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[その2] ドナルド・キーン著作集 別巻 日本を訳す(2020年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

「方丈記」は語る(2013年3月発表) から抜粋


私が初めて教鞭を執ったのは1948(昭和23)年、

イギリスのケンブリッジ大学ででした。

そこで学生たちに原文で読ませるのに選んだのが、

大好きな鴨長明の「方丈記」です。

なぜなら、「方丈記」は書き出しに象徴される

美しい文体で、外国人にとってもわかりやすい

日本語で綴られているからです。

文法の基礎さえ覚えれば、読みにくくありません。

次に、内容が極めておもしろい。

大火があり、辻風や大地震が起こり、

人々は飢饉で苦しめられる。

そして遷都もある。

それらが実際に目撃した人によって

生々しく語られています。

のちに吉田兼好の「徒然草」も教えましたが、

「方丈記」ほどはうまくいきませんでした。

事件がないからです。

私はケンブリッジ大学で5年、アメリカの

コロンビア大学で学校五十六年間、

「方丈記」を教えましたから、

最も多く「方丈記」を読んでいる

人間の一人でしょう。

不思議なことに、災害を記録した

日本の古典文学は、「方丈記」以外には

ほとんど見当たりません。

その理由の一つに、平安朝の文学の影響があるでしょう。

つまり、「源氏物語」のような典雅な内容なら

ともかく、悲惨で恐ろしい出来事は文学の題材に

ふさわしくない、と考えられたのかもしれません。

その意味で、「方丈記」は自然がもたらす

災難を描いた、稀有で貴重な記録文学です。

鴨長明は五つの災難を例に引きながら、

世の「無常」を説きます。仏教の基本的教えで

ある物事の儚さを強調するのです。

序文の終わり近くに

「主(あるじ)と栖(すみか)と、無常を争ふさま」

とあるように、無情の隠喩として家が

繰り返し使われています。

だんだん小さくなる長明の家がそれで、

最後は方丈の庵です。

家具も持ち物も最小限。

その閑居にさえ愛着を抱いてしまう自分がいるとし

反省し、長明は念仏を唱えることしかできないのです。


無常感を美意識に昇華した日本人

 

無常はいいことか、悪いことか。

無常とは、同じ状態は続かないということです。

移り変わることを喜ぶ場合もあれば、

非常に残念に思う場合もあるでしょう。

例えば、古代エジプト人やギリシャ人は

神殿を造る時、不変性を求めて石を使いました。

ところが日本の場合は木造で、とりわけ伊勢神宮は

20年に一度は造り替えることを前提としています。

桜は、どうしてこれほど日本人に愛されるのでしょうか。

もちろん美しいことは確かですが、

桃や梅の花の美しさを凌ぐというほどではありません。

それは束の間の美、桜は3日だけの美しさだからです。

陶器を例にとれば、一本のヒビが入れば外国人は捨てるでしょう。

しかし日本人は金などで接ぎ、ヒビを活かしつつ大切にするのです。

花は散り、形あるものは壊れる。

何事もいつまでは続かない。まさに無常です。

しかし、移ろうものに美を見出し、

美学にまで昇華させたのは日本人だけではないでしょうか。

ケンブリッジ大学やコロンビア大学の学生たちは、

無常感を頭では理解できても、

日常生活にまでその考えが及ぶことはないようでした。

「方丈記」といえば、東日本大震災を思い出します。

私は35年ほど前に東北大学で教えていたこともあれば、

松尾芭蕉の「おくのほそ道」を辿る旅をしたこともあり、

東北には格別の思いを抱いています。

震災は悲しい出来事でしたが、日本は天変地異を過去に

何度も繰り返し経験してきました。

応仁の乱で焼けた京都を考えてみてください。

日本の都、日本の文化の中心である京都の何もかもが焼失したのです。

しかし、その後、短期間で東山文化が花開きました。

今も息づく「日本の心」の基礎ともいうべきものです。

畳が敷き詰められた座敷に、床の間があって生け花が飾られ

、墨絵が掛かり、そこから庭が見える。東山文化から

生まれた書院造りは、日本伝統の建築様式となりました。

江戸時代の天明年間(1781ー89)の飢饉では

百万人近くが飢え死にしましたが、

その後に明治維新を迎えます。

さらに、何よりも被害が大きかったのは

太平洋戦争でしょう。

戦後、悲惨な状況から日本がきわめて

短期間で復興を遂げたのは周知の通りです。

絶望することはありません。

「方丈記」に記録されているような災難は

いつの世にも起こりますが、常に日本は蘇り、

新たな文化が生まれました。日本人にはそれができます。


紅葉の秋を美しいと感じるのは


日本だけだと誰かが言ってたけど


他の国にないのでしょうかね、


秋の侘しさを感じる心というのは。


無常感を日常生活にまで、というのは


今の日本人にも無理なんではないかな、自分も含めて。


それで生活できるの?とか


意味あるの?とかになっちゃって


本当に世知辛くなってるから。


前回も最後に引いてしまいましたが、


キーンさんの以下の言葉は、


方丈記のこの原稿そのものだったと言ってもいい、


それくらい「方丈記」をそして「日本」を


愛されていたことを痛感したので、以下再掲でございます。


花は散り、形あるのもは壊れる。

何事もいつまでは続かない。

まさに無常。

そこに美の在り処を

見出し、美学にまで昇華されるのは日本だけ。

(2012年)


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