SSブログ

[その1] ドナルド・キーン著作集 別巻 日本を訳す(2020年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

外国から見た「おくのほそ道」から抜粋

「外国から見た「おくのほそ道」」の話を

しようとしたら思ったら、どうしても46、7年前のことに戻ります。

というのは、私はその年初めて「おくのほそ道」に

出会ったからです。

それより少し前、戦時中に日本語を覚えました。

三年間ほど、日本軍が戦地に残した書類の翻訳をしたり、

あるいは日本軍の捕虜の尋問をしていましたから、

日本語の理解力に相当の自信がありました。

それでニューヨークのコロンビア大学院に戻って、

私の師であった角田柳作先生のもとで日本文学を

専攻することにしました。

私は、実は日本文学をほとんど知りませんでした。

知っていたのは平安朝の文学の一部分だけだったと

言っても良いくらいでした。アーサー・ウェーリー

という英国人が「源氏物語」の全訳と「枕草子」の

部分的な翻訳をおやりになったことがありまして、

その翻訳は実に素晴らしものだと思っていたのです。

ところが、私は日本の徳川時代の文学をほとんど

知りませんでした。

芭蕉の名前は知っていたし、「古池や蛙飛び込む水の音」も

知っていました。

しかし「おくのほそ道」という作品が世界にあることを

聞いたことは一度もありませんでした。

それで受講生は四人だったか五人だったか、

はっきり覚えてないのですが、角田先生の選択で

「おくのほそ道」の勉強を始めました。私は今でもその

最初の晩をよく覚えています。

とても辛いことだったからです。

つまり、自分は日本語に相当自信があったのに、

全然わからなかったのです。

とても難しい文章だと思いました。

(中略)

ここまで私は、外国から見た「おくのほそ道」について、

翻訳者がどんなに苦労するとか、

そういう話ばかりしてまいりましたけれども、

「おくのほそ道」を愛する外国人もかなりいると

いうことも付け加えなければならないでしょう。

「おくのほそ道」コースを歩いた外国人は相当いるんです。

それだけではなくて、英国の若い女性が自分の体験に

基づいて「おくのほそ道」の映画を作りました。

たどったのは途中の月山までですけれども、

よった場所の思い出話もいろいろ交えながら

作った映画です。あるいは、アメリカ人の作曲家は

「おくのほそ道」に基づいたいくつかの曲を作曲しました。

「おくのほそ道」のどこにそれほど惹かれるのかというと、

まず、日本人と変わらないような鑑賞からくるのが普通です。

つまり、日本人が感心するのと同じように、冒頭の描写とか、

松島とか、象潟(きさかた)とか、そういうところは

外国人にとっても大変美しいのです。

私自身にとっては、一番深く感じるところは、

むしろ多賀城の壺碑(つぼのいしぶみ)のくだりに

出てくる散文のようなところです。壺碑に書いてある文句は、

「この城、神亀元年、按察使鎮守府(あぜちちんじゅふ)

将軍大野朝臣東人(おほののあそんあづまひと)の置くところなり」

などで、全然面白くありません。

しかしその個所の芭蕉の文章は素晴らしいのです。

 

昔より読み置ける歌枕、多く語り伝ふといへども、

山崩れ川流れ道あらたまり、石は埋もれて土にかくれ、

木は老いて若木にかはれば、時移り代変じて、

その跡確かならぬことのみを、ここに至りて

疑ひ泣き千歳(せんざい)の記念(かたみ)、

いま眼前に古人の心を閲(けみ)す。

行脚の一徳、存命の悦び、羈旅(きりょ)の労も忘れて、

泪も落つるばかりなり。

 

芭蕉は千年ほど前に書かれた碑に感動しました。

しかしそこに彫ってある言葉によって感動したのではなかったのです。

「おくのほそ道」のもう少し後のところでは、

芭蕉は杜甫の有名な詩句を引用しています。

「国敗れて山河あり、城(じゃう)春にして草青みたり」と。

しかし多賀城の碑を見たとき、国や山や川よりも

残るものがあると、芭蕉は発見しました。

人間の言葉です。あるいは文字になった言葉と

言った方がいいかもしれません。

そういう言葉は川よりも山よりも長く残ると書いてあるわけです。

芭蕉が「おくのほそ道」を書いてから三百年がたったのです。

江戸の近くでは芭蕉が知っていた山の大部分が削られ、

川の流れも変わりました。また、川が完全に埋もれて

見えなくなりました。象潟で芭蕉が見た島々は、

地震の結果、島でなくなりました。

「おくのほそ道」コースに変わっていないものがあるとすれば、

せいぜい出羽三山ぐらいなものでしょう。

しかし、未来には月山高級分譲地ができるかもしれません。

しかし、どんなに時間がたっても

一つだけ変わらないものがあります。

それは間違いなく「おくのほそ道」です

日本のすべての山が平らにされても絶対に

形を変えないものです。

日本で読んでも外国で読んでも価値が

変わらないんです。

もちろん、どんなに素晴らしい翻訳であっても、

原文の美しさを部分的に失うに決まっています。残念ですが。

しかしそれでも、美しさの残っている部分は

かなり多いに違いありません。

「おくのほそ道」は世界文学に永遠に残る宝物

であると私は信じています。(1993年9月講演)

芭蕉は、この書を何度も晩年まで推敲を重ねて

付け足したり、消したり、入れ変えたりしてたと

同行アシストした曽良さんの旅行記と比較してわかっていると

「100分で名著」で詩人の長谷川さんが言っていた。

そうだとすると、単なる旅行記ではないよね。

芭蕉の後世に残したかった「創作」と考えるのが妥当だろう。

そういえば、芭蕉の足跡が実際、物理的に不可能だとして、

「忍者」だったとか、時の幕府の「隠密」だったとかいう本も

あった気がするけど、そんなことはなさそうだ。

それにしてもキーンさん、あなたの言葉(日本語)美しいですよ。

瀬戸内寂聴さんとの対談本の中だったか、

忘れてしまって恐縮でございますが

日本語についての記述が綺麗すぎて

当時の手書きメモが出てきたので

余談ですけど、最後に締めとして。

花は散り、形あるのもは壊れる。

何事もいつまでは続かない。

まさに無常。

そこに美の在り処を

見出し、美学にまで昇華されるのは日本だけ。

(2012年)


nice!(19) 
共通テーマ:

nice! 19