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2冊の養老先生vsヤマザキマリさん対談から [’23年以前の”新旧の価値観”]

■1■ 



ヤマザキマリ対談集 ディアロゴス Dialogos

ヤマザキマリ対談集 ディアロゴス Dialogos

  • 作者: ヤマザキ マリ
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2021/03/26
  • メディア: 単行本



「システム化された社会はつまらない」(2019年6月)


▼養老

イチローが引退会見で「野球がつまらなくなった」

と言っていたそうだけど、それは統計で

野球をやるからでしょう。

たとえば、投手の身長は年々高くなっている、

背が低い投手はだめという時代になっているらしい。

そんなに勝つに決まっている奴しか

出てこないなんて、おもしろくないよ。

 

▼ヤマザキ

野球だけじゃなくて、全ての運動が

そうなってきているということでしょう。

AIが持て囃されるようになれば、意外性が

育まれなくなる。

そんな状態が進めば、意外なものを見た時

感動できる感性もなくなってきて、

自分が思った通りにならないことが出てくるとき、

「だめじゃん、これ」となってしまうでしょうね。

だってもうすでに、いじめも含め、人間界では

自分にとって都合が悪かったり、理解するのが

面倒だったり、思い通りにならないことは

全部排除して、見たいものだけ見たい、

知りたいことだけ知りたいという風潮に

なってきていますから、運動にもそういう流れが

出てきているということですよね。

 

▼養老

だけど、メディアは予想外のことが

起こってほしいと思っているんだよ。

 

▼ヤマザキ

優勝候補が金メダルを獲れないとか、予想を

裏切るようなことが起こると盛り上がりますからね。

 

▼養老

いっそ、オリンピックはやりかけで

終わるんでいいんじゃない?

 

▼ヤマザキ

(略)

そういうふうに、わかりきったシステムから

外れた意外な展開は大いにあってほしい。

シナリオ通りじゃないと困るなんて、

そんなのプロデューサー側が心配することで、

見ている方はやっぱり予想外のことが起こる方が

絶対おもしろいし、脳への刺激にもなると思うんです。


「神はサイコロをふらない」


▼養老

さっき、システム化が進むとコンピュータに

依存するという話をしましたが、

コンピューターには価値観がないし、

単なる統計が事実として

拡大されていくことになるんです。

最初に統計が事実に変わったのは医療でしょうね。

現代の医者は目の前の患者ではなく、

カルテばかりを見ているでしょう。

だから徹底的に検査して、患者を数値化しないと

いけない。

だけど、たとえば「タバコは体に悪い」という

統計があったとして、それが個人にあてはめられる

わけが無い、ということが忘れられているんです。

統計が事実として拡大されていくことによって、

格差社会が生まれることにもなってしまっている。

アメリカでは、就職希望者の住所から、

彼らが交通事故に遭う確率、犯罪に遭う確率、

病気になる確率がみんな割り出されるので、

企業はよりリスクが少ない地域に住んでいる方を

採用するということが起こっているそうです。

つまり、ハイリスクな場所に住んでいるという

だけで、ポイントに徹底的に差がついてしまう。

統計と事実は本当は違うはずなのに、

そういうデータは扱う側は

「だって、統計的事実でしょう」

と言うわけですよ。

「神はサイコロを振らない」

というアインシュタインの言葉は、

若いときには全然ピンとこなかったけど、

ここまで統計依存が進むと、すごく納得するね。


データ、マニュアル、想定外はタブーといった習慣。


新しいものは産まれようがない。


 


■2■



地球、この複雑なる惑星に暮らすこと (文春e-book)

地球、この複雑なる惑星に暮らすこと (文春e-book)

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2022/05/27
  • メディア: Kindle版


「問題山積、予測のつかないことばかり」(2021年6月)から抜粋


▼養老

さっきまで山本七平の「日本はなぜ敗れるのか 敗因21か条

という本を読んでいたんですよ。

日本が戦争に敗れた理由が21個書いてあるんだけど、

今の日本の問題もここに全部書いて

あるんじゃ無いかなと思ってね。

小松真一さんというフィリピンに派遣された軍属の

技術者が書いた「虜人日記」という記録を読み解いていて、

なかなかダイジェストできないんだけれどね、

日本の不都合性とか、思想的に徹底したものが

なかったこととか緻密に書かれてあるんですよ。

こうやって古い本を本棚から出しては見てますよ。

きりがなくてね。

 

▼ヤマザキ

今の状況を照らすようなところもありましたか?

 

▼養老

メディアなんか典型だよね。

 

▼ヤマザキ

メディアというのは本来、かなり緊張しながら

接するべきものなんですよ。

獰猛な動物に近寄るくらい。

それがテレビだネットだと猫も杓子もチラ見程度で

掌握した気持ちにさせられるところが脅威ですね。

メディアは恐ろしい。

 

▼養老

香港の警察(おまわり)と同じだよね。

どういう気持ちなのかなと思う。

 

▼ヤマザキ

メディアは、猜疑心を培うためにあるものだ

という教育を受けるべきなんですよ。

親からでいいから。

私がイタリアにいた頃は、家庭でもどこでも

皆各政党が出している新聞を何紙か並べて、

そこに記載されている記事の差異をめぐって

あれこれ討論してました。新聞は読むけど、

誰もそこに書かれていることを鵜呑みには

しない。テレビも同じです。

(略)

でも日本では未だに

信じることは正しい

疑うなんて人として悲しいこと

みたいな幻想が根付いている

そういう人種は実に騙しやすいでしょう。

騙す相手にしてみれば。

でも結局猜疑心が芽生えやすいかどうかという

国民性の背景には、どうしても歴史や地域性

というものが絡んでいるので、

そんなに簡単なことでは無いように思います。

コロナ禍の初期、各国のリーダーたちは

雄弁なスピーチで国民に熱意のこもった

メッセージを発していましたね。

あれは、子供の頃から人前で発言することに

慣らされてきた人種ならではの、

そして国民にも求められていた

振る舞いだったと思います。


(略)

▼ヤマザキ

人間が萎縮すると動物たちは生き生きしますね、

顕著にそれがわかる。この地球上でもっとも

支配的かつ凶暴な生き物が弱ってるわけだから、

あたりまえか。

 

▼養老

福島の原発避難地区では動物が繁殖しているしね。

アナグマとかイノシシが人の去った後の家に

棲みついているでしょう。

 

▼ヤマザキ

牛が自分たちで繁殖しているのに私も感心したんですよ。

子牛たちも勝手に生まれてすくすく育っている。

それと、人がいなくなった後の家の朽ち果てていく

スピードにも驚いてしまった。そんなもんなんだなと。

 

▼養老

坂口恭平という人がいてね。

「死にたくなったら電話してという「いのっちの電話」を

やっているんですよ。

携帯電話の番号を公開して、

死にたい人からの電話相談を受けていてね。

それで自身は双極性障害なんだけど、

みんな悩んでいるのは結局人から

どう見られているかだけだ、

すべては人間関係だというふうに「躁鬱大学」で

書いてますよ。

もっとみんな手を動かして作品を作ったり、

人ではなく物に向かえばいいんだってね。

コロナで鬱になった友達に読ませたら、

これは自分のことだって納得していたな。

 

▼ヤマザキ

人間はもっと自分たちがどんな生態なのか、

どんな性質を持っているのかを熟知するべきですよ。


虫の話から地球規模の行く末を


2人で語る壮大な対談。


というか、虫と人間が同じレイヤーにいて


それを自覚しているお二人だからこその対話だった。


余談だけど、マリさんがまえがきで、


それを指し示す「はじめに」を書いているのに


養老さんが「おわりに」で艶消しのような幕引きをされるのは、


自身の病状や年齢、愛猫との別れも関係しているのかな。


でも、こうも書かれていて、いいなーと思った。


これもまた養老先生が先生たらしめているところかなと。


マリさんは、人として、自然に近いタイプの人である。

将来の目標を掲げ、奮励努力して、一歩づつ目標に近づく、

という人生を送ってはいないと思う。

周囲の状況の中で、なんとか生きているうちに、

結果としてこうなってしまった、というお人柄である。

私の周りには、その手の人が多いような気がする。

そういう人に好感を持つからであろう。

現代はシミュレーションが流行で、自分の人生を計画的に

自己実現などと称して生きようとする傾向があるように思う。

しかし、自己とは初めからあるものではなく

与えられた状況の中で生きていくうちに

いわば「ひとりでに」できてくるものであろう。

私は80歳の半ばになるが。今ではそう思うようになっている。

換言すれば、人生は要するに「成り行き」なのだが、

この対談でもその感じが出ていればいいなあと思う。


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