九条があるんですよね。
目の前で九条を改悪する話をされれば「そんなバカなことがあるか」と焦りを感じたりもしますが、そこだけで焦っていたのでは、僕たちの足元が揺らいでしまう。
だから、これには二面があるんです。
じっくり時間をかけて考えるという悠長なことをやると同時に、何か起こったらデモに行くとかね。
緊急性と永遠性の両方が必要なんですよ。
そういうスタンスで対処していくしかないですね。
日本人の多くが洗脳されているから
9条に短絡的にデリケートになっていると。
確かに「憲法改正」=「9条」=
「戦争を企む輩の思惑」みたいな
公式が暗黙にあるような気がする。
それはちと一旦置いといて気になるのが
洗脳とは具体的に何を指すのか。
洗脳されている自分にはわからないため
今後のテーマにしたいと存じます。
一度昔読んだのだけどその時はスルーだが
これで俄然興味が湧き出ずるものに。
対談相手を経由して戻る、と言うのは
自分にしてはよくある話なのだけれども
と言いつつも、テーマが非常に重たく、
しかし切実な国土防衛というか。
国の自衛のあり方、来し方とでもいうのか、
なのでちと二の足を踏みそうだけれども
鹿島先生の対談は高次レベルの学がないと
しんどいなあ、捻り方も相当なものだし
とも思ったりもする低い学の身分とは
あまり関係のないと思いたい
いつも以上に地震が心配な日曜出勤
なのでございました。
③河合隼雄先生の論評”ゲゲゲの鬼太郎”と”マカロニほうれん荘” [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
- 作者: 河合 隼雄
- 出版社/メーカー: 潮出版社
- 発売日: 1993/12/10
- メディア: 単行本
水木しげる
『ゲゲゲの鬼太郎』
異常な誕生の背景
から抜粋
伝説や昔話に登場する英雄(ヒーロー)は、桃太郎の例をまつまでもなく、異常な誕生によることが多い。
われわれの主人公ゲゲゲの鬼太郎の誕生は、とりわけ異常な物語となっている。
人類の誕生以前から住んでいた幽霊族は、人類によって圧迫されて地下に住んでいる。
ところがそれも絶滅に近づき、最後に残された夫婦も死亡する。
墓に埋められて三日後、妻のみごもっていた子が生まれ土のなかからはい出してくる。
これが主人公の鬼太郎である。
それと不思議なことに、鬼太郎の父親の目玉が生命力を持ち、鬼太郎につきそってくるのである。
圧迫され、忘れ去られた存在として何万年も生きてきた幽霊。
墓の中から生まれた子ども。
これらのことから誰しも連想することは怨念ということではなかろうか。
ところが、鬼太郎という子どもはまったく可愛い顔をしているし、怨念のかげりをどこにも見出せない。
このパラドックスを解く鍵として、作者が凄まじい戦争体験を持ったという事実が役立つであろう。
極限状況に追い込まれた中で作者のもった諦観は、ゲゲゲの鬼太郎の強い支えとなっている。
おそらく作者は、極限の世界の中で、生と死、あちらとこちら、敵と味方など、何かを明確に区別する隔壁(かくへき)が崩れ落ち、そこに全体としての何かが存在するという体験をしたのであろう。
怨念はそのような体験の前に力を失ってしまう。
しかし、それは消滅したのではない。
鬼太郎ファンの大人達は、おそらく、圧迫されたものの悲しみや虐げられたものの叫びを、その作品のなかから感じ取っていることであろう。
光と影の対比
から抜粋
隔壁をとっぱらった全体性の諦観はこの世のルールを無視してしまうところがある。
いろいろな妖怪と戦うが、鬼太郎は必ず勝つ。
鬼太郎は勝つために、トリックや超能力を使用するが、それはこの世のルールを簡単に無視して考えだされたものが多く、作者は申し訳なさそうに、超能力やトリックについての説明を書き入れる。
鬼太郎は必ず勝つという安心感は、少年達をひきつけるであろうが、それではあまりに平板になってしまう。
そこで、お馴染みのねずみ男が登場する。
ねずみ男という影の部分を持って、光の部分のみを代表する鬼太郎の像が立体化する。
それに、「父親の目」という極めて象徴的な存在を加えることによって、話は面白さを増してくるのである。
ねずみ男は欲に絡んで敵についてみたり、まったくへまなことをしてみたり、敵の術中におちいってしまうことも多い。
人間はいくら諦観を持っても煩悩は消滅しない。
煩悩のはたらきは諦観に磨きをかける。
いや、ひょっとしたら、ねずみ男の方が悟っているのかもしれない…。
『ゲゲゲの鬼太郎』ファンの中には、案外、ねずみ男ファンも多いのではなかろうか。
『ゲゲゲの鬼太郎』に登場する多くの妖怪は、鬼太郎も含めて。ファンタジーの世界の住人ではない。
それは、かつ現れ、かつ消え、流転しつつも永遠に不変である。
日本人の心の中の「自然」の顕現であるように思われる。
妖怪の姿をとっているが、本質的に花鳥風月の世界を描いているのである。
西洋人とあれほどまで戦った体験をもっても、われわれの魂はそこに帰ってゆくのだろうか。
鴨川つばめ
『マカロニほうれん荘』
奇想天外を超越
から抜粋
奇想天外と言っても、自転車で空を飛ぶなどは序の口で、風呂で洗いすぎて骨だけになってしまったり、自衛隊から(黙って)借りてきた戦車で登校したり、というようなことが次々と起こる。
しかも、話のテンポが速く、話の流れはどこに飛んでゆくかわからない。
どこからでも大砲の弾丸が飛んでくるような感じである。
トボケもフザケも今までのものを一段と超えていて、思わず吹き出す時がある。
漫才を映像化
から抜粋
最近ではマンガの表現も残酷さや性描写に随分とすさまじいものがあって、マンガ通でないとついてゆけないとも言われる。
筆者のようにあまりマンガを見慣れないものは、確かに一見してとまどいを感じるが、そのマンガの持つ独特の世界に入り込んでゆくと、相当な表現も気にならなくなるものである。
ところで、この『マカロニほうれん荘』は、その発想の奇抜さで若者の間に人気を博していたと思うが、われわれ老人でも案外その世界に、スーっと入ってゆきやすいものである。
いったいこれはどうしてだろうかと考えてみて、筆者はこれが漫才の手法によっていることーーー作者はおそらく意識していないと思うがーーーに気がついた。
そう思うと、二人の主人公は往年の漫才の名手エンタツ、アチャコになにやら似ているようである。
漫才はストーリーの構成ではなく、連想の流れの面白さで勝負する。
『マカロニほうれん荘』は、連想の世界を大胆に映像化している。
『マカロニほうれん荘』は、マンガの技法としては新しいものであるが、漫才という伝統的なものによっているだけに、心情的には古い味を持っている。
「二百三高地」などという昔なつかしい言葉がでてくるのも、このためであろう。
現在の状況は、漫才マンガが漫才を駆逐した感じだが、マンガの方は生きた人間が演じている味というものを捨象(しゃしょう)してしまったわけで、これは今後どのような効果を青年達にもたらすだろうか、と思われる。
伝統を継承する師匠から芸を受け継ぐような
漫才は確かに駆逐されたかもだが、
お笑いという芸は廃れることなく今も健在ですよな。
自分は興味ないからよく知らないけれど
テレビには連日出ているよね、芸人さんが。
漫才というフォーマットは昔のそれと
価値が異なっているのかもしれない。
明石家さんまさんが、昔は
「吉本興業に行くというのは
人の道を外れることを意味していた」的な
発言されていたが、今はそれ自体がお笑いだろう。
マンガは日本のソフトパワーとなり世界を席巻。
この後の若者に与えた影響は自分が思うのは
生活に密着しすぎて、注意してみないと
わからないくらい空気のような存在になって
今に至るような気がする。
この二つの論評は、1979年9月から11月に
『共同通信社 京都新聞』ほかで連載とのこと。
『ゲゲゲの鬼太郎』は第二期アニメの頃の
事かと思われ、『マカロニほうれん荘』は
79年に連載終了の頃かと。
『ゲゲゲ』の方は、テレビ版と漫画版だと
水木先生色が薄められているのは周知の事実。
そこを差し引いての論評としても
さすが河合先生で、”ねずみ男”に注視しておられる。
『マカロニ』も違和感なく楽しまれ
芸能の味を感じ取られたようですが
それはある種、伝統的な価値観というか
暗い土着文化をカリカチュアしていたように
思うのだけれども。
ハードロックやパンクが頻繁に出てくるのは
そういう必然を背負っていたような。
だとしても、そこも楽しめてしまう
河合先生の度量の深さや
鴨川先生の技術力の高さは恐れ入ります。
確かに『マカロニ』は新しい感性のまま
一瞬で突き抜けていった風としか
思えない儚さが今になって見ると
強く感じてしまうのでございますが
そこはいったん置いておいて
ストーリーも斬新なら絵もずば抜けて上手かった。
同時期のライバル江口寿史先生と比較され
自分はどちらも今だに好きなのでございますが
この二人は当時の若者や若者予備軍に
与えた影響は計り知れないと思わずにいられない。
時代を二人が写し取っていたような
時代と絶妙にリンクしていたような
マンガで当時の若者の生活を垣間見させてくれて
時代を牽引していたと思ってしまうが
本人達はまったくそんなつもりもなかった
だろうなあ、水木先生もだけど
これらは天才の仕事と呼べるよなあと
思う六月の暑い1日でした。
②河合隼雄先生のつげ作品論評より”オブジェクティブ・サイキ”を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
マンガを中心に
B 内向型感覚
から抜粋
ユングの普遍的無意識の考えが、現在の劇画の内容を説明しうることが多いと述べたが、同じくユングの心理機能に関する理論を用いて、マンガ表現の特徴を指摘したいと思う。
ユングは人間の心理機能に関する理論を用いて、それぞれ互いに対立する思考と感情、および、直感と感覚の機能を考えた。
思考は文字どおり考える機能であるが、ユングのいう感情とは、ものに対する好き・嫌い・善悪の判断を下す機能を示している。
これに対して、感覚は、五感に関係して、ものそのものの形や色などを的確に把握する機能であり、直観は、ものの属性を超えた可能性を把握する機能である。
ところが、ユングはこのような機能にそれぞれ内向と外向の二方向があると考える。
例えば同じ思考機能でも、物事の関係やそのはたらきの仕組みなどについて考える外向的思考型と、生きることの意味とか、死とは何かなど考える内向的思考型があるという。
そして、彼は現在のヨーロッパ文化では、外向的な態度の方が価値を与えられ、内向的感覚や内向的直観の機能は評価されなかったり、誤解されたりすることが多いと述べている。
このような観点に立つと、現在のマンガは、ユングのいう内向的感覚機能に頼って書かれているものがあると感じられる。
つまり、現在において理解されなかったり、認められなかったりする心の機能をはたらかせることによって、現代人にひとつの衝撃を与えているのである。
これは現在の青年の感性に強く訴えるものがあったと思われる。
そのような作者の代表としては、つげ義春をあげるのが適切であろう。
つげ義春は自分の内界を感覚的にとらえて、それを表現する。
内向とか、人間の内界というと誤解する人があって、人間の内省可能な範囲内のことと思う人が多い。
自分はどんな欠点をもっているとか、他人に対してどう感じたとか、そのように考えたり感じたりするのは、むしろその人の意識可能な自我の内部で生じていることである。
ユングが内界という場合、自我の外部に外界が存在するように、内界も心の内部ではあるが自我の外に存在するものと考えている。
そして、外界が一般に客観的な世界と言われているのと同様の意味で、この世界を客観的な心(オブジェクティブ・サイキ)の領域と呼んだことがある。
内向感覚型の人とは、このような世界が鮮明に「感覚的に」とらえられる人である。
その人は内省をするのではなく、ただ「そこに」ある世界を見たり、それに触れたりするのである。
つげ義春の作品を評して、赤瀬川原平は、
「眼の前にあって眼に見えない不思議な正体があるので仕方がないのだ。
そしてその正体は、眼に見えずにリアルなのである。
その漫画の細部は非常に触覚的であり、私たちの生活の検証にも耐えうる確証的なものである。」
と述べている。
ここに「眼に見えずリアル」などの逆説的表現を誘い出すところが、彼の作品の特徴であり、それはとりもなおさず内向的感覚の特徴なのである。
それは「触覚的」でさえあるほどのなまなましさをもちながら、どこかで非存在感を強く味合わせているものである。
それは、われわれが一般に「存在」とか「現実」というときに、どうしても外界に縛られる傾向を持つために、つげの作品を見て、非存在、非現実と感じるものだが、一方それは、まぎれもなくつげ義春が彼の感覚によって確実に把握しているものであるために、なまなましい存在感を与えるのである。
それは、自我の中で「考えだされた」偽物の「ファンタジー」作品とは異なるのである。
この後、河合先生は、つげ先生の『沼』を
引き合いに出され分析・考察。
別の書籍でつげ先生インタビューにて
最後のページは当時誰も理解・評価されなかった
と読んだ記憶あり。
66年2月では早すぎたとしか言いようがない。
ビートルズも来日してない日本においてとは
言いたいだけでした。
『沼』はWikiにございますが『兄貴は芸術家』と
同月に発表された、と、驚愕の事実だったのは
本当に言いたいだけです。
沼との溶解体験を作者は見事に「感覚的」に表現する。
それは実に触覚的ですらある。
乙女の首にまきつく蛇の肌の感触を、われわれは感じさせられる。
このような点が、つげを内向的感覚型であるとするところである。
溶解体験は自我の同一性の崩壊の危険をもたらす。
青年は沼との距離を取り戻すために、ひとつの儀式的行為を必要とする。
それがズドーンという銃の発射である、と考えられる。
おそらく、作者自身もこの一発の銃の発射によって、さまざまな溶解体験から自分を切り離すことができたのではないかと推察される。
次に、内界に住む心象の不可解さと残酷さについても述べておかなければならない。
このような点は、この物語に登場する娘の行動に如実に表されている。
彼女の行為をどのように判断するべきかに迷わされるが、ここで大切なことは、彼女は残酷か否か、その行為が善か悪かなどの判断以前に、ともかくそれはそのようにある [ just-so ] ということである。
感覚は事実をあるがままにとらえて、そこに判断を入り込ませないのである。
内界に存在するものが、そのままの姿で把握され描かれるという、このような傾向は、違った表現方法ではあるが、萩尾望都の作品においても認められる。
ユング博士とつげ義春先生との関連性は
河合先生ならでは、なのだけれども
さもありなんとでもいうか、目から鱗というか。
ユング博士の内向的感覚への分析・論理で
60年代だとするとヨーロッパでは
つげ作品は受け入れられなかったのかもだが
昨今は懐深くなった模様でつげ先生は
過日フランスで賞をいただいておられたかと。
内界・外界というのも、なんとなくだけど
つげ先生を言い得ているような気もした。
河合先生の指摘にはないけれども
太宰治に傾倒していたというつげ先生の
『沼』は『魚腹記』に影響されていないか
なんとなく類似性を感じるのだけど。
河合先生の書籍に話は戻りまして
河合先生にかかるとつげ先生作品も
かように料理されるのかと驚くとともに
1977年当時『読書世論調査(毎日新聞社広告局)』の
”好きなマンガ家”が1位手塚治虫、2位長谷川町子、
3位水島新司、4位ちばてつや、5位サトウサンペイ先生、
33位までの中に、なぜ、藤子不二雄先生が
いないのだろうと腑に落ちない本日は休日
午前中は河合先生の書籍を読み、午後は
近くの寺院の境内で「ダライ・ラマ自伝」を
読んでおった豊穣なひと時なのでございました。
①河合隼雄先生・養老先生の書から”中年”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
”脳”を刺激する興味深い対話
養老孟司『脳という劇場』
これは実に刺戟的な対談集である。
『唯脳論』の養老孟司さんがいろんな多彩なタレントを「劇場」に登場させて対話している。
養老さんの柔軟な姿勢を反映して、いずれもそのトピックに合った興味深い視点を引き出していて、読みながら、こちらの「脳」も随分と刺戟される、というわけである。
冒頭の中村雄二郎との対話は、本書の総論と言ってもいいほどで、多くの新しい考えのヒントを与えてくれる。
中村の「形というモメントを入れることによって、あるいはさらに、それを重視することによって近代科学を超えることもできるはず」という考えは注目すべきである。
中村桂子との対話では、養老が学問というものは「既知のものを未知のもので説明する」と述べたことに中村が同感して、一般の人は科学というものを「未知のものを既知のもので説明する」と思っているので困る、と言っている。
多田富雄、大島清、などの対話と共に、「新しい自然科学観」をまさぐってゆこうとする姿勢が伺える。
ただ、素人には少し難解なところがあり解説が欲しいと思う。
免疫学の多田は「自己などという概念は崩壊しちゃった」と宣言している。
このことは心理学で考えている「自己」にまで及んできそうで、古井由吉との対話で問題とされる、「複数の自我」にまでつながってゆくと感じられた。
山根一眞との対話で養老は、頭の「良し悪し」よりも「強いか・弱いか」の方が重要だという注目すべき発言をしている。
哲学者、建築家、小説家、生命科学者、それに棋士、果ては「言いたい放題、死体放題」の南伸坊まで登場して、その幅の広さに感心するが、これら全て自家「ノウ中にあり」と唯脳論の養老先生は主張しているようである。
ーーーサンケイ新聞’90
巻末エッセイ
おとな
養老孟司
河合さんにお会いすると、いつでも「おとな」という印象を受ける。
私が「子ども」だということもあるだろうが、それだけではない。
この場合の「おとな」とは、『広辞苑』を例にとれば、
「中・近世、村落の代表者、また、実力者。乙名百姓。年寄。宿老。」といった感じである。
大げさにいえば、「日本のおとな」であろう。
いろいろ違いはあるけれども、河合さんの世代、さらに京都という土地が、こういう乙名百姓を出す培地(ばいち)なのかもしれない。
同時期に京都大学におられた数学の森毅さんも、別な乙名百姓である。
こちらもお会いするたびにそう思う。
関東という土地はどうもこういう人たちを出さない。
そういう感じがする。
その本質が重層的であるような文化というもの、それが関東にはいささか欠けているのである。
関東人はいくら金を持とうが、基本的に貧乏人の性癖を残しており、どことなく乱暴で直線的である。
関東の小説家というなら、私の頭にたちまち浮かぶのは、三島由紀夫、石原慎太郎、深沢七郎などであり、どう考えたって、これはどこか文化的ではない。
河合さんの逆の存在をいうなら、以前テレビ番組にあった『木枯し紋次郎』である。
どこが逆なのかというと、その説明はできない。
強いていえば、紋次郎は「あっしにはかかわりのねェことで」と言いつつ気持ちも身体も徹底的に関わることになり、河合さんは患者さんにいちおう仕事で関わりながら、腹の底ではむしろ「紋次郎」を演じるということであろう。
「紋次郎」は関東的で、要するに関東人は屈折したとしても、たかだかああなのである。
そこがアメリカ文化と平仄(ひょうそく)が合うところなのであろう。
考えてみれば、江戸という町の歴史は400年、おおかたのアメリカの町よりは古いかもしれないが、50歩100歩であろう。
京都は1000年、それなら関東はまだ「紋次郎」でいいわけである。
河合さんは本読みの達人である。
『書物と対話』という本もあって、読書がみごとな芸になっているのがわかる。
『中年クライシス』という本は、私はいつもの習慣で横須賀線の中ではじめて読んだ。
感心しながら引き込まれたから、そのときのことをよく記憶している。
山田太一氏の『異人たちの夏』の解説にあまりに感激したので、肝心の原作を読む気がなくなってしまった。
こういう見事な解説は、ある意味では良くない。
あらかじめ小説を読んだ人しか、読んではいけない解説なのである。
山田氏の小説が、解説ほどでなかったらどうしよう。
私はついそう思ってしまったのである。
これはものすごい目から鱗がフォールダウン。
養老先生の書評こそまさにこれ。
書評読んだらもういいです的な。
水差してすみません。
河合先生の中年への眼差しに戻ります。
「トポスを見いだし、そのトポスとの関連で『私』を定位できるとき、その人の独自性は強固なものとなる。
そのようなことができてこそ、人間は一回限りの人生を安心して終えることができるのではなかろうか。
老いや死を迎える前の中年の仕事として、このことがあると思われる。」
この文章の内容も、最初に読んだときに頭に入ってしまったのだが、引用しようと思ったら、この本が見つからなくなったことがある。
そのままうろ覚えで内容だけ引用してしまった。
この文章に出会うまで、こういう内容を意識したことは、私にはない。
しかし中年の定義としても、みごとなものだと感じられる。
そう思わない人は、たぶんまだ中年ではないのである。
養老先生がまだ解剖学者の頃の文章で興味深い。
編集者さんの仕事だと思うけれども
「巻末エッセイ」というのが時代性を感じる。
河合先生の中年の定義について、自分なりの解釈。
トポス=ギリシア語で”場所”。
話題を発見すべき場所(論点,観点)。
ということらしいのだけど、それを前提として
興味のあるものを自ら見つけ
そこにいる自分を
俯瞰できるようになると”己”は強まる。
それができたら、もう人生を終えても
悔いのないもので、めっけもんです。
もしそう思えないのだったら
まだまだ青春の途上ですよ。
と読めるのは、おそらく自分だけなのだろうなあと
思いつつ、そうだとして、自分はどうなのかを問うと
そう思えるから中年、それ以降であることを実感。
さらに感じていることとして、
早起きしての仕事だった本日、天気があまりにも良く
今日が休みだったらなあ、と思わずに
いられませんでしたことは
言わずもがなでございます。