[追加] ビジネスに「戦略」なんていらない:平川克美著(2008年) [’23年以前の”新旧の価値観”]
この書籍、4月13日に投稿、
その時は「戦略」視点からだった。
けれど「マーケティング」視点の
ものの方がしっくりきてしまう。
主軸はそちら(戦略>マーケ)
なんでしょうけれど、
平川さんの独自視点、解釈が
冴えわたる以下3点も
忘れがたいので「追加」です。
「ビジネスは1回半ひねりのコミュニケーション」
ビジネスとは損得勘定で物事を考えることであり、正義や倫理、道徳を指標とするわけではないということには全面的に同意を与えたいと思っています。
ビジネスはどこまでいってもお金儲けを目的とした活動です。
ただ、このお金儲けは必ず商品を迂回して達成されるということが重要なことだと思うのです。
つまりビジネスは迂回そのものなのです。
そして、その迂回の仕方の中に、ビジネスのつらさも面白さも潜んでいるとわたしは思います。
わたしが「グローバリズム的な思考」に最も違和感を感じるのは、そこではこの迂回は忌避すべきもの、無駄なものだと考えられているらしいことにあります。
そうでないことを証明するためには、わたしは少々荷の重い大胆なことをやらなければならないと感じています。
それはビジネスを再定義することです。
あれこれ考えた挙句に出会った言葉のひとつが
「ビジネスは1回半ひねりのコミュニケーション」
です。
1回半ひねりとは、個人の欲望は必ず「商品」を媒介して、迂回的に実現する他はないというビジネスの構造を形容する言葉です。
例えば、車のディーラーと顧客の場合、売り手と買い手の関係は、ビジネス上の「建前」という概念上のインターフェイスを境界として向き合っています。
そして、この境界の向こう側によく見えないお互いの「本音」があるわけです。
「本当はあまりお奨めではないけれど、このお客には車の欠点をあえて説明する必要はないよな」
とか
「こいつ、こんなこと言っているけど、もう少し粘れば値引きするかもしれないな」
とかいった具合です。
ここには、売り手にもお客にも相手に見せてはいない「本音」があります。
それでも表面上はお互いが売り手とお客という役割演技をしているわけです。
ここまでが一回ひねりの関係です。
そしてこの関係をもう半分ひねってみると、商品やトークを媒介にしてお互いの本音が沈黙のコミュニケーションをしている光景が見えてくるはずです。
売り手とお客という疑似的な人間関係を、それがあくまでも疑似的な関係であると知りつつ演じているわけです。
この演じ方の中にお互いの「生身」を仮託し、信頼とか誠実といった「本音」を見せ合う。
これが、ビジネスという虚構上で交換されるメタ・メッセージです。
こういった、ひとひねりもふたひねりもした関係を構造的に生み出すのがビジネスの面白いところです。
わたしは、あまりビジネス書というものを読みません。理由は簡単で、面白くないからです。
ビジネス上の成功について精緻に組み立てられた「ビジネス書」がつまらない理由は、短期的な成功の「秘訣」は書かれていても、長期的な成功の「意味」についてはあらかじめ目を瞑っているからだといえるかもしれません。
それは「きれいごとだよ」という答えがかえってきそうです。
しかし、わたしが言いたいことは、実は
「ビジネスはお金のためだけじゃないよ。
もっと崇高な目的があるはずだよ。」
ということではありません。
ビジネスを「お金」であれ「達成感」であれ、あるいは経営者の自己実現であれ、明確な目的が事前にあるものだとする考え方そのものが、ビジネスをつまらなくさせている原因のひとつであるということなのです。
迷路をくぐり抜けると財宝の小箱に辿り着くというような「上がり」のあるゲームとは根本的に異なる面白さがビジネスにはあると、わたしは言いたいのです。
逆説的に聞こえるかもしれませんが、ビジネスを成功に導くための明確で、誰にでもわかるような「手段」についての解説本や指南書が面白さを運んでくれるはずはないのです。
そして、成功しているビジネスマンというのは、そのような解説本を読む前にすでに、そこに書かれているようなセオリーを無意識のうちにではあっても実行しているはずです。
もしビジネスを成功に導くための解説を読んでいるビジネスマンがいるとすれば、それは先の成功しているビジネスマンに対してすでに決定的に遅延しているという理由によって、はじめから成功から遠のいてしまうということになるでしょう。
平川さんにしたら、ビジネス書なぞ、
ちゃんちゃらおかしい、
一昨日きやがれ状態、なんでしょうね。
会社員時代、自分も同僚とよく
話してましたよ。
マーケティングの虎の巻、
魔法の杖があるなら、
自分達に適用してるよって。
余談だけど、15年くらい前に
入った会社では、外資系に詳しい女史が
「欧米ではマーケティングは外に出さず
中で完結の方向に行っている」って言ってて
「ええー入社したばかりなのに暗くなること言うなよ」
って思ったんだけど。
今思えばそれが当たり前の気がする。
自社のマーケティングのノウハウを
適用できて責任を負えるのは
自社しかないんだから。
断れないで行ってみた研修での印象深いフレーズ
ひとつだけ非常に印象に残った言葉がありました。
それはそのコンサルティング会社の社長さんが話した次のフレーズです。
「みなさん、生産性は無限に上がります。社長たるもの、強い意志で社員を引っ張ってゆかなくてはなりません。任務を明確に、目的をはっきりと簡潔に社員に伝えることが重要です。
大切なことは、社内に哲学を導入してはいけないということです。
あれこれ考えたって売り上げは上がりません。
ただ、話がややこしくなるだけです。いいですか、単純明快でわかりやすい目標とのノルマだけでいいのです。」
わたしはこの話を聞いて「こりゃあかんわ」と席を立ったわけです。
社長の仕事のうち、最も重要なものは会社のメンバーがその力を最大限発揮できるようにすることです。
これがひいては会社の存続と収益につながってくるわけです。
企業は結局のところ「人材」だという話は飽きるほど聞かされている「真実」ですが、それがなぜこれほど語られてきたかということは、どれほど人材が蔑(ないがし)ろにされてきたかを逆に物語っています。
件の社長さんは、単純で明快な目標を与えれば、人材は馬車馬のように磨り減るまで使えるはずだと思い込んでいるわけです。
ところが、必ずしも目標に向かって最短距離を走ることが最大の効果を引き出すわけではないことを、その後のこの会社の帰趨(きすう=行き着くところ)が物語っています。
当時、名を馳せたこのコンサルタント会社は、その後しだいに勢力をそがれて名も聞かなくなりました。
わたしは、人がその力を発揮するためには、自らの仕事への敬意と自らがフルメンバーであるところの会社に対する信頼が必須の条件であると考えています。
そして、この敬意とか信頼というものの源泉こそが、フルメンバーが共有している「会社の哲学」なのです。
会社のフルメンバーである社員は「会社の哲学」を共有することにより、その「哲学」に対する責任を引き受けます。
強い意志で社員を引っ張る=根性論、
古い時代の産物ですよなあ。
そういう人だらけでしたよ、一昔前。
正直メンタル壊さない人の方が
珍しい時代でしたよ、働き方改革以前は。
「哲学」なんて言っても
「それで売り上げどのくらい?」って
問われること必須な時代。
一理あるだろうけども。
今はよう知らんし興味ないのでございますが。
なので、2008年発行の
この本はものすごく先を
予見してらしたとしか言いようがない。
余談だけれど、養老先生と
羽生善治さんの対談で、
AIは「質問」と「結果」しかないけれど、
人間には「プロセス」がある、そこが大きな
違いだって指摘されてて、
それを受けて自分としては、
もしかして「プロセス」って「哲学」と
近い位置にあるものなのかもしれないと…。
これはまた改めて追求するとして
今日はもう寝よう。