多田富雄先生の書から寛容を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]
養老・中村桂子先生との鼎談で
存じ上げたのですが
あまりにも高次すぎて届かない為
(要は自分の頭ではわからない)
ご自身の書には手が伸びなかったのだけど
なぜかは知らねど昨今読んでみようと思った。
多分おおよそ理解の範疇は
超えていると思うのだけど、免疫学。
第一部 寛容のメッセージ NHK「100年インタビュー」
1 生命とはどんなものか から抜粋
●谷口克さんのコメント 多田富雄が考えた免疫の意味
免疫システムは、病原体を自分以外のものと認識し、排除する仕組みです。
そのためには、自分と、病原体が違うかどうか、を認識する作業が必要なのです。
多田先生が考えられた自分とは、免疫システムの形成過程で起こる自己の排除からきています。
免疫の認識システムは生体内で唯一、遺伝子情報に頼らないで作られています。
その結果、自己を含む無限の物質を認識できる仕組みを備えることができましたが、そこには、自己を認識するシステムも含まれているため、事前に排除しておかないと自己免疫病が起こり、システムが破綻します。
そのため、自己認識の仕組みをシステム形成過程で排除し、非自己認識システムだけを残して免疫システムが出来上がっている、逆説的に言うと免疫学的自己は、非自己以外のものである、と言うことからヒントを得たのだと思われます。
免疫の意味は、要素還元的に見ていてもわからず、システム全体として考えることによって、初めて出てくるということです。
免疫には自己とは何かを問いかけるという意味もある。
その考えを説いた著書『免疫の意味論』は、大きな反響を巻き起こします。
その中で多田さんはこう述べています。
免疫は病原性の微生物のみならず、あらゆる「自己でないもの」から「自己」を区別し、個体のアイデンティティを決定する。
還元主義的生命科学がしばしば見失っている、個体の生命というものを理解するひとつの入り口である。
(中略)
免疫の研究は改めて生物学的「自己」とは何か、「非自己」とは何かを検証する機会を与えてくれた。
「非自己」の認識と排除のために発達したと考えられてきた免疫が、実は「自己」の認識をもとにして成立していたのである。
免疫には哲学的とも言える意味があるというユニークな発想。それは、研究者としての信念が生んだと谷口さんは考えています。
多田先生は、われわれ弟子に、いくつか重要なことを教えてくださいましたが、その中のひとつが、人と同じことをやってはいけない、ということでした。
研究というのは、人の後追いをしても研究にはならない。
だから人と違うことをやりなさい、ということです。
弟子には既成概念に囚われず、人と違うことをやりなさいと教えておられるのだなあ、と感じました。
ユニークな視点からだれにも真似のできない研究を続けてきた多田さんは、さらにもうひとつ免疫の持つ大きな意味に気がつきます。
それは免疫には、他者を受け入れ、共存をはかる「寛容」という性質もあるということでした。
多田さんは著書『免疫学個人授業』の中でこう説明しています。
免疫の自己には、寛容(トレランス)という現象があることも注意すべきことです。
これは、当然反応すべきはずの異物に対して、まるでそれが「自己」であるかのように受け入れて、まったく免疫反応をしなくなってしまうのです。
異物であるにもかかわらず、それを排除しないのです。
生物の反応性は、完全に一律に決められているのではなくて、かなりあいまいに、条件次第でどちらにでも動くようにセットされているのです。
こういうあいまい性こそ、生命をしなやかで強靭なものにしているのです。
免疫も、ある時は異物に対して容赦ない排除を、またある時は寛容と共存を選んで、個体を生物生態系に適応させていることがわかります。
免疫という言葉はよく見聞きするし、
比喩で使うこともあるが
実際のことはほとんど知らない。
多田先生の言葉よりお弟子さんやNHKの方が
指南してくれている抜粋からなのだけども
興味が湧いた。
2 生きている実感
から抜粋
多田さんがリハビリを始めて5年目(2006年)、厚生労働省は突然、診療報酬の改定を打ち出しました。
それによると障害者のリハビリは最長でも180日に制限されることになったのです。
多田さんが続けてきたリハビリも、通っていた病院の主治医から打ち切りを宣告されます。
多田さんはそのことを『落葉隻語 ことばのかたみ』の中に収められた文章でこのように語っています。
後遺症で身動きもままならないのに、入院中の病院から出ていってくれと言われた患者。
転院を迫られても引き受けるところが見つからない重症者。
帰るに帰れない事情を背負った麻痺患者。
リハビリを打ち切られて極度に機能が落ちた重度の障害を持つ者。
声を上げることができない脳卒中の患者が、行政から見放されている。
「医療の効率化」の名の下に重症者が選別され、国から見捨てられた棄民と化している。
リハビリをすれば社会復帰できたのに、寝たきりになった患者の人権はどうなるのか。
最後の命綱を断ち切られて、命を落とした人に涙を注がないのか。
この日本で難民ではなく医療を奪われた棄民が発生したのだ。
多田さんは、リハビリの打ち切りは弱者への死の宣告であり暴挙であると、新聞や雑誌の誌面をつかって告発します。
同時に、白紙撤回をもとめて署名運動を呼びかけ、全国から44万人もの署名が集まりました。
多田さんはその署名をたずさえて、車椅子で厚生労働省に乗り込み抗議の意志を示したのです。
3 格闘の日々を支えたものは? から抜粋
式江さんとの二人三脚で闘病の苦しみを乗り越えようとしていた多田さんに新たな病が襲います。
5年前、前立腺がんが見つかったのです。
多田式江▼
主人はがんが見つかったことを絶望はしていませんでした。
これで寿命が短くなることを再認識しただけで、これで、そんなに長くはない、それまでに一生懸命やろうという感じだったと思います。
そのことについて、多田さんはこう書き残しています。
私は生きることにだんだん慣らされた。
なんといっても妻の力が大きい。
いとしのアルヘンティーナ から抜粋
死ぬはずだった自分の命の限界まで生きたのだから、この地球からおさらばしようと思い始めた。
実際、脳梗塞になる前より、私は物事を深く考えるようになった。
他人のことも、以前より理解できる。
頭が良くなったようだ。
体が利かなくなってから、確かに寛容にもなった。
時には、不思議に高揚して、全身を詩に満たされることもある。
壊れた脳に新しい回路が作られたらしい。
残念ながら多田先生は2010年に
亡くなられてしまう。
意志は誰かが継承しているのかと思いきや
立ち上げられたと思われる
「自然科学とリベラルアーツを統合する会」は
現在閉鎖されているご様子で。
ちと勇足だったのだろうか。
個人的には、免疫とか寛容とか、
脳とか能とか気になるし
「小林秀雄」
「書評『ブラインド・ウォッチメーカー』R・ドーキンス」
なんかも看過できない。
実験(研究)と生活が多かれ少なかれ
リンクされているっていうのも
(好んでではないだだろうが)他に真似できないと感じた。
他の多田先生の書も読んでみたくなった、
暑い6月の初め洗車してたら腕を日焼けして
痒くなった休日でした。