[その1] RYU’S 倶楽部「仲間」ではなく友人として:村上龍対談集(1997年) [’23年以前の”新旧の価値観”]
TBS系列のトーク番組『Ryu's Bar 気ままにいい夜』
1987年から1991年まで放送されてたのだけど、
その後日談のような対談本。
この本の存在を全く知らなかった。
番組のゲストとかぶっている人が多い。
読んでて懐かしい感じ。
『Ryu's Bar』から『カンブリア宮殿』までの
空白期間が埋まったような気がした。
この国は何者かに魂売り渡した気がしてんねん
宮本輝(作家)
■宮本■
この国ってアンチョコの国になったと思うね。学校が、〇〇式数学みたいな解き方だけを教え続けてきたから。だから、世の中に出てくる若いのが、人生にまでアンチョコがあるように考えてな。
■村上■
社会にアンチョコはないですからね。
■宮本■
そうすると突然、アンチョコなしに群衆に放り込まれて、その孤独に愕然とすると思うんよ。すると、麻原みたいに、嘘か本当かわからんけれど、とりあえずアンチョコ出してくれるやんか。それでサティアンにあんなに人が住むようになって。
根本的に、やっぱりみんな寂しいんやな。
(中略)
■村上■
今、一番きれいだと思うから写真に残しておきたいという理由で脱ぐ人もいるじゃないですか。あれは間違っているって、輝さん、言ってくださいよ。
■宮本■
ああいうのは、見せたら減るもんやと思うね。
■村上■
絶対減りますよね。
■宮本■
絶対減る。精神が薄汚れて擦り減っていくねん、肉体という精神が。「見せて減るもんやなし」ってよく言うけど、あれは違うよ。見せたら減るよ、光沢が。
これ「Ryu's Bar」 でもほぼ同じ感じで
言ってたな。
その時は宮本さん、旧ソ連・ロシアを
旅行した時、電車に乗って外の景色が
山、また山、それが何時間も
変わらないのをみて驚愕、
「何時に着くのよ?」と聞くと、
「こともなげに言うもんね、8時間後です、って。
日本ならな、えええ!8時間!!ちょっと待ってよ、
飛行機ないの?ってなるよな。ところがね、
山を見てたらね、もうどうでもええわってなるんよ、
そのうち着くやろって」
と諦観気味。
そのうち、思いは当時の
書記官ゴルバチョフの気持ちにスライド。
「なんでこんな広いんだ、ってのをやっと
気がついたんだよ、例えは悪いけど、
女房一人満足させられないのに、
なんでこんなにぎょうさん妾を作ったんやろ、と。
もう、それぞれみんな好きに
やってくださいよってことなんだよ、
ゴルバチョフは「ペレストロイカ」とか
いってるけどさ」
って。
今の世情とは異なるなあ。民主化に舵を切ったのに。
悪い方向に行ってしまったと思わざるを得ない。
将棋って、きれいな形で詰むと勝てますよ
羽生善治(棋士)
■村上■
将棋指しって、特に昔の人って、家庭を壊したり、大酒飲んで肺病になったりっていうイメージがあるじゃないですか。
■羽生■
芸人さんですよね、一種の。
■村上■
不思議なことに、作家もそうなんですよね。
でも、羽生さんが出てきて、「将棋が好きで、あとは普通」っていう人が出てきたんだなという感じがしたんです。そういう人がすごく強いからみんな戸惑ってしまう。
■羽生■
そういう感覚の違いは、先輩棋士たちとの間にはあると思います。
やっぱりそれは、内弟子かどうかという修行時代からの違いがあるし。
■村上■
先輩たちは、遊びも芸の肥やし、って感じでしょ。古い言葉だなあ。
■羽生■
そうやって修羅場をくぐっていく、それが将棋の技術とか、精神の鍛錬に繋がるという考えですよね。
そこが自分とは大きな違いです。
■村上■
しかしそんな修羅場が将棋と関係あるんですかね?
■羽生■
全くないとは思わないけれど、それを自分自身にやらせると逆に甘えちゃうと思うなあ。
遊ぶんだったら遊びのために遊ぶのであって、仕事のためとか、将棋のために遊ぶ、というのは自分の考えとして受け入れにくいんです。
(略)
■羽生■
勝ち負けには間違いなくこだわっているけれど、結果だけ出せばいいならジャンケンでもいいわけです。
だからその過程でいいものが残せるというのが、最高だと思っているんです。
■村上■
勝負の過程ですね。
■羽生■
勝ち負けの結果というのは、今の時点での評価です。
でもその過程というのは、大げさに言うと、歴史上の評価なんです。
だから10年、20年後に「この人はこういう棋譜を残したんだ」という、そういう評価も得られればいいな、と思ってます。
■村上■
今の羽生さんから見て、そういう歴史的な棋譜を残している人は何人くらいいるもんですか?
■羽生■
天野宗歩(江戸後期の将棋士)と、升田幸三。この2人はすごいですね。
升田先生の手は、現代では当たり前なんですけど、そのことは変な感じに映っていて、誰も評価していないんです。しかし30年以上経って、今の目で見て「こんなものも残っていたか」というのを最近見つけて、本当に驚きました。
羽生さんレベルになると、
違うものが見えてるんでしょうね。
この時、弱冠25歳だそうです。
公文塾のCMだったか、小学生30人くらいを相手に教室に
「コ」の字に机に並べ将棋、羽生さんご自身は
歩きながら全員と並行に対戦する姿
(それもほぼ立ち止まらず一瞬見ただけで指し続ける)は圧巻。
同時に30人と将棋って、どんな頭脳されているのか、
常人には理解し難いです。
私は将棋って母親に教えてもらったけど、
あんまりうまくならずに放棄してしまった感がある。
父親ともやったけど、母親との対戦の方が、
なんでか楽しかった記憶がある。
つくりたくて作った映画にだけ、惚れ込んじゃうの淀川長治(映画評論家)
■淀川■
日本映画は、小津安二郎みたいに「このカット、いいでしょう、いいでしょう」というようなのは、疲れちゃうね、こっちが。
■村上■
疲れますね。
■淀川■
小津さんの映画は、小津さん一人だけの映画なのよ。僕が子供の頃、映画館行って便所の横の壁に映像が映っているの、みてたことがあるの、光が。普通の外国映画見たら、スーっと流れているのね。するとオッチャン(小津)の映画は、積み木みたいにバッバッと切れるの光が。普通の外国映画を見たら、スーっと流れているのね。
■村上■
へえー。
■淀川■
小津さんのは日本人の会話みたいに「行ったか」「いや」みたいな感じなの。僕はやっぱり日本人では溝口健二がいいね。
小津さんをあまり評価されてない、てのは
知らなかった。どちらも、小津的ではないよね、
よく考えると。小津的ってのも、定義が曖昧だけど。
スピルバーグの事、「激突」は良いけど、
「ジョーズ」から堕落したみたいな事を
おっしゃってる。
「未知との遭遇」なんていいけれどなあ。
「E.T」はダメです。好きな人、すみません。
淀川さん、谷崎潤一郎の映画化は、
全て良くないと一刀両断。
村上龍さんに撮って欲しいとお願いしているけれど、
今のところその約束は守られてない。
村上さんは、本職は作家ですからね、
映画にしないといけない義務は
ないでしょうけど、観てみたい気もする。
淀川さん、まだホテル住まい前、
近くに住んでたので、
何度かお見かけしたことございます。
ポストの横に立ってらした。
この本、次に続いちゃいます。すみません。