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ダーウィンとウォレスの関係を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


幽霊を捕まえようとした科学者たち (文春文庫)

幽霊を捕まえようとした科学者たち (文春文庫)

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2010/02/10
  • メディア: 文庫


2「科学vs宗教」の時代


■ウォレスの変節ーーー進化論は万能ではない


から抜粋


アルフレッド・ラッセル・ウォレスは1862年、イギリスに帰国するとすぐにこの論争に飛び込んだ。

ハクスリーのような当意即妙の答えを返す才能はなかったが、彼には彼なりの武器があった。

根気と、熱意と、誠意である。


ウォレスが粗末な小屋に暮らし、熱帯雨林で食物をあさっている間に、近代社会は工業的発展をつづけていた。

大量生産の紙袋、写真とスライド、安全なエレベーター、機関銃などは、みなそのころ発明されたものである。

光のとてつもない速度が測定され、金色に輝く夕焼けでさえ物理現象であって、人間の手で計算できるものだということがはっきりした。

しかし、イギリスを旅してまわるうち、ウォレスはしだいにこの輝かしい進歩の暗部に気づきはじめた。

彼の眼には、西欧社会の道徳は知識の発展に追いついていないように見えた。

例はいくらでもあげることができた。

汚水の悪臭が漂うロンドンのスラム、性倒錯者向けの売春宿(客を鞭や枝で打つのが専門の店もあった)、やむにやまれぬ場合はもちろん、おもしろ半分にも盗みをする、教育を受けていない子供たち。


十年以上もイギリスを離れていたあげく、ウォレスは故国の文明の方が、”後れ”ているはずの部族社会の文明よほど暴力的で、非情で、不作法だということに気づく。

「英国民の大部分はいまだに未開人の道徳を超えていないし、多くの場合、それ以下に落ちている」と彼は友人にこぼしている。


科学が信仰の喪失を早めている可能性はある、とウォレスは考えていた。

それに信仰をもたない社会は退化に向かう恐れもあると。

神がいなければーーー少なくとも神への信仰がなければーーー善悪を裏付けるもの、賞罰を保証するものがなくなってしまいかねない。


キリスト教式の世界解釈はもはや時代遅れで説得力もないと考えていたにもかかわらず、ウォレスは宇宙にひとつの道徳的な力が働いている可能性について考えるようになった。

そうした高次の力が存在する可能性まで科学が否定してしまえば、無道徳状態が広がって、社会構造を破壊してしまうのではないか。

自分たち科学者には、これまで事態を放置してきた責任がある。

ウォレスはそう考えはじめた。

そして、「自然の物理的側面だけでなく、道徳的側面をも」研究するのが科学者のつとめだと、強く思うようになった。


めまいがするほど過激な新理論を吟味するうちに、自分は科学と精神を統合する道を発見できるかもしれないと、そう思うようになった。


ウォレスの新たな考えとは、自然淘汰には少なくとも人類に関しては限界がある、ということだった。

肉体については、たしかに自然淘汰説で説明できる。

肌、髪、筋肉、心臓の鼓動、肺の伸縮、手の形、脊椎のカーブ、そういったものがすべてダーウィンの(ウォレスの)法則にしたがって進化したことは、彼も依然として信じていた。

だが、精神についてはちがうのではないか、と彼は言う。

もしかすると知性や、道徳や、心と呼ばれるこのはかないものは、別の道筋をたどって発展してきたのではないか。

われわれの良心は導きによって、まだ発見されていないなんらかの力によって、こしらえあげられたのではないか。

宇宙の目的とは、精神の進化を促進するようなものではないか。

「地球の物質的な不完全性」さえ、無作為ではなく目的があり、なんらかの高次の力によって計画されているのではないか。


「冬の寒風や夏の暑熱も、火山も、つむじ風や洪水も、暗い森も、すべてが”刺激”として働き、人間の知性を発達させ、鍛えてきたのではないか。その一方で、世界中のどこにでもつねに存在する抑圧と不正、無知と犯罪、悲嘆と苦痛は、正義や、あわれみや、思いやりや、愛といった、より高邁な感情を訓練して鍛える手段だったのではないか。

それらの感情は人間がみずからのもっとも崇高な特質と考えるもので、ほかの手段で発達してきたと考えるのはまず不可能である」

こういう見事な計画者が存在する証拠をみつけるには、超常現象の分野を調査するに限る。

ウォレスはそう思いついた。


初めてロンドンの降霊会に参加してみて、科学的証拠たりうるものは何もないのがわかった。

けれども、どの降霊会も、希望を持てる程度には不可思議だった。

何はともあれ、不可解なことが起きるのは見たと主張できた。

科学の法則ではこれまで説明できなかったーーーおそらくこれからもできないーーーことが起きるのは見たと。


本人の記すところによれば、ウォレスはあるテーブルの傾斜の実演にとりわけ印象を受けたという。

「テーブルがぶるぶると奇妙な動きを見せはじめた。まるで生きた動物が震えているかのようで、。振動が肘まで伝わってきた」


いくつかの現象は

「事実という確固たる基盤をあたえてくれた」

として、ほかの科学者たちにも自分とともに調査を続けるよう求めた。

「説明できないからといって科学が無視してきた」謎について、自分のように頭を悩ませている知識人は、ほかにも大勢いるに違いない。

彼はそう書いた。


ダーウィンはただちに、きみは自分たちを批判する陣営に誤ったメッセージを送り、霊の力というものに不当な信用を与えようとしている、とウォレスに警告した。

ダーウィンが危惧したのは、進化論の提唱者のひとりが科学を捨てて迷信に味方したという印象を、世間に与えてしまうことだった。


「きみはまるで(幼虫へと)変態した博物学者だ」

とダーウィンは強い調子で書いている。

「きみが自説をくつがえすことは私が許さない


しかし、ダーウィンは激昂のあまり重大な点を見逃していた。

アルフレッド・ラッセル・ウォレスが進化論に背を向けたことは、後にも先にも一度としてなかった。

ウォレスは進化論を普及させ、一生をかけてさらに磨き上げていく。

1882年に没するダーウィンをはるかに超えて、20世紀の声を聞くまで。

ウォレスは自分の理論を否定したわけではなかった。

ただ、満足のいくものではないと気づいたのである。

素朴な適者生存と、機械的な進化だけでは充分ではないと。


■ウォレスの孤独な闘い


から抜粋


1860年代末、みずからの心の眼にしたがって、アルフレッド・ラッセル・ウォレスは、著名な生理学者であり優秀な物理学者でもあるジョン・ティンダルをはじめとする評判の科学者たちに招待状を送り、自分の家でもよおす私的降霊会に参加して心霊現象を調査してみないかと呼びかけた。

ウォレスが期待したのは、T・H・ハクスリーに書いたようにそうした研究を「人類学の新部門」と見なしてくれることだった。


案の定、ハクスリーの断りの手紙は、ほかの誰よりも痛烈だった。

若いころ何度か降霊会に参加したことのあるハクスリーは、降霊術などばかげたものだと考えていた。


1869年4月、自然淘汰には限界があるのではないか、精神的行為や道徳的行為の進歩には「すべてを統(す)べる知性」が力をおよぼしているのではないか、という持論を展開した論文を発表した。


仲間の独善的な口調に、ダーウィンはさらに危機感を覚えた。

論文の初期稿を読んだあと、ウォレスにこう書き送った。

「そうと知らなければ、別人が書いたのかと思っただろう。

きみの予想どおり、わたしは悲しいほどきみと意見を異にするし、それがとても残念だ」


こうしてダーウィンとウォレスは、仲違いに至ってしまったわけですな。


ウォレスにはウォレスさんなりの、信念みたいなのがあったのだろうけれど。


そのあと、自説を裏付けるために奔走されたようで。


これもダーウィンさんは快く思ってなかったろうと想像できる。


しかし、ウォレスは残念だとは思わなかった。ダーウィンとその高名な盟友たちの説得には失敗したものの、もっと有望な人物を見つけていた。

大英帝国でも屈指の科学者の一人、化学者にして発明家のウィリアム・クルックスを説得し、いまだ得体の知れないD・D・ヒュームの、本格的調査を行わせることに成功していたのである。


■ダニエル・ダンクラス・ヒューム(1833-1886)

スコットランド生まれ、アメリカ育ちの物理霊媒。空中浮揚、どこからともなく聞こえる声や音楽、闇から突然現れる手など、さまざまな心霊現象を引き起こした。

ヨーロッパ各地で降霊会を開催、ナポレオン3世、ドイツ皇帝なども参加した。

ウィリアム・クルックスが研究対象としたが、いんちきは発見できなかったという。

晩年は自らいんちき霊媒の暴露に奔走した。


■ウィリアム・クルックス(1832-1919)

イギリスの化学者・物理学者。すぐれた実験家としても知られ、タリウムの発見、クルックス管(真空管電管)の発明、ラジオメーター(放射線測定器)の発明など、科学の発展に寄与した。

D・D・ヒュームを皮切りに数々の霊媒を研究、のちSPR会長を就任する。

英国学術協会の会長就任演説でも超自然の力を信じていると力説して周囲を驚かせた。


こんなことがあってのしばらくのち


ダーウィン亡くなって7年後に


『ダーウィニズム』(初版1889年)って


また読み返すと、ダーウィンの心中は複雑だったろう。


亡くなってるから心中も何もないけれど。


 


それにしても進化論、自然淘汰には


限界があるからって


スピリチュアルに傾倒される


ダーウィニズム”ってなんなのだろう、と


思わずにはいられない。


いくらトンデモ話が嫌いではない自分でも。


 


ダーウィンとウォレス氏の進化論への功績は


今もって揺らぐものではないのは事実だけど


発表された後、こんな紆余曲折があり、


人生悲喜交々なのだあと思う火曜の朝、


そろそろ仕事行ってまいります。


 


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