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三島由紀夫を養老先生の3冊から考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


バカにならない読書術 (朝日新書 72)

バカにならない読書術 (朝日新書 72)

  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2007/10/12
  • メディア: 新書

第一部「養老流」本の読み方


■「体育」はコミュニケーション から抜粋


昔から言われているように、人は「知育」「徳育」「体育」という

三つで、成長していきます。

「知育」は何かというと、感覚です。五感です。何かを感じる、つまり「入力」です。

「徳育」というのは、頭のなかで起きることです。

五感によって入力された情報をもとに、行動を決めます。

その状況で自分がどういう行動をするか、あるいは行動をどうセーブするか。

それを頭の中で決めるわけです。コンピューター用語で言えば「演算」です。

最後の「体育」というのは、この演算にもとづく身体の動きです。

「出力」と言い換えてもいいでしょう。

この「知育」「徳育」「体育」というのは、脳の働きそのものと言ってもいい。

我々の脳は、外から「入力」を受けて、内部で「演算」をして、

それで結果を身体の動きとして外へ出す、つまり「出力」する。

ここでよく誤解されるのは最後の「体育=出力」です。

身体を動かすと言うと、何か運動をすることだけのように聞こえますが、そうではありません。

身体の動きは、すべてのコミュニケーションを作っています。

言語も表情も。言葉は声帯や舌を動かすことだし、表情は筋肉の動きです。

「体育」とはそういうことであって、さらに言うと、

そういう身体の動きというのは、あるプログラムが脳の中にあって初めてできるのです。

ホンダが開発した二足歩行のロボットがあります。

あれは、コンピュータの中に二本足で歩くためのプログラムを入れてある。

だから歩くことができる。そのために莫大な費用と大勢の技術者を投入しました。

人間は歩けない状態から始まります。

それが、歩けるようになるには、

前述した「入力」「演算」「出力」という

脳のぐるぐる回しによって、脳の中にプログラムが自然にできていくからです。


■「三島由紀夫は誤解から生まれた」から抜粋


随分脱線しました。話を脳の発達と

「知育=入力」「徳育=演算」「体育=出力」に戻しましょう。

この「入出力が循環する」ことの大切さを最初に表した言葉こそ、

他の著書でも書きましたが、「文武両道」だったと思います。

「文」というのは脳に入るほうで、いわゆる「知育」です。

「武」というのは出すほうで、つまり「体育」です。

「文武両道」とは、本来、入力した結果を身体で動かし、

身体を動かすことで新たな入力を得る、という意味だったのでしょう。

ところが、いつごろからか、勉強も運動もできる。

というように、別々のものにしてしまった。

その誤解があまりにも定着したから本場の中国で次に

何を言い出したかというと、王陽明の「知行合一」なんです。

「知」というのは入力で、「行」はまさに出力、

それが一つにならなきゃいけない、という考え方です。

しかし、それもまた誤解された。誤解されてどうなったかというと、

大塩平八郎になり、三島由紀夫になった。

つまり、頭で理解したことを直ちに実行しなきゃいけない、ということになった。

そうじゃない。

「知行は循環する」という意味なのです。

赤ちゃんが歩き出してハイハイし始めて、世界の景色が変わる。

その変わったことを見ながら行動が変わる。

「知行合一」はこの循環を意味していた。

そのことを、おそらく、今の人たちは、よくわかっていないのではないでしょうか。

何しろあの三島由紀夫だってわかってなかったくらいですから。



身体の文学史 (新潮選書)

身体の文学史 (新潮選書)

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2010/02/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

石原慎太郎さんと野坂昭如さんとの対談から考察される。


「太陽と鐡」の章から抜粋


三島由紀夫の「太陽と鐡」ははなはだ評判が悪い。

その理由は、読んでみればわかる。

「…ずっとあとになつて、私は他ならぬ太陽と鐡のおかげで、

一つの外国語を学ぶようにして、肉体の言葉を学んだ。

それは私のsecond languageであり、形成された教養であつたが、

私は今こそその教養形成について語らうと思ふのである。

それは多分、比類のない教養史になるであらうし、

同時に又、もつとも難解なものになるであらう。」

なんだかほとんど香具師(やし)の口上を聞いているみたいである。

公平のために付言すれば、この「太陽と鐡」を

正の評価で取り上げたのは、澁澤龍彦くらいであろう。

しかもそれも「三島由紀夫氏を悼む」という、

死後のオマージュにおいてである。

その上、この「三島氏の肉体に関する信仰告白の書」が

「将来の自分の死を合理化するための理論の書にほかならないこと

を確認して、あらためて一驚した。」というのだから、

澁澤がビックリしている筋書きは、肉体の話とはいささか違うのである。

さらに「その死を合理化するための作者の論理は、

必ずしも万人を納得させるものとは言い難く」

それも当然であるのは、万人を納得させるものなら。

万人が自殺してしまうではないかと述べる。

そして、

「そもそも「太陽と鐡」は、神秘家の見神体験と

一脈通じるような、作者の現実の体験によって

すみずみまで裏打ちされた、一種のイニシエーションの書

という形をとっているのだから、体験を欠いた私たちが、

これに近づくことは容易にできないはずなのである。」

という。

こんなことを言えば、石原慎太郎が怒って当然であろう。

この「私たち」とは誰か。

少なくとも俺ではない。

そう言いたくなるはずだからである。

だから石原氏は、まだいまでも書くのであろう。

澁澤はたしかにここでは三島の肩を持っているが、

それはオマージュだから仕方がない。

真面目に怒ってもムダである。


「表現としての身体」から抜粋


石原慎太郎氏は「太陽と鐡」を、それを書いた

時期以降の三島を、酷評する。

「死ぬ気になって戦うというのと、三島氏のように

自分で死んでしまうというのは決定的に違うことである。」

「ようするに「太陽と鐡」は真摯な自己告白のように

見えても実は氏自身への粉飾でしかなく、本質的には嘘であり、

間違いであり、氏にはあんなことを言い切る資格は

その肉体の能力の故にありはしない。

それを立証する氏に関する傍証は無数にあろうが、

それを否定する証拠や事実はどこにもありはしまい。

あるのは氏自身の空しい弁論だけだろう。

氏はあの手のこんだ自殺のためにこれを書いたのではなく、

こんなものを書かなくてはならなかったが故に自殺したのである。」

三島、石原、野坂氏の時代は、良かれ悪しかれ、

表現主義の時代であった。

それは私小説時代の名残りを強く引いていた。

三島だけがおそらく違ったが、早すぎたのである。

三島の表現は、その根拠を三島の内部にだけ求められるべきものではない。


「表現とは何か あとがきにかえて」から抜粋


文化的表現は、おそらく二つの軸に支えられている。

一つは「言葉」である、もう一つは「身体」である。

(略)

三島は書く。

「小ざかしくも次郎は「書く人」の立場に身を置いた。

表現といふことは生に対する一つの特権であると共に

生に於ける一つの蜂起に他ならぬこと、言葉をもつことは

生に対する負目(ひけめ)のあらはれであり同時に生への

復讐(ふくしゅう)でもありうること、肉体の美しさに

対して精神の本質的な醜さは言葉の美のみがこれを償ひうること、

言葉は精神の肉体への郷愁であること、肉体の美の

うつろひやすさにいつか言葉の美の永遠性が

打ち克たうとする欲望こそ表現の欲望であること」。

肉体は個人だが、言葉は個人ではない。

だから肉体はうつろい、表現は残る。

ここではまだ三島は、それを混同するか、すり替えている。

三島自身が「太陽と鐡」でのちに述べているように、

言葉の普遍妥当性をいかに精妙に裏切るか、それが個の

言葉なのである。三島はその言葉を捨て、身体表現

そのものを追うことになった。

個に属するものと、一般に属するもの、その峻別がない

伝統のなかに日本語がある。

われわれは「言葉にならないものは存在しない」と

思っているわけではない。

逆に西洋文化のなかでは、しばしばそう信じられている。

意識である言葉と、個である身体とは、そこでは素直に

分離されているのである。

だから言葉にならないものは、存在しなくてもいい。

それ以上は、まさに「話の通じようがない」からである。

しかもそこでは、個の存在は当然の前提なのである。

それがそのままま心身二元論を導くことは、理解しやすいであろう。

他方「型」のなかでは、本来個である身体すら、表現として一般化される。

過去の日本に「型」の重みが存在したことは、個の喪失に

有利にはたらいたに違いない。面倒な話だが、われわれはそこを、

いちいちこれから吟味しなければならないであろう。

ていねいに吟味してみれば、この種の個の一般のすり替えが、

われわれの社会では日常的に行われていることに気づく。

伝統は善悪双方向にはたらくのである。



読まない力 (PHP新書)

読まない力 (PHP新書)

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2014/09/12
  • メディア: Kindle版

有事法制(2003年7月)から全文引用、恐縮です。


国会もたまにはまともなことを議論するものだ。

有事法制については、そう思った人もあるのではないか。

戦争に反対するのは当然だが、そいうかといって、有事がないとはいえない。

それなら有事が定義可能かというなら、不可能である。

神様じゃあるまいし、なにが起こるか、未来を完全に

把握することなど、人間にできるはずはない。

それならいちおうのことを決めておくしかないはずである。

そこまではいいが、肝心のことには触れたくないらしい。

憲法問題である。

これは法律だけの問題ではなく、日本の将来をどう考えるかという、

大きな意味での「物語」の問題になってしまっている。

日本をアメリカの属領にして、代わりにアメリカの市民権を

要求するか。自主独立して、なんとか自分でやっていくか。

こんなことにあらかじめ答えがあるはずがない。

結婚するのかしないのかと同じで、

どちらかに決めなければならないのである。

あんたはどうするつもりなのかという問題なのである。

国民がそれを考えないで、だれが考えるか。結婚するなら、

自分で食っていく手段を考えなくてはならない。

あくまでも親掛かりなら、親ときちんと話をつけなければならない。

どちらもやらないで。親はどう思っているのか、

そんなことをいつまでもグズグズ議論している場合ではなかろう。

以前からそう思っているが、いっこうにそうは思わない人が多いらしい。

自分で決めなきゃ、他人はそんなことを考えてくれるわけがない。

それで戦後50年が過ぎたのだから、「永すぎた春」というべきか。

そう考えてみると、三島由紀夫はみごとに戦後日本を

表現していたのである。

三島の「無意識の」先見性には、いつも感心する


「無意識」について、自分は全て「意識」だって


おっしゃっていたようだけど、三島さん。


そんなわけはないだろうと思いつつ、


人はみんな無意識の方が「本音」だろうし、


その人の「魅力」を備えているところなのでは


ないだろうかと思ってみたり。


それにしても、養老先生の言葉って本当に深いな。


「言葉」と「身体」って興味深いし、


文豪でさえも斬ってしまわれる。


それも年齢がそうさせている部分あるだろうな。


そしてそれ(年輪を重ねてわかることがある)を


もちろん知っていたのも三島由紀夫なのだろうな。


余談だけど「太陽と鐡」って持っていたけど読めなかった。


これを養老先生が取り上げたってのは、


至極当然なことなのだろうと思った。


自分はそれとは別で、やはり三島由紀夫は


芸術的感覚の方を選んできたのだなと


気がついた。


 


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