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わが子に語る星と宇宙の話:川津祐介著(1983年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

■科学が生み出したもの
科学の功績は、人間を支配していた目に
見えない因習や陋習(ろうしゅう=わるい習慣)、
こびりついた先入観を、人間から取り除いたことであった。
同時に、科学が犯した最大の失敗は、
目に見えないからといって、人間を超えた大いなる
存在としての神まで締め出したことではないだろうか。

科学的に人々が物事を考えるようになってからは、
春になると野原に花が咲き乱れるのは、
神様がそれを喜びたまうから」ではなく、
気温や湿度や日長の結果として・・・」と
いうことになってしまった。

物と物の目に見える因果関係だけで、物、事が上手に
説明できるようになり、ぼくたちは、目に見えないものを、
いっさい心の中から捨ててしまった。

そしてそれまで神がおられた場所(心の中の場所)に
自分(=人間)を据えた。自由・平等・正義は、
人間を中心に据えられて考えられるようになった。

人間中心の自由・平等・正義は西洋で生まれ、
東洋にまで伝わり、今では世界中にほぼ行き渡っている
(「現実」が、ではなく「考え」がだ。現実にはまだ
これらを全て人類が手に入れたわけではない)

そのプロセスの中で、人間の未熟さやエゴイズムや
愚かさが拡大してしまったように僕には思えてならない。

僕達が、心の中から神を捨てた時、僕達が自然の一部であり、
自然に支えられ、また、自然を支えることで存在を
許されているということをすっかり忘れてしまった。

わが子に語る星と宇宙のはなし

わが子に語る星と宇宙のはなし

  • 作者: 川津 祐介
  • 出版社/メーカー: フォー・ユー
  • 発売日: 1990/07/01
  • メディア: 単行本
川津さんの書籍は初めて拝読したのですが

なんかのきっかけで臨死体験がおありだと知り、

一度読んでみたいと思っていた折

今年2月に亡くなられてしまった。

お悔やみ申し上げます。

柔らかいタッチと体験や経験からくる

自論がある人の書籍は 面白いし、

興味深い内容だった。 読んでいて、

ほぼ反射的に以下を思い出した。

「大切なものは目に見えないんだよ」
『星の王子さま』から抜粋
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(1943年)

余談だけれど、川津さんを見ると子供の頃、

テレビ版「ワイルドセブン(1972年〜1973年全25話)」の

草波隊長を連想してしまう。

そんな人、多くはないだろうけれど。


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Spotify 新しいコンテンツ王国の誕生:スベン・カールソン、ヨーナス・レイヨンフーフブッド著 池上明子訳(2020年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

創業者「ダニエル・エク」氏が

スポティファイ社を立ち上げ、

10年でレコード会社を違法コピーの嵐から救出、

アップル社に事業モデル変更を迫る

存在となるまでのルポ。

音楽の聴き方、アーティストとリスナーの

関係を根本から変えたと思う。

自分もその一人、

パッケージ(CD・レコード)を

契約してから1枚も買わなくなった。

ituneは楽曲をCDでセット販売という常識を覆し、
バラ売りを可能としたが、この時点でさらに一歩先の
「ストリーミング」を広め、ユーザの好みを予測する新技術を確立。
スウェーデンの小企業がカルチャーにこれほどまで
大きな影響を与えたのは前代未聞である。

Spotifyユーザーがよく聴いているのは、
同社が作成した「プレイリスト」ユーザが好みの曲を
選んでいくとそれを元にラジオ機能に似た様な曲を
集めてリストを作成する。
同社のアルゴリズムと「ヒューマンエディター」は
好みが似通った何百万という人々のデータを解析して
そこに共通項を見つけ出すと瞬時に世界で唯一の
音楽体験を提供する。

技術チームは一流の製品開発を、と、
聴きたい曲を1回でヒットさせてリダルダント(遅れ)なしで
再生できなければと考えた。
とにかく速度が重要で数字にすると0.2秒が鍵を握る。

徐々にサービスやメニューを拡張させ、

賛同者を増やしといった、

いわゆる ベンチャーキャピタルとして

成功していく様だったり

(成功というかいまだに格闘だろうけれど、

「因習」や「世間」や「ニール・ヤング」とかと)

アップルからダウンロードのプラットフォームを

間借りさせてもらえるための

画策計画・実施や、多額の資金繰り成功、

ジョブスの生前最後の プレゼンテーション、

icloudの発表などは、

Spotifyのサービス開発・関係者を

力強く鼓舞しただろう。

スティーブ・ジョブスと”シャドーボクシング”をしてから9年、
ダニエル・エクは伝説の人物に挑むことを恐れていなかった。
「広く知られているように、スティーブ・ジョブズは、
アップルストアにはアップルのコンテンツのみにすることを強く望んでいた」

”シャドーボクシング”とはものすごい強い比喩。

他にも読みどころは沢山あるので

ご興味ある方はご一読ください。

この本の面白いところ内容は

もちろんだけど、演出の一つで、

小見出しに和訳だけでなく

英訳も添えてあるところ。

目次はたまに見かけるが、

本文でこれを展開しているのは

自分はあまり知らない。

それがとても印象的で流れを

遮らない良い効果だった。

(自分はって話だけど)

以下抜粋すると

■小見出しの一部抜粋(順不同)
 ジョブス最後の演説(Cloud Nine)
 マイクロソフトCEO、スポティファイに食指がうごく(Man in black)
 ボブ・ディラン脱退す(The Times They are a-Changing)
 フェイスブック行きのチケット(Ticket to Ride)
 「一瞬で、簡単に、無料で」ーロンドンで人気大爆発(Everbody’s Talking)
 夢破れて(Heatbreaker)

最後に会社・製品の名前の由来、

「Spotify」は 「スポット」と

「アイデンティファイ」の造語とのこと。

余談だけれど、これを読んで

「Unidentified Flying Object」つまり

「UFO」

軍事用語で「未確認飛行物体」を

連想してしまいました。

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ちばてつやが語る「ちばてつや」(2014年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

■漫画法規制について

私が普段気をつけているのは、
そうした法規制を求める人間の論法が、
必ず「あなたの子供を守るために」という
フレーズから始まることだ。
すぐ「子供のために」と言い出す人には
気をつけたほうがいい。その言葉の陰には、
必ず歪んだ権力志向や支配欲のようなものが
見え隠れしている。
そうやって戦争も始まったのだ。
一部の人間の過剰な権力志向に乗せられると
人間は最も簡単に危うい方に舵を切ってしまう。
それをヤナセさんが一番心配していた。

最後の”ヤナセ”さんというのは、

もちろんアンパンマンの作者のこと。

「漫画家協会」の会長だったか、

継承されたのがちばさんのようだ。

ちばさんは第二次世界大戦の時、

ご家族と共に 中国にいた頃のことを書かれた

「屋根うらの絵本かき」という短編漫画があり

子供がいる今現在の自分に照らし合わせると

壮絶な経験だったろうなと絶句する。

夜間に炊けるだけ米を炊いて、

おにぎりを作り 小さい子供たちと、

いつ出るとも確証のない 引きあげ船を目指して歩くしか、

生きる選択肢がないなんて。

そして今日現在、ウクライナで市井の人々に

同じような経験が繰り返されている現実は辛すぎる。

余談だけど、10年以上前入院中だった母親に

この短編を読ませた。

母親も戦争中の幼少期、満州鉄道に勤めていた

祖父と家族共に暮らしていたからだけど、

感想は「懐かしい」くらいだったか。

(そもそも漫画を読む人じゃなかったから

忘れたかった現実だったかもしれない)

母親がよく話していた中国の景色や人々、

戦争が終わった時の人々の変わり様などを

この短編漫画で垣間見れた気がして

漫画って(ちばてつやって)すごいなと

思った記憶がある。

それはともかく、ウクライナに1日も

早く日常生活が 戻ることを祈る。

コロナでもよく分かったけれど、

一番大切なものは 日常生活、

そしてそれをキープすることだと思う。

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「すべてを引き受ける」という思想:吉本隆明・茂木健一郎著(2012年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

脳科学の視点から、「必然、偶然の感動」を話している流れの中で吉本さんが圧倒的な論を展開する。 一部というか、長いけれど抜粋。

■茂木:科学主義としては偶然ということは確率として扱います。(中略)
 ところがわれわれの今の悩みというか、私の悩みは、
 今吉本さんが言われた「偶然」がもっている現場性というか
 いろいろな折り目を重ねていったうえで感動に至る経緯
 これはとても確率という概念では扱いきれないことです。
 そば屋に入っていって親子が一杯のかけそばを分け合って
 食べている確率はどれくらいで、その確率を超えた事象群に
 出会ったから感動したとか、そういう記述をしていっても
 どうも感動の本質には迫れない。(中略)

■吉本:ぼくは中世の宗教家の親鸞(しんらん)が好きで、
 随分と影響を受けていますけれど、親鸞はその辺りの問題を
 「往き」と「還り」という概念で考えています。

 親鸞の言葉をそのまま使えば
 「往相(おうそう)」と「還相(げんそう)」ということになります。

 往きがけに、偶然そこで一杯のかけそばを分け合って
 食べている親子を見かけて感動した、
 あるいは同情したというのは偶然性を契機にして作り上げられた理論であって
 いってみれば往きがけの理論だ。そういう親子に同情したり感動したとしても、
 それが万人に対する感動や倫理を象徴しているわけではないから
 あまり意味はないんだと、そんなふうに親鸞は思い切ったことを言っています。

 しかし、一杯のかけそばを親子で食べている光景を
 還りがけの目で見ることができるならば
 その光景を見ただけで万人の救済の方法を掴むことができると言います。
 親鸞は仏教者ですから、「救済」ということを考えているわけですが
 ひと組の親子の姿を見ることは多くの困っている親子が一杯のかけそばを
 分け合って食っているのを見るのと同じことであるのだから、
 ひと組の親子を見ただけで、こういう状態を救済するにはどうしたらいいか
 ということまで考えが及ぶ、というわけです。
 これを敷衍(ふえん)していえば、往きがけに飢えた人がいるのを見て
 その人を助けたか、助けないまま通り過ぎてしまったか、
 そんなことは大した問題ではないという。
 親鸞はそこまで言い切っていますよね。
 その親子を助けるか助けないかは、
 その時の気分次第でいかようにも振舞ってもいいし
 また振る舞える。それは善悪の問題とか倫理の問題、
 つまりは救済の問題ではないんだと言っています。
 救済というのはそういうことではなくて、
 ある地点まで行ってそこから還ってきた
 そういう目で見ることだといっています。

 そういう目で見られるならば、一つの光景を見ただけで、
 そういう人たち全体を見渡すことができるし、
 どうすれば救済が可能かという考え方も
 自ずから出てくるものだと言います。

 それが還りの目だと、親鸞はそいういう言い方をしています。
 徹底的にそう言っています。

 それは何故かといえば、偶然何かを見て動揺したり、
 同情したりしたって
 それで多くの人を助けおおせるものではないことは
 わかりきっているからです。
 偶然見かけた光景から引き出された考えというのは
 何かを意味づけることができない。
 まして倫理的に意味付けることはできないし、
 救済の問題に結びつけることはできない。
 親鸞はそういう考え方をしています。

 この辺りの「往きの目」(往相)と
 「還りの目」(還相)ということは、
 知識を例にとっていえば
 知識を追求していって世界思想の最高水準まで
 到達するのが「往相」です。
 しかし真の意味で知識を全体性として獲得するというのは、
 知識を獲得することが同時に、反=知識、不=知識を
 包括することでなくてはならない。
 親鸞はそれを「還相」と呼んでいるわけです。
 そういう考え方はとてもいいじゃないかと、僕は思います。

■茂木:(中略)ふつう向こうから何かがやってくるのは偶然と考えがちですが
 今おっしゃられたことは、それを必然であるかのごとく
 受け止めるということでしょうか?
 つまり、自分でコントロールして何かをやれば、全部自分が仕掛けたことですから
 偶然と見えてしまう。それが普通の感覚だと思いますが、
 親鸞ないし吉本さんがおっしゃっていることは、そうではなくて、
 向こうからくるものをあたかも必然であるかのように
 受け止める、ということですか?

■吉本:そういうことだと思います。

「一杯のかけそば」って時代を感じる。 若い頃、親鸞(吉川英治)を買って読んだけど全く思い出せない。 読んでないのかもしれない。 というか若さゆえ、また、今読んだとしても浅学非才ゆえ、 吉本さんのようにはキャッチできないのかもしれないけど 常に「親鸞」という人には興味ある、なぜかわからないが。 余談だけれど、山下達郎さんのラジオ、大瀧詠一さんご存命時 毎年正月に「新春放談」という対談をされていたけれど いつだったかの放送で、大瀧詠一さんが山下さんとの 出会いのことを 「『必然』というのは『偶然』の仮面を被ってやってくる」 と形容されておられたのを思い出した。

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無垢の歌:ウィリアム・ブレイク著:池澤春菜・夏樹訳(2021年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

■煙突掃除

お母さんが死んだ時、ぼくはちっちゃな子供だった。
まだ舌ったらずで「えんとちゅしょうじ」だって言えなかったのに
お父さんはぼくを売り払った。
だから僕は煙突をきれいにして、煤だらけになって眠る。
ちっちゃなトム・ディカーは、
髪の毛を子羊みたいに剃られた時泣いたけど
でも、ぼくは言ったんだ
大丈夫だよ、トム。だって坊主頭なら、君の白い髪の毛が
煤で汚れることもないもの
トムは泣き止んだ
でもその夜、眠った後で、トムは夢を見た
たくさんのたくさんの仲間たち、ディックにジョー、ネッドにジャック、
みんながみんな、真っ黒なお棺に閉じ込められているのを
そしたら、キラキラ光る鍵を持った天使がやって来て
お棺を開けて、みんなを出してあげた

(中略)

天使がトムに言うには、いい子でいたら
きっと神様がお父さんになってくれる、そしたら毎日楽しい事ばかり

(中略)

だってね、もしみんなが自分のお役目を果たしたら
なんにも心配することなんてないんだよ

ブレイクといえば、ドアーズ(ジム・モリソン)のイメージが 強すぎてこの詩集の作品群は、全く予想外。 先入観って怖い、無知蒙昧な自分を恥じる。 タイトルのように、そういう作品を特に 意識したのかもしれないけれど。 ただ、こういったイノセントな詩に触れつつも もしかしたら、この裏に何か潜んでいるのか?といった 怖い印象も若干するのは、自分だけだろうか。 なおかつ、示唆に富んでいるというか。 「詩人」と「吟遊詩人」の違いもわからない自分なんで 適した感じ方じゃないかもしれないけれど。 余談だけれど、キリスト教文化がわからない自分には 作品に対しての「注釈」や全体の「解説」があって、 この本は、とてもありがたい。 (人によっては「そんなのは蛇足だ!」って人もいるだろうけれど 19世紀のイギリスで「煙突掃除」が何を意味しているかなんて、 説明がなければわかる訳がない) この作品と対になっている「経験の歌」と言うのもあるらしい。 さらに余談だけれど、つげ義春さんの漫画で「おばけ煙突(1958年)」ってのを 大昔、「ばく」と言う雑誌が80年後半に再掲載していた。 こちらは生きているのが嫌になる救いや容赦のない漫画だった。

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読書について [’23年以前の”新旧の価値観”]

正宗白鳥著:北遊記(年度不明)

便利な世の中になったものだ。
芭蕉が、旅に死するは天命なりなどと言って、
とぼとぼと辿った土地を、寝台で微睡むうちに通り越し、
夜、上野を立った私どもは、翌朝は青森に着いた。
物質文明の時代に生まれた有難さは感ぜられるが、
天地自然に親しみ、旅行を人生の修行とするには、
汽車も自動車もなかった時代の方が効果が多かったに
違いない。
読書も同じことだ。
ようやく手に入れた外国の書物を、辞書を頼りにポツポツ
読んだ時の方がしみじみと身に沁みて味われたので、
容易に得られる安価な翻訳書に
よってすらすら読むのではかえって感銘が
薄いのではと疑われる。

いつの時代も新しいものが登場すると、 常にこういう感慨になるのだろうか? 今ならさしずめ、「紙書籍」と「電子書籍」も同じくだろう。 というか、「リアル」と「デジタル」なのかもしれない。

タグ:正宗白鳥
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澁澤龍彦との日々:澁澤龍子著(2005年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

結婚前のことですが、忘れもしないこんな事がありました。
ある日、銀座の画廊で展覧会を見る約束をしていましたが、
澁澤はいくら待っても現れません。怒り心頭に発したわたしは、
帰りに澁澤の家に寄りましたところ、
本人は「だって眠かったから寝ていたの」とケロっとしています。
「エッ!あなたの眠いのと龍子とどっちが大事なのよ!」
「だって、この宇宙はぼくを中心に回っているから、
これからもずっとそうだよ、そんなことで怒るのおかしいよ」と、
しゃあしゃあとしているではありませんか。 「もう許せない!」とそれまでのわたしでしたら、
これで一巻の終わりになるはずが、不思議にも怒りがすうっと消えて、
こういう人もいたのだと感心して、にこにこ笑っていたのです。

澁澤さんが質の良い仕事をされていたのは 奥様の支え、内助の功があったからということを 思わせつつ、お二人の関係を如実に収斂されている エピソードというか、文章で貫かれている書籍だった。 余談だけれど、これに似たような会話が、 仲井戸麗市著「一枚のレコードから」(1999年)にて チャボさんと山下達郎さんとの対談であったので一部抜粋。

 ■山下さん
 「僕、高校の時にガールフレンドがいて
 日曜日はデートするっつうと、レコード屋でね、
 5軒目(はしごしてて)で遂にキレてね  『私とレコードどっちが大事なの!』
 『もちろんレコードだよ』って(笑)」
 ■仲井戸さん
 「(中略)酷い人(笑)」
 ■山下さん
 「でもよくあるんだよ、そういう話は。
 心優しい男の人だったらね、そこで『それは比較の対象に
 なる問題じゃない』とか言うのかもしれないけれど、
 そういうこと訊くこと自体がナンセンスなんだよ」
 ■仲井戸さん
 「やな彼氏〜(笑)」

ふーっ。 なんか分かるような気もする自分がいるような。 社会生活を営む上で、とてもコンフリクトを経験してきているであろう エピソードでした。

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「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ 平川克美著(2014年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ (シリーズ22世紀を生きる)

「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ (シリーズ22世紀を生きる)

  • 作者: 平川克美
  • 出版社/メーカー: ミシマ社
  • 発売日: 2014/06/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
■「経済成長しない社会」が必要

いまの日本に残された解は「経済成長しない社会」を
再設計することしかない、というのがわたしの見解です。
経済成長という指標で物事を測ると、効率の悪いものは
淘汰されていくしかありません。
(中略)そこに辿り着くのは容易ではありません。
2012年6月、ブラジル・リオデジャネイロで開かれた
地球サミットで、ウルグアイのムヒカ大統領の演説が注目を集めました。
「ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば
この惑星はどうなるでしょうか?」と世界に向けて、素朴に問いかけたのです。
答えは明快です。そうなったら、世界はもう破滅するしかない。

■すべては進歩の帰結である

壊れゆく社会を前に、戦後生まれの団塊の世代の
責任を問う声もあります。けれどもわたしは ー団塊を擁護するつもりはないですがー 
団塊に責任があるとは思っていません。
いまの現象は、歴史の発展の帰結として起こっている事だと思うのです。
しかも、今起きていることは、それぞれが絡み合いながら進行しています。
ひとつは都市化が挙げられます。養老孟司先生の言葉を借りれば
「脳化」ということです。身体的なものを切り捨て、観念だけが
重視される社会になっています。さらには、貨幣が経済活動の中心を
占めるようにもなっています。

■いろいろな人が普通に生きていける世の中に

私が思う「いい世の中」とは、いろいろな人が普通に
生きていける世の中です。与太郎しかり、荷風のような一刻者しかり、
多様でちょっと奇特な人達を受け入れられる懐の深い社会こそが
「いい世の中」だと思うのです。ところが現実は、
そこからどんどん離れる方向に進んでいます。
おカネだけが指標になり、おカネを持たない人を排除する、
そういう世の中になろうとしています。ここで忘れてならないことは、
そういう事態を招く原因をつくっているのは、
ほかならぬわたしたち自身だということです。

そのほか興味深いところとして、

 ■消費を変える「スペンド・シフト」
 ■実質GDPは上がっているのに、
 経済成長率は下がり続けている現実
 ■「東京オリンピック(64)」「オイルショック」
 「バブル崩壊」「リーマンショック」の
 4つの基点が経済成長率の変化(下降)に関連している点
 ■週休2日のインパクト
 ■自由な雇用形態が不自由を生んだ
 ■戦略なんて嘘っぱちだ
 ■マーケティングを戦争戦略と
 結びつけるいかがわしさ
 ■会社は誰のものか
 ■小さく稼いでぐるぐる回す
 ■食べ物があればおカネはいらない
 ■要は飢えなければいい

など興味あるものが満載。

これからの社会は自分のスキルで

生活できるようにしないと、って

当たり前の話ではあるけれど、

つくづく痛感した。

いろんな会社に所属させてもらい

経験してきたので良いのか悪いのか、

この本のエッセンスを 今だからか、

キャッチできて、とても身に

つまされる本だった。

必要なものを必要なだけで、

暮らすことの重要性を再確認した。

「消費」はこの「コロナ禍」によって、

確実に変わったし

変えざるを得なくなった。

それを自分たちの力で良い方向に

持っていかないといけない。


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レコーディングスタジオの伝説 2009年8月20日 著者: ジムコーガン、 ウィリアムクラーク [’23年以前の”新旧の価値観”]

◆サンセットスタジオ レイマンザレク

私の記憶だとコントロールルームで聞いたプレイバックは
とにかくしっくりこなかった。
いかにも「サイケデリックしてます」みたいな。
ストレートさが不足してた。
流石にブルースもこれじゃダメだと分かったらしい。
「なんとかしたい、一晩時間くれ」と言ってきた。
ブルースは徹夜で作業を続け、次の日、私たちが戻ってくると
すぐさま「再生」のボタンを押した。
するとそこから聞こえてきたのが、ドアーズのサウンドだったんだ。
その瞬間から、私たちは二度と振り返らなかった。

ブルースボトニック

私はあそこに住んでいた。他にやることなんて何一つなかったから。
あの仕事を始めると他のことは一切目に入らなくなった。
朝の8時からランチタイムまでは
マイダス・マフラー(子供番組?)のコマーシャル。
そして昼食が終わったらトウッティの子供向けのアルバム。
で、夜になるとロックンロール。午後3時か4時ごろに仕上げると、
カウチで眠り、スタジオのシャワーを浴びまた同じ1日を繰り返す。
それでぜんぜんOK、楽しくってしょうがなかった、
そんな生活が何年も続いた。

ドアーズの1stアルバムは6日で仕上げた。
ドアーズは当時、ウィスキーに出ていた。
クラブのライブが終わるとこっちにきていた。
演奏をただ録るだけでよかった。オーヴァーダビングは歌を
ところどことダブるにしただけ。
あと、ベースもオーバーダブした。セッションマンのラリーネクテルに、
レイのベースパートをなぞってもらった。でもそれ以外は一切やってない。
ファーストは全曲ライブだ。それが常軌を逸し出したのはセカンド、
8トラックになってから。

ポップレコードの仕事をあまりしなくなった理由の一つに、
とにかく疲れてしまうこと。
2、3週間でできるはずのアルバムが11ヶ月も
かかったりするとやる気が失せてしまうんだ。
レコーディングは楽しくなけれりゃ、というのが私の信条だからね。
やってる最中はもちろんだけど終わった時も、
その仕事をしている理由を見失うようなことがあってはいけないんだ。
私に言わせると演奏が全て。それに尽きる。
今ある音がそういう音になるまでには、
実に多くの理由が絡んでいる。
時にはその場にいられたらって思うこともあるよ。
肉体的にもう一度「若く」なるんじゃなく、
それも確かに願望の一つだが、肉体的にもう一度あの空間に戻れたら、とね。
そうすれば私が1969年にミックスした、
とりたてのテープに立ち返ることができる。

でもあんなふうなやり方はもうできない。
何年も前からずっと話しているようなことさ。

「どうだろう、古いアルバムをリミックスして、
もっといい仕上がりにしてやるべきなんじゃないか」
そして私は毎度のように「ノー」と答える。

それは今の私があの頃の私と違っているからだ。
あれから私の人生にはいろいろなことがあった。
レコードはあの時代の記録、私がどういう人間で、
どういうところにいたかの記録なんだよ。
私が口にしていたもの、愛し合っていた女性のね。
わかるかい?あらゆるものの記録なんだ。

ドアーズの周りは、哲学者のよう。

余談だけれど、1988年ごろ、ドアーズの三人が

PRのため 来日して、

ピーター・バラカン氏と

TVでトークした内容。

 ■ピーター
 「初期の作品は、クレジットが「ドアーズ」名義になっていたのは、
 ヒッピー文化と関係ありますか?」
 ■ジョン・デンズモア
 「ヒッピー?どういう意味?」
 ■ピーター
 「分かち合うとか・・・」
 ■ロビー・クリーガー
 「ジムは、ミステリアスな雰囲気を好んでいたんだよ。
 この曲は誰が作ったとか、聴いてる人に悟られたくなかったんじゃないかな」
 ■レイ・マンザレク
 (笑いながら同意)

今でこそ、バンドの内情がわかる本とかで、

確認できるけれど 80年後半日本で、

こういうコメントはとても珍しく、

若かった自分は驚いた記憶がある。

ビデオ録画したものを何度も観て、

このほか いくつか質問してて覚えてるのは

レイの子供が中学生になって、

「The End」を聴いたら

「パパ、これってすごいヘヴィーだね」

って言ったと言ったら

ロビーとジョンが大笑いしていたとか。

50歳過ぎた今でも、忘れてないのでした。

さらに余談の余談、 ピーター・バラカン氏と

私の誕生日と、この本の出版日が同じでした。

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吉本隆明 わが昭和史 2020年1月 [’23年以前の”新旧の価値観”]

吉本隆明 わが昭和史

吉本隆明 わが昭和史

  • 作者: 吉本 隆明
  • 出版社/メーカー: ビジネス社
  • 発売日: 2020/10/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
敗戦のことを中心にした短い随筆から一部を抜粋。 ボクの20代

その体験は敗戦とともに僕の人生観や価値観を決定したと思います。
いまでも人間が意志してできることは半分しかないと思っています。

余談だけど、吉本さんを知ったのは、

遠藤ミチロウ氏との対談で1982年ごろか。

(その「バターになりたい」という書籍は

今も持っている。装丁もいかしている。)

その時は、難しすぎ&社会経験が

浅すぎて意味がわからなかったけれど

最近読み直して、

「言葉」と「社会」と「文化」と「感性」と

それらを背負って、なんでそういう

「歌」になるのか そしてなんでそれに

「グッ」とくるのか、を話していたのだと感じた。

(当時もそう思ったけれど「わからなかった」

としか言いようがない。)

何で当時、日本のパンクロッカーの雄と

言論人が対談しているのか

不思議だったけれど、今思えば、

娘さんのばななさんが好きだったでは?

とか そういえば、黒澤明も子供が

興味ある映画を観に行って刺激になる、

みたいなのを読んだ事がある。

子供の興味対象って、新しい価値観

そのものだからかな。

「共同幻想論」「言語にとって美とはなにか」も

読んでない、 不届者の1ファンでしか

ないのだけど 吉本さんの主戦場ではない、

本をその後、何冊も読んで、 きっと自分に

似ているところがあると

勝手に思ってしまったり、

妻も好きな人だったので

ますます家に吉本さんの本が増えていった。

さらに余談、日本記者クラブのサイトに

書いてあるのが すごく興味深かったので

ちょっとだけ転載してしまいますけれど


思想の巨人のたくまざるユーモア 吉本隆明さん(細田 正和)2013年6月

暮らしの場での吉本さんはまことに気さくだった。
武骨で控え目なふるまいが、たくまざるユーモアとなって周囲を和ませた。
家族や友人たちのどんちゃん騒ぎを、ビールをなめながらニコニコ見ていた。
昼時には台所に立って「地獄うどん」をふるまってくれた。

だがしかし、「思想家吉本」はまったく別だった。
どれほど尊敬する先輩だろうと(例えば埴谷雄高氏)、
売れっ子の若手学者だろうと(例えばニューアカ)、
いったん筆を執ったら容赦なかった。徹底的に対峙した。
時には罵倒した。オウム真理教をめぐる宗教論では、自ら社会の指弾に苦しんだ。
いつだって
「僕が倒れたらひとつの直接性が倒れる/もたれあうことをきらった反抗が倒れる」
とうたった初期の詩篇そのものの姿勢だった。

自分の仕事に厳しかった、と

言ってしまえばそれまでですが、

こういうのを「粋」というのかもしれない。  



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ボブディラン インタビュー大全(2019年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

ボブ・ディラン インタビュー大全

ボブ・ディラン インタビュー大全

  • 出版社/メーカー: DU BOOKS
  • 発売日: 2019/06/21
  • メディア: 単行本
■コンサートでのパフォーマンスについて

ツアーが嫌いな人は多いけど、俺にとっては呼吸をするように自然なことだ。
コンサートに出たい気持ちが抑えられないから出演するわけで、
結果は最悪だったり最高だったりする。ステージ上では体が
凍りつくような思いをするけれども、その一方で俺にとって唯一の幸福を
感じる場所なんだ。自分のなりたい人間になれる唯一の場所だ。
日常生活で自分のなりたい人間になることはできない。誰だろうと、
日常生活はがっかりすることだらけだ。でもこうした何もかもを
解決してくれる万能薬はステージに上がることで、
だからパフォーマーはやめられないんだ。
(1997年9月「ニューヨークタイムズ」)

■”大衆という怪物” について

俺の目に映るのは「大衆」という怪物だ‥アメリカのそこいら中にいる。
自宅、ベッド、クローゼットの中にまで侵略している。生命そのものを
抹殺しかねない。森の奥や田舎に引っ込んでも追いかけてくる。
あらゆる人を同じ型に押し込めたいみたいだ。異質な人は
ちょっとイカれているか変人とみなされる。こうしたすべてに巻き込まれずに
正気で居続けるのは大変だ。
(ローリングストーン誌1986年1月)

■宣伝活動と一般市民について

こういった宣伝活動では、みんな誰かが他人のことを喋っているのかと
思ってしまう。そのまま受け入れようとしているが、これが俺の人生にとって
有益かどうかは疑わしい。観客の反応には関わらないように努めている。
わざとらしくなるからね。それに俺じゃ手に負えないよ。俺は基本的に
リアルなことにしか興味がないんだ。
(タイム誌1974年1月)

余談だけど、2000年ごろ、

有楽町のライブホールにて、

ディランのライブの時のこと、

アンコールって時、

興奮した客が前にどっと押し寄せ、

曲が始まったら、

ステージ上に数人上がってしまい、

ディランにタッチしたり、

メンバーに触ったりして、

曲が止まってしまい

ツアースタッフ(外人)が怒り狂って、

ステージに上がった客を

ボンボン客席に放り返していた。

その様はかなり危険かつ、

恐ろしい雰囲気で

暴動の様相を呈していた。

客電が点いて、騒然とした空気で

多くの客が「これで終わりか・・・」 と

思った矢先に、ディランが

ニコヤカに出てきた。

そのとき自分は思った。

あー、こういう人なんだなあ、ディランって

そして「雨の日の女 - Rainy Day Women #12 & 35」を

演奏し始めたんだけれど最終フレーズ

「everybody must get stoned」を会場が大合唱。

このアクシデントのために演奏したとしか

思えない盛り上がり方だった。

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仕事とは、最近よく思うこと [’23年以前の”新旧の価値観”]

徒然なるままに。

仕事が企業の貢献につながるってのも一つの理想形では あるのだろうけれど、それが拝金主義にしかつながらないとしたら 本当に虚しい。

お金は大事と思うけれど。

せっかくこの世に生を受けてきたのであれば 何らかしら世の中に貢献していくことの方が 自分としては良いと思える。 というか、学生時代からそう考えてきたけれど 仕事を始めた30年前は企業にそんな提言する若者はいなかったし いても拝金主義に背を向け、世のため人のためを仕事と結びつけて 生活が継続できるような土壌がなかった。


少なくとも自分の周りには。 そう考えると、デザインを生業にしてきた15年、会社員をしてきた15年と 合計30年間、「企業」に尽くしてきたけれど、今度は「人」のために なるような仕事をできて、生活もキープできているのであれば、 ひとまずは何者かに感謝せねばならんのだろうなと。


そしてそれらを継続できるような活動も求められるのかもしれない。

今はそんな余裕、自分にも世の中にもないけれど。

余談だけれど、若者の企業離れと言われて久しいけれど、もしかしたら 同じような思いの人がいるのかもしれない。

面接で「御社はどのような社会貢献をされてますか?」とか、 「CSR」とか「サスティナブル」とか、30年前は全くなかったからな。

若者とそういう話したことないし、 仮にいたとしても、さほど嬉しくはないけれど。

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