④ 初歩から学ぶ生物学:池田清彦著(2003年) [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
四回目にしてやっと生物学に辿りつく。
「第一章 生命についての素朴な疑問」があまりにも
興味深かったからしょうがない。
「第二章 生物の仕組み
三 人は一種、昆虫は三千万種ーー多様性のなぞ
生物の多様性と進化論」から抜粋
昔の人は、自分の周りにどのぐらいの種類の生物がいるかなど、見当もつかなかったに違いない。
しかし、いろいろな生物がいるということは知っていた。
生物学者や昆虫学者といった専門家をのぞけば、現代人は生物や昆虫のことなどほとんど知らないだろうが、一万年以上前の人たちは、生態系の中で暮らしていたから、非常にたくさんの生物を知っていたのだろう。
食料確保という点からも、「これは食べられる」「これは食べられない」ということを熟知していなければならなかったはずだ。
なぜ生物の種類がこれほどたくさんあるのかは、彼らにとっても大きな疑問だったのではないだろうか。
神様が生物をたくさん創ったとするのが最も簡単な答えである。
実際のところ、キュウリがナスになったり、犬が魚になったという話は聞いたことがなく、生物の種は変わらないことが当たり前だったのである。
この考えを、「特殊創造説」といい、キリスト教ではすべてそのように考えられていたし、普通の人も種が変わるなどとは考えていなかった。
「種が変わる」という説をまがりなりにも述べたのは、アリストテレスである。
今から二千三百五十年も前の話だ。
アリストテレスは、生物は無生物からできてきたり、人間の腐ったはらわたや食物の残りかすから寄生虫ができてくるように、自然発生や異常発生を考えていた。
しかし一般的には、やはり「大きな生物は神が創った」と思われていたのである。
ところが、近代になりキリスト教会の権威が衰退するとともに、「生物は神が創ったのではない」と考える人が現れてきた。
神の創造によってではなく、生物多様性の根拠を説明しようとして生まれたのが「進化論」である。
生物がこれほど多様なのは、生物が進化することに原因がある、とするのが初期の進化論者たちの考え方だった。
初期の進化論者で最も有名なのはジャン・バティスト・ラマルクとチャールズ・R・ダーウィンである。
ラマルクは、生物には自ら高等になる能力があるとして、最初に自然発生した生物が徐々に進化して、現在の人間になったと考えた。
次に自然発生した生物も、やはりどんどん進化して、人間より少し下の猿ぐらいになり、つい昨日自然発生した生物は、例えばゾウリムシになっていると考えたのである。
この理論ではゾウリムシも人間と同じぐらい時間が経てば、人間のように高等な生物になるのだろうが、では、その時人間は何になっているのだろうか(天使か何かになっているという話になってしまう)。
そのうち、パスツールが綿密な実験を行った結果、生物は少なくとも現状では自然発生をしないということがわかった。
自然発生しないのであれば、ラマルクの説は全く成り立たなくなる。
やはり生物は神が創ったのではないかという話になりかねない。
そこに登場したのがダーウィンである。
ダーウィンは現代進化論を打ち立てた人物であり、生物は種がどんどん分岐して多様化していると説いた。
進化の必然的な結果として、生物が多様化し、いくつもの種に分かれてきたと考えたのである。
ダーウィンの著書『種の起源』には、ひとつの生物種が次々と分岐して多様化する図があるが、掲載されている図はこの一点しかない。
ダーウィンが多様性の原理に進化を考えていた証拠であろう。
最近よく見かけるダーウィン、『種の起源』。
まだ類書さえ読んでいないのだけど。
ダーウィンって孤高の人物の印象で
ロックっぽい、ボブ・ディランとかニール・ヤングみたいな
気骨あふれる人相してる気がするのはどうでもいいのだけど、
環境問題から人類、とか、進化とかを知るにはまずそれを読み
その上で、なぜそれが出てきたか、なぜ否定されたかとか、に
興味が行くのは、自分の性質でもあるのだろうな。
「なぜ?」と考えるのが好きなのだろうな、極論すると。
でもそれが人間を人間たらしめることなのかとか
どこまでも「なぜ?」の連鎖を断ち切れない。
めんどくさいのでよしとする。
ダーウィンの分岐は、「ミッシングリンク」と関連しそうで
「Xファイル」でも出てきてたけど
きちんとした物的証拠がないからなんだろうけど
ものすごい数の分岐から、つまんだだけ(とあえて軽々しくいうけど)
のダイジェスト版なのだろうかね。
だとすると、それに物言いをつけてくる輩もいて
それが闇社会から光社会の人たちさまざま
功利を考えている人たちなので
かなり厄介と言えるのかもしれないと感じた。
シアノバクテリアーー光合成の誕生 から抜粋
初期の生命体は最初の何億年かは、深海で繁栄していたのだろう。
そのうち、南極と北極という地球の軸ができて磁場が発生し、その磁場により宇宙線がブロックされはじめた。
DNAやRNAは宇宙線により破壊される。
それが、地球の表面まで届く宇宙線量が減ったことにより、生物は暗い海の底から地球の表面にまで進出することができるようになった。
すると、太陽光のエネルギーを使って炭水化物を作るメカニズムの可能性が出てくる。
光のエネルギーを利用して、光エネルギーから始まるサイクリックなシステムを、うまく作り上げた生物がいたのだろう。
それが、シアノバクテリアといわれる光合成細菌の起源になった。
二十八億年ぐらい前のことだ。
光合成ができるということは非常に有利である。
今までは海の底で化学物質を利用してエネルギーを手に入れるほかなかったのが、太陽光ならばほとんど無尽蔵に、しかもどこにでもある。
先にも述べたが、酸素は「活性酸素」という意味では有害なのである。
恐らく、好熱菌のような、もともといた生物のかなりは死滅してしまったのだろう。
単純にその当時の環境を考えると、シアノバクテリアは大いなる環境破壊者だったのである。
今、人間は炭酸ガスをどんどん出して、地球生態系にとってよくない影響を与えていると思われているが、古細菌を主とする当時の生態系の生物にとってみれば、シアノバクテリアもまた、今の人間と同じような環境破壊者だったのである。
真核生物から多細胞生物へ、
海の生物、パキスタンで歩くクジラが発見された件、
それでも進化にはまだまだ謎が多いとされ、
恐竜の絶滅は1980年に巨大隕石衝突説が提唱され
当時は一笑に付されたが、
今は衝突の場所さえ特定されたという流れ、
ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の
共存、共生、絶滅の仮説、
言葉を獲得したヒト、に続いて以下。
第四章 病気のなぞ
遺伝子診断の是非 から抜粋
もっと科学が進歩したなら、病気の遺伝子をすべて入れ替え、あらゆる人を健康に生まれさせることができるようになるかもしれない。
しかし、今度は多様性がどんどん減っていく。
それでいいというのならかまわないが、世界も人間も面白くなくなってくるかもしれない。
このあたりは、詳しくは私と金森修との共著『遺伝子改造社会あなたはどうする』を参照されたい。
みな同じような顔で誰だかよくわからない。
頭のレベルも背の高さも同じ。
みなひたすら長生きする人ばかりが暮らしている社会……。
これはこれで悩ましい問題ではある。
あとがき から引用。
これがすこぶる面白い!
2001年に『新しい生物学の教科書』、2002年に『生命の形式ーー同一性と時間』を出版して、少し肩の荷が下りたような気分になっていたのだが、生物学にあまりなじみの無い人には、両方ともやっぱりちょっと難解かもしれない。
ということで、二つの本の長所をミックスして、おもいっきり易しくした本を作ろうということになった。
生物はすべていい加減でしかもしたたかである。
厳密にルールに従っていると、環境が激変して、ルールが環境に整合的でなくなれば滅んでしまう。
多くの生物は適当にルールを変えることにより、環境が変化してもなんとか生き延びることができるようである。
それが、生命という、しなやかでしぶとくあいまいでその場限りのシステムの特徴である。
そう書くと、何だか自分自身のことに言及しているようで、不思議な気分である。
多くの人は今でも、厳格にルールに従うこと、明示的であること、一貫性があること等などをプラスの価値だと思っているらしい。
しかし、そういうことでは、すぐに破綻してしまう、と私は思う。
厳格にはルールに従わないこと、明示的で無いこと、一貫性がないこと等などこそ、生き延びるためのプラスの価値なのである。
それは生命の歴史が証明している、と私は思う。
そう書くと、ルールに従わず意味不明でデタラメだったら、すぐに滅んでしまうだろうに、と反論されそうだ。
そこでもう少し付け加えると、ルールに従っているフリをすること、明示的なフリをすること、一貫性があるフリをすること、これが大事である。
本書を読んで、生物の基本原理を理解すると共に、生物のそういうしたたかさをも学んで頂ければ、と思う。
この本を読了されたら、是非前掲の二つの本も読んでいただければ有難い。
そうすれば、あなたも生物学の講義の一つや二つできるようになること請け合いである。
2003年8月
生物学とか進化論とかを考え始めると
宗教の成り立ちとの関係が気になり始めますな。
昨今、我が国が宗教問題で揺れているからというのも
少しはあるのか、それとは関係ないか。
池田先生くらい聡明な方であれば、
いろいろ考えるんだろうけど
自分の頭ではそこまで及ばない。
そろそろ仕事に行って参ります。