変身のロマン:澁澤龍彦編(1972年) [’23年以前の”新旧の価値観”]
太宰治は「斜陽」「人間失格」「走れメロス」
「グッドバイ」「葉桜と魔笛」と他、
数篇読んだけれど忘れてしまったが、
これは初読。
しばらく本を読みたくなくなった。
これが文学なのかもしれない。
編集後記 澁澤龍彦「魚服記」という題名は、申すまでもなく「夢応の鯉魚 ー 雨月物語より(上田秋成)」が典拠として利用した、宋の説話から借りたものであろうが、太宰がここで描いているのは、東北津軽の郷土色豊かな、抒情的なフォークロア的世界である。だから翻訳臭は全くなく、完全に太宰の世界となっている。しかし、太宰が秋成の物語を意識しているのは明らかで、「魚服記」の主人公は芸術家ではないが、それでも父親に純潔を汚されて生きて行くことのできない、山家育ちの潔癖な少女であるという点では、やはり芸術家のアナロジーとも解することが可能であろう。いわゆる太宰のいやらしさが、ここでは全く影をひそめて、作者の詩魂が誰の心にも染み透ってくるような、これは文句なしの傑作である。
一回読んだだけでは、
つげ義春みたいだな、とか、
幻想的だな、くらいにしか思わず、
上記の澁澤さんの「編集後記」を読んでもまだ、
「え、そうなの?」程度で、
Webでどなたかの書評を読んで
「ええええっ、そうなの!!」と
のけぞり、事態の深刻さを把握。
本当に自分は疎いというか鈍い。
小説家を目指さなくてよかった。
そういう意味も含めて完膚なきまで
叩きのめされた90年くらい前の短編。
余談だけど、少女が主人公になっている
日本のコンテンツって多いけれど、
宮崎駿さん、雑誌CUTで
「少年の存在っていうのは、悲劇的にならざるを得ないんです。(2010年)」
って仰っているというのを村上龍さんも
随筆で書いておられた記憶がある。
NHKの朝ドラも同じような理由なのだろうか。
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