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〈自分〉を知りたい君たちへ 読書の壁:養老孟司著(2020年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


〈自分〉を知りたい君たちへ 読書の壁

〈自分〉を知りたい君たちへ 読書の壁

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: 毎日新聞出版
  • 発売日: 2022/02/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

まえがき から抜粋


毎日新聞社の永上さんとは長いお付き合いである。

その永上さんが、私が毎日新聞に五週に一回ほどの頻度で書いていた書評を選んで本にしたいといってこられた。

書評を集めて本にするというのは、例がないわけではない。

でもよくわからないが、「他人の褌で相撲をとる」ような感じがしないでもない。

他人の書いたものを元にして、あれこれいう。

それが本になるというのも、いささか奇妙なものである。


毎日新聞の書評欄は、他の新聞の書評欄とは違っている。

本は評者が勝手に選んでいい。

長さは新聞の紙面という制約を考慮した上で、できるだけ長くする。

これは書評欄の立ち上げに尽力した、故丸谷才一氏の意見だったはずである。


書評をどう書くかは、根本的にはその本と自分との距離をどうとるか、であろう。

丸谷さんはその本をダシにして、自分の意見を書くのがいちばんいけないといっておられたという記憶がある。

それだけは私も拳拳服膺(けんけんふくよう)して、内容の紹介より自分の意見が長くならないように心してきた。

評者の立ち位置はどこか、といってもいいが、これは難しい。

いまだに正解は持てない。


ただの人が行き着いた境地 から抜粋


人生があなたを待っている―『夜と霧』を越えて


ハドン・クリングバーグ・ジュニア著/赤坂桃子訳


『夜と霧』『死と愛』などの著者、ウィーン出身の精神科医、ロゴセラピーの創始者、ナチ強制収容所の生き残り、ヴィクトール・フランクルは、いわば世界の著名人である。


本書はそのフランクルの伝記である。


フランクルほどの著名人であれば、いくつか伝記があるかと思ったが、どうもこれがはじめてらしい。

著者はアメリカの心理学者で、晩年のフランクル夫婦と親しく、また伝記を書き、書かれるつもりでの、夫婦との親密な交際があった人である。


フランクルもいくつかの批判にさらされている。

ウィーン出身の国連事務総長ワイトハイムに、ナチの将校という過去を隠したという批判が起きたとき、フランクルは頑として友人を守り、自身も非難された。

そういうことは、フランクル自身の著作を読めば、当然わかることである。

かれは集団的な罪を認めない。

その背後には、敬虔なユダヤ教徒としての強い信仰があった。

著者は書く。

「フランクルが他者の政治的な判断に従い、誰と付き合うべきかという意見を聞き入れると思う人があったら、その人は彼をよく知らないのだ。

フランクルはいかなる圧力も屈しない。

彼は悪意と復讐に対しては情け容赦がない。

彼は憎悪を抱かないという自分の決意を固く守り、皮肉な話だが、まさにその理由のために多くの人びとの憎しみを買うことになった。」

強制収容所から生還したことについて、フランクルはいう。

「生きて戻った私たちは、無数の幸運な偶然または神の奇跡

ーーーどのように表現するかは人それぞれだがーーー

によって助かった。

私たちはそれをよく知っているから、静かにこう言うのだ。

もっともすぐれた人たちは、戻ってこなかった、と」

過去の戦争を体験し、これをいうことのできる人たちは、もはやほとんど生き残っていないであろう。

8月15日には、靖国神社で大騒ぎする代わりに、フランクルでも読んだらどうか。

フランクルはすぐれた人物だが、べつに聖人君子ではない。

ただの人がここまで行き着くことができるということ、それが私を感動させる。

(2006年9月3日)


困難に立ち向かう行動力 から抜粋


医者、用水路を拓く アフガニスタンの大地から世界の虚構に挑む


中村哲著


著者はもともと医師である。二度ほど、お目にかかったことがある。

特別な人とは思えない。

いわゆる偉丈夫ではない。

最初にお会いしたとき、なぜアフガニスタンに行ったのか、教えてくれた。

モンシロチョウの起源が、あのあたりにあると考えたという。

その問題を探りたかった。

自然が好きな人なのである。

そのまま、診療所を開く破目になってしまった。


驚くべき人である。

寄付で資金を集め、故郷の九州の堰をみて歩く。

現代最先端の土木技術など、戦時下のアフガンで使えるはずもない。

江戸時代の技術がいちばん参考になりましたよ、と笑う。

必要とあらば、自分でブルドーザーを運転する。

この用水路がついに完成し、数千町歩の畑に水が戻る。

そのいきさつがこの一冊の書物になった。

叙述が面白いも、面白くないもない。

ただひたすら感動する。

よくやりましたね。そういうしかない。


国際貢献という言葉を聞くたび、なにか気恥ずかしい思いがあった。

その理由がわかった。

国際貢献と言葉でいう時に、ここまでやる意欲と行動力の裏づけがあるか。

国を代表する政治家と官僚に、とくにそう思っていただきたい。

それが国家の品格を生む。

同時に思う。

やろうと思えば、ここまでできる。

なぜ自分はやらないのか。

やっぱり死ぬまで、自分のできることを、もっとやらねばなるまい。

この本は人をそう鼓舞する。

若い人に読んでもらいたい。

いや、できるだけ大勢の人に読んでほしい。

切にそう思う。

(2008年1月6日)


介護は人を成熟させる から抜粋


脳科学者の母が、認知症になる 記憶を失うと、その人は”その人”でなくなるのか?


恩蔵絢子著


「母親と一緒で嫌なこともあるけれど、嬉しいこと、学べることがたくさんある」

と著者は書く。

「理解力が衰えて、なお残っているものが、母が人生の中で大事にしてきたものなのではなかろうか」


人生には負の面が必ずあって、それを想像すると極端になりやすい。

その治療はじつは簡単で、正面から向き合えばいいのである。

著者は脳科学を武器として母親の認知症に向き合った。

健気な戦いだと思う。

この戦いには勝ち負けはない。

ただ一つ、そこで得られるものがある。

それは自分が成熟することである。

その意味では人生は一つの作品である。

著者という作品が完成に近づくことを期待する。

(2018年11月11日)


科学で「私」は解き明かせるか から抜粋


「私」は脳ではない 21世紀のための精神の哲学


マルクス・ガブリエル著


著者はドイツの哲学者、1980年生まれ、ボン大学教授。若手の俊英である。


若い頃、哲学者とはなんだろうと思ったことがあった。

結論は簡単で、何も持っていない人だ、というものだった。


哲学者は鉛筆かパソコンくらいは持っているだろうが、あとは日常生活以外の何物も持たず、その意味では徹底的に貧乏というしかない。

その貧乏人が世界を語ると、世界は存在しなくなるというのは、何となくつじつまが合っている。

著者のいう世界とは、それを考えているあなたの考えてまで含んだ、全宇宙のことである。

そういうものを考えると、論理的に矛盾が生じる。

だからそういうものはない。

同様にして「私」は脳ではない。

括弧がついているのは、ある特定の意味で使われる私のことである。

現代の風潮を著者は神経中心主義と呼ぶ。

デカルトのコギトのように、考えているのは私であり、私の中で考えるという機能を果たしているのは脳だから、私は脳だ。

もちろんその考えはおかしい。

どこがどうおかしいのか、それを確認するためには本書を読まなければならない。


いずれにしても、著者の語る哲学は明るい哲学である。

そこをなにより推薦したい。

(2019年10月13日)


この書籍で取り上げている書籍は


50冊以上もあり


そのどれも面白いのだけど


4つだけ引かせていただきました。


 


LIFE SPAN」もあった。


先生の影響もあり


このブログでも取り上げましたけれども


全く不遜で僭越ながらも


書評を比較させていただき


深い洞察と先生ならではの


視点・考察・分析の深さ、凄さ


そのすべてにおいて


気持ちいいぐらい「完敗」の気分を


味わえましたことを、ここに謹んで


付け加えさせていただきます。


戦えるつもりは毛頭ありませんが。


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