デンマーク流「幸せの国」のつくりかた:銭本隆行著(2012年) [’23年以前の”新旧の価値観”]
書籍の帯から抜粋
■幸福度調査(2011年)
■デンマーク1位・日本90位
■医療費無料・待機児童ゼロ・失業手当2年間分
■悩みは余暇の使い方・主体性、共生の精神
そして民主主義
著者は1968年生まれ、デンマークの
国民高等学校にて、デンマークの事情を
日本に伝えて来られることに尽力。
デンマークってアンデルセン、
北欧という括りだと、
良い労働環境・社会福祉、
そして生活に根ざした
デザイン感性の質の高さ
という認識だった。
はじめに から抜粋
デンマークでは、子どもや障害者、高齢者という社会の中で弱者と呼ばれる人たちが、社会の競争原理からしっかり守られ、ゆっくりと幸せに暮らしている。
社会で働いている大人も、挫折したり、不慮の事故に遭っても十分な保障を受けられる。
そもそも弱者とは、社会にとってお金がかかる”厄介者”である。
しかし、だれもが”厄介者”になる可能性はあるのである
こうした人たちが幸せに暮らせるようなセーフティーネットが存在していることは、社会の成熟度を示すものではなかろうか。
デンマークの幸せぶりを裏付けるように、2006年と2008年のふたつの異なる幸福度調査でこの国は連続して世界1位に輝いている。
ちなみに、2022年では、
フィンランドが1位だけど、デンマークは2位。
日本は探すのがめんどくさい54位だった。
1章 童話の国の姿
風力に重点~原発なし~ から抜粋
デンマークには過去にも現在も原発はない。
それは国民の積極的な運動が大きな役割を果たしている。
1973年からのオイルショックを受けて、1976年には原発15基を国内に設置しようという計画が持ち上がった。
オイルショック時までは、日本と同様に、国内で使われる一次エネルギー(自然界で存在する形のままで使われるエネルギー)の自給率はわずか2%程度。
さらに石油の90%以上を中東からの輸入に頼っていたため、依存度を下げようという狙いだった。
これに対し、市民が立ち上がった。
OOA(Organisationen til Oplysning om Atomkraft:原子力情報機構)という環境NGOが結成され、草の根から反対運動を展開していった。
OOAが作成したロゴマークは、日本語も含め45か国語に翻訳され、現在でも世界で使われている。
1975年にコペンハーゲンの対岸わずか20キロのスウェーデン・バーセベックで原発の稼働が開始してデンマーク人の心がさかなでられ、1979年米国スリーマイル島原発事故で原発の危険性に対する関心が世界的に高まり、OOAの運動は後押しされていった。
その結果、1985年にデンマーク国会は、原子力を今後利用しないことを決定した。
原発の代わりにどこから電力を得るのか。
石油火力発電の石炭火力への転換、発電に伴う排熱を利用したコ・ジェネレーションシステムの普及、消費を抑えるエネルギー税、炭素税の導入とさまざまな施策を打ってきた。
デンマークの西の海域にある北海油田の開発にも1980年代から本格的に力を入れた。
その結果、1997年にはなんとエネルギー自給率が100%に達した。
デンマークは現在、隠れた”産油国”なのである。
さらに、風力やバイオマスガスなどの再生可能エネルギーにも力を入れている。
未来の理想として、化石エネルギー、つまり石油や天然ガス、石炭からの100%自立を目指している。
フレキシュリティー ~理想的な労働力循環~ から抜粋
「フレシキュリティー」「フレキシビリティー(柔軟性)」「セキュリティー(安定、保障)」を組み合わせた造語だが、主に北欧の労働政策を語るときによく使われる。
①柔軟な労働市場
②手厚い失業手当
③職業訓練の充実
この三者の関係は「黄金の三角形(トライアングル)」とも呼ばれ、企業活動の促進と社会福祉の充実を組み合わせた成功例として世界に知られている。
公共部門の大きさや原油自給率100%によるお金の内部循環構造、さらに国際競争力がある企業と企業活動を促進する政策が相まって、デンマークは福祉国家を維持できるとされている。
2章 ゆりかごから墓場まで
待機リストなし
~子供手当あり~ から抜粋
デンマークでは学校に上がってからの教育費は、義務教育が終わった後の高校、大学も含めて無料である。
しかし、就学までの保育料は有料である。
義務教育とは異なり、あくまで育児支援であり、親が預けずに面倒をみる場合もあるためにさまざまな措置が施されている。
日本では保育所や幼稚園へ入園できない待機リストの存在が問題となっているが、デンマークでは保育所や保育ママ、幼稚園の待機リストは、コペンハーゲンのような都会のよほど人口過密な場所以外は存在しない。
それでも施設さえ選ばなければすぐにでも入れる。
ボールを間に落とさない~国民にソーシャルワーカー~ から抜粋
デンマーク人が感じる、幸福、とはなにか。
哲学的な話はさておき、幸福と感じる重要な条件として、生活に不安がない、ということがいえるだろう。
生活の不安はどこから来るかといえば、いざというとき、助けを得られるかどうかにかかっている。
デンマークの市には必ず、さまざまな問題を抱える市民に対応するソーシャルワーカーが存在する。
国民一人ひとりにそれぞれのソーシャルワーカーがいるといってもよい。
一人にひとり、ソーシャルワーカーが
いるというのは心強い。
生活相談の専門家がいるなんて。
余談だけど
大昔、スコットランドにある
B&Bに夫婦で宿泊した。
奥さんが日本人だったというのが
取り持つ縁だったのだけど、その際
旦那さんのご職業をそっと尋ねたら
「まだ日本にはない仕事なの、
”ソーシャルワーカー”という」
と仰り、自分も知らなかった記憶がある。
「ソーシャル」って言葉自体
今なら断片を頻繁にニュースで聞くが
約20年前、自分は「ソーシャルダンス」
くらいしか知らなくて、
なんのことを言っているのか、後でわかった。
でもその時それを聞きながら、
それは社会に必要な仕事だなあ
でも今の日本だと社会が認めるのだろうか
報酬はどうなるのだろうかなあ
などと頭をよぎったことを思い出した。
介護費無料
~可能なかぎり在宅~ から抜粋
年金に次いで老後の心配となるのは、いざという場合の介護負担である。
日本では介護保険制度の下、要介護認定を受けた者に介護サービスが行われている。
しかしデンマークでは、要介護度、というランク付けはない。
介護サービスを必要とする者が、高齢者にかぎらず、障害などでないがしかの理由がある者も含めて、市に申請。
市で審査され、認められれば住居内の掃除という簡単なものから24時間ケアまで、必要に応じたサービスが本人負担なしで行われる。
これらのサービスも年金同様、保険という形態で徴収されるもではなく、すべて税金から無料でまかなわれる。
したがって、サービスを受けるのに財布と相談する必要はない。
4章 第二の人生・デンマークの成人
くじによる徴兵制度
~充実した”便宜”~ から抜粋
18歳になれば、特に男子には大きな役割が課せられる。
デンマークには徴兵制度があり、18歳から60歳までの成人男子は、心身ともに健康であれば祖国を守るための兵役の義務があると憲法で定められている。
だが、全員が兵役に服するわけではない。
信条や宗教などの理由で、兵役を忌避することも可能。
その場合は、センターに出頭し、他の者と同様にくじを引き、当たれば社会施設などでの活動に従事することになる。
志願兵制度に慣れた現在の日本人からすれば、「徴兵」と聞くだけでアレルギーを感じるかもしれない。
デンマーク人は、特別に好意的というわけでもないが、特別に否定的でもないという受け止め方だ。
ストレスは余暇から
~余暇は人生の大部分~ から抜粋
知人の女性は
「夫が毎日15時過ぎに帰ってくるのがストレス。もうちょっと家にいない時間を増やしてほしい」と愚痴をこぼす。
デンマーク人にとって、生活の3分の2ぐらいの時間が、自分が自由にできる時間となる。
仕事とは、余暇の合間にやるもの、なのである。
5章 第三の人生・デンマークの高齢者
高齢者3原則
~人道面と経済性~ から抜粋
充実したデンマークの高齢者福祉。
しかし、ただやみくもにサービスを手厚くさせてきたわけではなく、デンマークの文化に根ざし、かつ費用も考慮したうえでの3つの原則がそこにはある。
①継続性
②自己資源の活用
③自己決定
3原則は、1982年に設けられた高齢者福祉審議委員会の答申に盛り込まれている。増大する高齢者福祉部門の支出を抑え、かつ質を落とさないためにはどうするかという視点から打ち出されたのだった。
人道面と経済性のふたつの視点が考慮され、可能な限り在宅の原則、は促進されてきた。
ちなみにこのふたつの視点は、高齢者福祉にかぎらず、デンマークの社会政策を語るうえで重要だ。
常にふたつの視点を考慮したうえでサービスは決定されていく。
可能なかぎり在宅、を支えるため、デンマークは在宅ケアの充実には力を入れてきた。
在宅ケアは大きくいって、実務ケア、個人ケアに分かれる。
実務ケアとは、掃除、買い物、洗濯などの代行である。
個人ケアとは、おむつの交換や服の着替え、飲食介助など。
在宅ケアは、必要性があると認められれば、回数に限度はなく1日に何回でも受けることは可能。
原則、自己負担はなく無償で提供される。
8章 日本にいま必要なもの
3つの姿勢
~主体的な国民へ~ から抜粋
デンマークと日本を比べたときに、何が異なるのだろう。
たしかに制度は異なる。
しかし、その制度を利用する国民の姿勢そのものに大きな違いを感じる。
国民そのものが制度を支えている。
ただの客体ではなく主体なのである。
日本人が”主体的国民”となるためのヒントを、これまでみてきたデンマークから得たい。
それはデンマーク人のだれもが持つ以下の3つの姿勢である。
「自己決定」「連帯意識」「民主主義」
「自己決定」とは、読んで字の如く、自分で決定するということである。
日本人は自分でものごとを決めているだろうか?たとえば、多くの外国人が日本人を評して、「おとなしい」「いうことを聞いてくれる」。
しかし、これらは裏を返せば、「意見をいわない」「自分の考えを持たない」と消極的な意味も含まれる。
「連帯意識」とは、他人との協同である。
自己主張が強いデンマーク人は、この意識を強く持っている。
考え方や背景が違えど、「同じ人間」ということで、手をお互いに差し伸べ合う。
妬み、嫉み、お互いの足の引っ張り合い、が常態の日本とは大きく異なる。
「民主主義」とは、政治システムの話ではない。
簡単にいえば、「徹底的に話し合ってものごとを決める」という姿勢である。
これはデンマーク人に徹底的に浸透している。
デンマーク人と話していると、1時間に1回は絶対に、「デモクラシー(民主主義)」という言葉がついて出てくるほどだ。
規則よりも対話
~常識をもとに~ から抜粋
「民主主義」が真に機能するには、「自己決定」と「連帯意識」の原則は欠かせない。
これら3つの姿勢こそが、デンマークをデンマークたらしめている不可欠要素なのである。
不断の努力
~悪い点は即座に直す~ から抜粋
ある国のやり方が別の国に完全に適用できるなんてことは絶対にない。
歴史、伝統、文化、慣習……。
それぞれにお国事情があるのだから、それらを無視して異国のものを適用しようなんて、それこそ”ナンセンス”である。
だが、どんな事情があろうとも、ひとつだけいえることがある。
「悪いことは改める」
この姿勢がなければ、世の中はよくはならない。
日本人は「悪いことは改める」という行為がかなり苦手な国民だと感じる。
歴史、伝統、文化、習慣に縛られ、ときに社会が硬直化する。
デンマークではコロコロとよく制度や仕組みが変わる。
朝令暮改、のようなものも多く、少々目まぐるしい。
だがデンマーク人はこういう。
「たしかにコロコロなんてよくない。だけど、そのときどきに仕組みを変えていくことは大切だから仕方ない」
世の中の変化に対し、常に対応しようとする柔軟な姿勢をデンマーク人は持っている。
こうした姿勢の必要性は、日本国憲法12条でもうたわれている。
「自由や権利は国民の不断の努力で保持」
ものごとは一度為されればそれで終わりではない。
完成されたあと、その状態を保つにはたゆまぬ努力が必要なのである。
著者は幸福度一位に対するコメントの返答で
「調査ではそうなんだろうけど、
実際にはいろんな問題もあるのさ」
と答えておられるようだ。
実際そうなのだろう。
学校は自由度が高くて規律がないため
徴兵で生活態度をあらためていると
感じている層も多いとか。
ドラック問題、アルコール過剰摂取が
若者中心にたえないとか。
でも、ご自身も書かれているように
問題点・対応策などその全てを
参考・適用するのではなく
「悪いことは改める」ことが
大切なのだろう。良いところは真似る。
さらにそれができない阻害要因は…
というのを改善するよう動けていかんと。
それは、既得権益なのか、古い因襲なのか
世代交代されないよう
しがみついている人の事なのか…
これ、ほぼ同じことを言っているような。
言えてるほど出来てもいないのだけどね。
自戒の意味も込めて。