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3冊の『ラブ・ゼネレーション:早川義夫著』を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


ラブ・ゼネレーション

ラブ・ゼネレーション

  • 作者: 早川 義夫
  • 出版社/メーカー: 文遊社
  • 発売日: 2011/12/23
  • メディア: 単行本

1960年後半は「ジャックス」の作詞作曲・ボーカルを担当、

その後一時引退して、川崎の武蔵新城で書店店主、


1990年半ば歌手としてに復活。


現在は活動停止を余儀なくされている、早川義夫さん。


高校生の頃(80年代)、ジャックスのレコードは一枚も


市販されておらず、情報も皆無だった。


遠藤ミチロウさんがカバーされていていたのを


聴くくらいしかなかったけど、


その音楽たるや異様に深かった。


特に言葉(歌詞)が80年代の他の音楽を軽く凌駕していた。


遠藤さんが吉本隆明さんとの対談でも言葉(歌詞)に


興味を持つきっかけとして話されていた。


そんな頃、17歳くらいの時、


地元の古本屋さんのワゴンセールで


見つけた初版の「ラブ・ゼネレーション」は


100円だったけれど、


他のどの本よりも輝いていた。


帰宅して貪り読んだという経験は、ほぼ初めてで


最後まで一気に長時間、ストーブの前で読んだ。


今思うと、最高の本との出会い、経験


と言える一冊だった。


・ほんとうにいいものを読んだり、聞いたり、

 見たり、ふれたりした時は、すぐさま拍手なぞできず、

 絶対、間があるはずだ。

 

・やはり、歌が伝わるとか伝わらないということではなく、

 歌う人間が伝わってこなければ駄目なのです。

 

・線は、のびていくことが出来るが、

 点は、のびようがない。

 しかし、点は爆発する。

 

・足りない足りないと、やたらぼやきが多いけれど、

 ほんとうは足りないんではなく、よけいなものが多いのだ。

 

・とかく音楽好きの方は、音楽的にものごとを考え、

 また評価する。

 しかし、音楽が目指すものは音楽ではない。

 

可愛げのある人、ない人はどういう人たちだと

決めつけられないが、やはり可愛げのない人って

いるものだ。

どういうのかというと、絶対、自分が弱い人間だとか、

または勝負に負けたということを思わない人だ。

また逆にそれらを口に出す人だ。

(略)

そういうのは図々しいというのだ。

たとえば、素直にあやまれないからあやまりたくない、

あやまりたくないからあやまらない。

あやまらないのは自分がやだからもとの問題を

すりかえてまでも相手をこまらせようとする。

ところが、相手はあやまれといってんじゃない。

目的はいいものをつくろうとか、

楽しくやろうということじゃないか。

相手をこまらせようとして何が生まれようというのだ


僕は思う。

僕たちの言いたいことは、

たったひとつなんじゃないだろうか。

それがうまく言えないからいくつにも見えてきて、

何度も同じようなくりかえしをしていくのだ。

僕たちの心の中は、いつももやもやしていて、

それが何かのきっかけで言葉に出たり、

音に出たりする。

何故、ぶきっちょになるのか、

それは生きた言葉や生きた音を選ぶからだ。


ところで阿久悠という人は、なかにし礼より

素晴らしいんではないかと思えてきた。

北原ミレイの二曲目、

「棄てるものがあるうちはいい」には、

ちょっとまいってしまったのだ。

 

 ♪死ぬことはない 泣くことはない

 棄てるものがあるうちはいい♪

 

こういうことを言われちゃうと、

俺はまだまだ棄てるものがたくさんあるじゃないかと、

元気づく。

なにもまようこともなければ、

うじうじすることもなかったんだ。

一つを選ぶにゃ、一つを棄てなきゃ

駄目なんだよね。


むろん、そうかんたんに忘れたいことが

忘れられるはずもなく、そんなことはわかっていて、

だから逃げたとか逃げないとかいう問題ではなく、

どうころんだって、やりのこしたことや、

いいのこしたことはうんとある。

僕が先ほどから、爽快であると喜んでいるのは、

逃げ切れたからなのではなく、

棄てきれたからなのだ。

僕が今まで背負っていた、よけいなものを、

棄てきれたような気がしてならないからなのだ。

それは未練がましかったり、嫌な言葉だけれど、

プライドだったりしたのかもしれない。

そして、やはり、美人喫茶には美人なんかいないのと

同じように、音楽事務所にも、音楽はなく

音楽雑誌にも音楽はないと思うのだ。

ゆえに、ああではない、こうではないと

言い続けなきゃいけないし、

言い続けるには角度を変えねばならないし、

時には、離れねばならぬ。

遠いから、聞こえてくるんだし、

だから、会いたくなるんだし。

まだまだ、僕には棄てるものが

たくさんあるじゃないかと思えば、

もっと、もっと、強くなれるんじゃないだろうか。


なんか今読むと、『方丈記』の後半みたい。


未練はないことはないけど、今を生きるのに


大切な、必要なものだけで生きよう、みたいに


自分には、聴こえる。


締めくくりに、3つの「あとがき」より


最初はまだ本屋さんを始める前の50年前。


初版(1972年・昭和47年)


(略)

僕は、これまで書いた文章がいやなわけじゃないけれど、

はじめて一冊の本にするには、もっともっと、

けずらなければいけなかったような気がしている。

言いたいことなんていうのは、ほんとは一つだろうし、

でも、言いたいことというのは、言いそびれるように

できているのだ。


本屋さんになってから、「ジャックス」が再評価され、


流れでこの本も復刊。30年前の「あとがき」。


文庫版(1992年・平成4年)


(略)

なにかを生み出そうとする作業は、

たしかに魅力的だ。

非日常を味わえるからである。

歌をやめてしばらくの間、音アレルギーというのだろうか、

靴音とか話し声とか、あらゆる音を

うるさく感じた時期があった。

その後も長い間、もともとたくさん聴く方ではなかったが、

いわゆる音楽を聴く気は起こらなかった。

それがようやく最近(ひどく閑散としてしまう店を

営んでいるため、何かBGMをということで)

だんだん楽しめるようになった。

 

 J・S・バッハ『ゴールドベルク変奏曲

 デューク・エリントン『イン・ア・セントメンタル・ムード

 キース・ジャレット『ザ・ケルン・コンサート』(5分4秒のところ)

 エンニオ・モリコーネ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ

 ニーナ・シモン『アイ・ラヴ・ユー・ポーギー

 ペギー・リー『ジャニー・ギター

 

いい曲に出会うと本当にいいなと思う。

随分、遠回りをしてしまったような気がする。

(略)

伝えたいことと。伝えたい人がいれば、

才能がなくとも、歌は生まれると、

僕は、いまでも、思っている


歌手として復活してから、コンプリート版のような形で再度復刊。


11年前の「あとがき」から抜粋。


増補版(2011年・平成23年)


(略)

歌とは何だろう。音楽とは何だろう。

僕は歌っていない時も歌っている時も、

いつも考えていた。

もしも「音楽とは感動である」が正しいならば、

感動しないものは音楽と言えず、感動したものは、

たとえ音楽という形式をとっていなくとも音楽なのだ。

「♪感動する心が音楽なんだ」(『音楽』)と思っている。

(略)

初版『ラブ・ゼネレーション』(1972年・自由国民社)の

扉には、副題として「連帯感ではなく、同体感を」と

書かれてある。

同体感なんて言葉は、聞くところによると

ないそうである。ないのに使っている。

僕は何をいいたかったのだろう。

1968年「友よ」という歌に代表されるように、

みんなで合唱することみんなが同じ思想を持って

行動を起こすことに、当時から僕は肌寒さを感じていた。

全員が1人の女性を愛することがないように、

全員が同じ思想を持つことは、嘘なのである。


昭和(60年頃からだけど)・平成と


聴き続けてきたが、一貫して変わらないなーと


2011年のあとがきを読んで感じた。


余談だけど、今思うと、若い頃、


「ジャックス」か「はっぴいえんど」のどちらを選ぶかで、


その後の人生が大きく変わったような気がしており、


後者を選んでいればもっと明るく振る舞うこともできたのかもとか


考えてしまう今更の不毛っぷりなのだけど、


結局は自分は「ジャックス」派なんだろうなと。


(両方買って聴いてたけど)


今は流石に若い頃のように聴くことはないけれど


マリアンヌ」「われた鏡の中から


ラブ・ゼネレーション


花が咲いて」「堕天使ロック


ロール・オーバー・ゆらの助」など好きだった。


ひねくれてるから「からっぽの世界」は


好きではなかった。


というか80年代は放送禁止で聴けなかったし


聴けるようになっても他の曲の方が断然好きだった。


もう今は齢50を超えて家族もある身だからか


感情移入できる音楽ではないけれど。


 


それとこれも余談だけど、


「ジャックス」「はっぴいえんど」共に


きちんとした演奏の映像が残っていないことが


伝説というのの付加価値を


異様な高さにすることに貢献してて


功を奏していると強く思っているのは


自分だけではないのではないだろうか、と


これまた、ほぼ意味のないことに


考え巡らす今日この頃。


音楽は音楽であるのが正しい姿なのではないか、なんて。


 


ソロ活動されてからも、とてつもなく良い曲


たくさんあることを補足いたします。(誰にだよ!)


 


さらにどうでもいい余談。


復活されて歌手活動されてた頃、


広報活動的に実施されてる


公式サイトでアンケート応募があり、その時の応募や


その後も感想を何度かメールで


やりとりさせていただいたのが


忘れられない思い出です。


 


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